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小説《魂の織りなす旅路》

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光たちからのメッセージ小説。魂とは?時間とは?自分とは?人生におけるタイミングや波、脳と魂の差異。少年は己の時間を止めた。目覚めた胎児が生まれ出づる。不毛の地に現れた僕は何者なの…
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2023年9月の記事一覧

*小説《魂の織りなす旅路》 差異

*小説《魂の織りなす旅路》 差異

【差異】

 誰もが差異を抱えて生きている。差異を抱えたまま人と繋がり、差異を抱えたまま己の人生を選択する。
 私にとって、そうした差異から距離を置く時間はとても大切で、いつも穏やかで静かな場所を探している気がする。たとえば、この喫茶店のこの片隅の席。店内には穏やかな曲調のクラシックが抑えた音量で流れていて、空いているときは自分だけの時間に身を浸すことができる。

 カランコロン。喫茶店のドアが開

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*小説《魂の織りなす旅路》 魂

*小説《魂の織りなす旅路》 魂

【魂】

 老人は閉じていた瞼を静かに開き、その何も映し得ない瞳で妻を見た。今日の風は柔らかいねと妻が言う。今日の風は柔らかいねと、老人は頭の中で何度も何度も反芻する。そして、居間のソファーから立ち上がると縁側に向かった。
 縁側の籐椅子に腰を掛け、水音に耳を傾ける。竹筒から水鉢へと流れ落ちる水の音。この家を購入したときに、妻の希望で置いた水鉢だ。
 2人でこの籐椅子に座り、この水音をBGMによく

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*小説《魂の織りなす旅路》 手紙

*小説《魂の織りなす旅路》 手紙

【手紙】

 あのときはどうもありがとう。君のおかげで動揺した僕は落ち着くことができた。帰国しなければ後悔していたに違いない。父はあれから2ヶ月頑張ったよ。短い期間ではあったけれど、僕は僕なりにできる限りのことを父にしてやれたと思う。
 父は僕の帰国をとても喜んでくれた。悪いなと言いながら、嬉しさを隠し切れないんだ。母は大丈夫なのにと言いながら、何につけても僕を頼ってくれた。
 父の死は穏やかなも

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*小説《魂の織りなす旅路》 書道教室

*小説《魂の織りなす旅路》 書道教室

【書道教室】

 「また明日来てもいい?」

 「もちろん!待ってるね。」

 茜は腰をかがめた私にぎゅっと抱きつくと、嬉しそうにスキップしながら帰っていった。
 この書道教室に、丁寧なお辞儀をして帰っていく子どもは1人もいない。師匠はそういう儀礼的な所作が大嫌いなのだ。ひとつくらい型のない場があってもいいだろうと師匠は言う。
 ここでは己の本質と向き合うことが求められる。そのためには本質を閉じ込

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*小説《魂の織りなす旅路》 時間

*小説《魂の織りなす旅路》 時間

【時間】

 炎の変幻自在な動きに、魂の波動が共鳴する。この波動が身体のあらゆる組織を振動させると、私は物質世界からの解放を感じて恍惚となる。
 本当は、休日のたびにひとりキャンプがしたいのだけれど、女性のひとりキャンプは危険がつきものだ。危険を回避するために、キャンプ場で人の多い場所を選ぶなど本末転倒なので、休日のたびにとはいかないけれど、私はグランピングを利用している。

 「これは夜にお勧め

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*小説《魂の織りなす旅路》 失明

*小説《魂の織りなす旅路》 失明

【失明】

 見えるはずの機能を持ったこの目は、僕に何も見せてはくれない。

 最初は見えにくく感じる程度で、年のせいだろうと思っていた。ところが、ほんの1、2ヶ月で目に映るものが加速度的に霞んでいく。さすがにこれはおかしいと病院へ行くことにした。
 複数の病院に診てもらったが、異常は見つからなかった。どの医師も首を捻るばかりだ。それでも視力は診てもらうたびに落ちていく。

 視界のぼやけがひどく

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*小説《魂の織りなす旅路》 暗闇

*小説《魂の織りなす旅路》 暗闇

【暗闇】

 最近、暗闇と自分が同化しているような気分になることがある。この目はもう光すら感知できないのだ。昼も夜もなくなって時間の感覚が鈍くなり、体の境界線が薄ぼんやりとして、僕は空間と融和する。

 「お父さん、私がお腹の中にいた頃のお母さんのこと、覚えてる?」

 縁側でお茶をすすっていると、庭いじりをしている娘が話しかけてきた。

 「ああ。いつも大きなお腹をそれは愛おしそうにさすっていた

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*小説《魂の織りなす旅路》 目覚め

*小説《魂の織りなす旅路》 目覚め

【目覚め】

 《目を開けて》

 僕は閉じていた瞼をゆっくりと開く。眼下に見渡す限りどこまでも続く乾いた赤土と、葉もまばらな低木が点在する不毛の地が広がっている。あれからどれくらい経ったのだろう。ほんの一瞬前のようにも思えるし、何時間も前だったようにも思える。
 僕は洞窟で目を閉じた。今はどこかの高台にいるようだ。遥か下方に360度見渡す限り不毛の地が広がっている。

 なんだろう。何かがおかし

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*小説《魂の織りなす旅路》 境目に在る魂

*小説《魂の織りなす旅路》 境目に在る魂

【境目に在る魂】

 「気づいたかや。」

 男は皮袋の水筒を差し出しながら、赤土の上に横たわる僕に向かって言った。

 「思い出したんやねぇ。あっちのことを。」

 僕は起き上がりながら皮袋の水筒を受け取り、ぐいと勢いよく水を飲んだ。

 「でも、僕にはわからないんだ。どうやら僕は、あちらとこちらの両方にいるようだ。同時にね。」

 「そうやねぇ。そういうもんやねぇ。」

 男がさも当たり前のよ

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*小説《魂の織りなす旅路》 苦難

*小説《魂の織りなす旅路》 苦難

【苦難】

 境目に在る僕の波動は、深い愛と慈しみに満ちた始まりの者の波動にいつも共鳴している。境目に在る僕が始まりの者の波動とひとつになったとき、少年の内に在る僕は始まりの者の波動で満たされる。

 あるとき僕は、唐突に貫かれるような激しい痛みに襲われた。僕はのたうち回りもだえ苦しみながら、とうとう僕にもこのときが訪れたのだと悟った。
 境目には数え切れないほどの魂が在る。僕はここで、もだえ苦し

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*小説《魂の織りなす旅路》 動き始めた時間・赤ん坊

*小説《魂の織りなす旅路》 動き始めた時間・赤ん坊

【動き始めた時間】

 青年になった彼の時間は止まったままで、僕は相変わらず彼の脳にしがみ続けている。

 最近彼は、大学図書館の裏庭で恋をした。彼女の柔らかな波動が彼の脳を心地よく愛撫する。

 「今日の風は柔らかいね。」

 「あの空の透けるような青が好き。」

 「今日は本の文字が楽しげに踊っているように見えるの。」

 「あの鳥の鳴き声は悲しげに聞こえるね。」

 彼女の言葉はいつも彼の五

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*小説《魂の織りなす旅路》 魂の解放

*小説《魂の織りなす旅路》 魂の解放

【魂の解放】

 このところ、娘が言っていた〈魂の解放〉という言葉が頭にこびりついて離れない。娘は魂で妻と会話をしていたと言う。しかし、言葉を介さない会話だなんて、僕には理解ができないし想像すらできない。
 娘は「これからよ」と軽い口調で言った。それは僕もいずれそれができるようになるということだろうか。しかし、妻はもういない。娘の話は、妻が生きていた頃の胎内での話なのだ。

 僕は縁側に向かうと籐

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*小説《魂の織りなす旅路》 最終章 再会

*小説《魂の織りなす旅路》 最終章 再会

【再会】

 「今日はこの辺で、だな。」

 稽古を終えた師匠はよいしょと立ち上がると、「あ、そうそう」と軽く手を打った。すたすたと小走りに部屋の隅にある飾り棚に向かうと、その引き出しから小さな紙切れを持ってくる。

 「これこれ。」

 師匠が差し出した紙には住所が書かれていた。見覚えのある筆跡だ。

 「この間、悠が来たんだよ。」

 「え? 悠さんが?」

 「ああ。数ヶ月前に母親を亡くして

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