ぼくが大企業でのキャリアを捨てて、小さな「社会貢献の会社」をつくった理由
ぼくの人生を変えてしまった仕事があります。
それは、東日本大震災の被災地での、復興支援の仕事です。
自分が被災地に関わることになるなんて、思ってもみませんでした。
2011年当時、ぼくはアパレルの「ライトオン」で働いていました。震災当日はちょうど、カタログ撮影のために沖縄にいたんです。だから震災の揺れも経験していません。東京に電話をかけたらつながらなくて、なにが起こっているのかよくわからなくて。
不安なまま、空いていた居酒屋でごはんを食べていると、隣の席でとつぜん、おばあちゃんの米寿のお祝いがはじまりました。三味線をひきながら歌い踊っている人たちの横で、テレビではものすごい津波の映像が流れている。そのギャップが強烈で。
なんだか現実味がなくて「遠いところですごく大変なことが起こっていて、自分にはなにもできない」という感覚でした。
2015年、はじめて被災地へ
初めて被災地へ行ったのは2015年。
ぼくはライトオンから、シナジーマーケティングというIT企業に転職していました。さらにそこがYahoo!に買収されて「復興支援室」という部署に配属されたのがきっかけです。
ぼくが行ったのは、宮城県の石巻市。
初めて見た被災地の光景は、いまでも鮮明に覚えています。津波で交番が基礎までえぐられて、完全にひっくり返っていたのは衝撃的でした。震災から4年経ってもこんな状態なのか、と。家も仮設住宅だらけ。ボランティアの人たちもまだたくさん残っていました。
人間のつくった街や文化が、圧倒的な自然の力によって、いとも簡単に破壊されてしまう。
しかし被災地にいる人たちは、そんなつらい街並みとは対照的でした。前を向き、使命感をもって復興を進めていたんです。
未経験からECサイトを立ち上げた女性
初めてお会いしたのは、震災をきっかけに「石巻元気商店」というECサイトを立ち上げた、佐藤さんという方でした。
彼女は東北でフリーランスでウェブの仕事をしていた方で、ECサイトやマーケティングは、まったくの未経験でした。
最初は、津波の被害を受けた商店街の空き店舗で「少しでも力になりたい」と、地元の特産品である海鮮などを売っていて。それからECをはじめて、一時はテレビにもとりあげられて、話題になりました。
ところが震災から時間が経つにつれて、売上が伸び悩むようになっていたんです。
話を聞いてみると、ぼくはある課題に気づきました。
熱い思いはあっても、「ビジネスの視点」がまったくないのです。良心的すぎる価格だし、メールマガジンもとても丁寧に書いているのに、マーケティングの視点がなく効果が出ていませんでした。
ぼくは「CRM(顧客関係管理)」という手法を使って、ECサイトのマーケティングをしていきました。どんな人が買ってくれているのか、お客さんのデータを分析して、その人たちがリピートしてくれるようなメルマガや宣伝をしたんです。
するとすぐに効果が出ました。ECの売上を、前年比の2倍にまで伸ばすことができたんです。
東京では感じたことがなかったエネルギー
反響を受けて、佐藤さんも地元の魚屋さんたちもすごくよろこんでくれました。「やってよかった」「いままでただ一生懸命がんばってきたけど、こういうノウハウを知れて、考えが変わった。可能性を感じた」と。
自分のスキルが、こんなにも誰かから感謝されたのははじめてでした。
ぼくはなぜか、10代のころにスタッフとして参加した音楽フェスのことを思い出しました。グリーン・デイやDragon Ashが演奏するステージの上から、熱狂する数万人の観客を見たんです。
あのときに感じた、うねるような人間のエネルギーが、被災地にはありました。
みんなが「自分のこと」より「地域のこと」を考えて動いている。「死ぬかもしれない」という経験、そして復興という目標を、その土地一帯の人が共有しているからこそ生まれる、奇跡みたいな空間でした。
それからも東北での仕事を続けました。
次にやったのは「東北の漁師さんのファンクラブ」の仕事です。これも最終的には、会員を1000人から1万人にまで増やして、ECの売上を月商100万円まで伸ばすことができました。
震災当時は「自分にはなにもできない」と思っていました。でも、いざ行ってみたらできることはたくさんあった。しかも、自分のスキルと被災地のもつエネルギーがかけ合わさると、すごく大きな成果を生み出せるんだと知ったんです。
2016年、熊本地震に「今度こそ動こう」
そんななか、2016年に熊本地震がおきました。
ぼくは「東北のときはすぐに動けなかったけど、今度こそ最初から行動しよう」と思いました。それで、Yahoo!の仕事とは関係なく、プライベートで動きはじめたんです。
ちょうど六本木ヒルズで開催されていた「BRIDGE KUMAMOTO」という団体のイベントに参加しました。熊本で被災したデザイナーやフリーランスの方が集まった団体です。彼らは「クリエイティブの力で、復興にアプローチしたい」と話していました。
ぼくは彼らに「自分にも協力させてほしい」と申し出たんです。
ブルーシートだらけの被災地
彼らは「震災の記憶を忘れてしまわないように、なにか形にして残したいんです」といっていました。ただ、具体的になにをするかはまったく決まっていなくて。
「とにかく現地に行ってみよう」と、仕事の合間に何度も熊本へ足を運びました。
熊本地震では、津波はおきていないし、火災もそこまで大きくはありませんでした。ただ、古い家屋がすごく多かったので、あちこちブルーシートだらけだったんです。
ぼくらは被災地を歩きながら「このブルーシート、どこに行くんだろう」と話しました。放っておいたら産廃になるだけ。それなら、なにか有効活用できないかーー。
それで被災地をまわって、使わなくなったブルーシートをもらっていったんです。
これでなにを作ろうか。最初は「ビニール傘」や「雨合羽」などの案もありましたが、なんだかピンときません。話し合うなかで「バッグなら日常的にもっておけるし、デザインもポップにできるんじゃない?」という案が出たんです。
「それいいね!」と、すぐに話がまとまって。地震で被災した大分県の工場があり、そこで縫製してもらえることになりました。
デザイン賞を受賞。300万円以上の寄付ができた
そうして、ブルーシートのバッグが完成しました。
これが、予想以上に反響をいただけました。グッドデザイン賞や、イタリアのデザイン賞も受賞することができたんです。
ぼくは東京の表参道に場所を借りて、お披露目イベントを企画しました。「これは絶対に東京で売れる」と思ったんです。すると堀潤さんや家入さんなどのインフルエンサーが来てくださって。それがTwitterで広まって、バッグはたちまち完売しました。
東京で話題になったものって、地元でもすごく売れるんです。国内版逆輸入ですね。「なんか熊本の団体でおもしろいやつらがいるらしいぞ」と、たくさんの人に注目してもらえました。
そこからずーっと増産して、いまも売上の20%を寄附しつづけています。これまで、累計で300万円以上の寄付をすることができました。
人間に戻った感覚
被災地での仕事をするうちに、ぼくは「これはもう、ふつうの会社の仕事には戻れないかもしれない」と思うようになりました。
大企業での仕事に不満があったわけではありません。
復興事業に関わる前は、IT企業でテーマパークのコンサルティングをしたり、アパレルでマーケティングの仕事をしたりしていました。どれもすごく刺激的だったし、いろんなことを学べました。
でも「手触り感」は少なかったんです。
億単位の大金を動かしてキャンペーンをやっても「実際、誰が喜んでくれるのか?」と考えると、あまりに不特定多数すぎてよくわからない。人の顔がみえないんです。
そういう中で働いていると「自分のキャリアをつくらなきゃ」「スキルアップしなきゃ」「周りと差をつけなきゃ」みたいな邪念に、つい気を取られそうになります。
「人の役に立つ」という仕事の本質を、見失ってしまっている気がしたんです。
目の前に大きな課題があって、困っている知り合いがいる。そんな被災地での仕事はある意味「本質」だけを見つめられる環境でした。「この人の役に立ちたい」という純粋な気持ちに、100%の力を注ぐことができる。
「人間に戻った」ような感覚。こんな気持ちになれる仕事を、ぼくはほかに知りませんでした。
Yahoo!の復興支援室で仕事を続けることも考えましたが、いち社員の立場では、いつ異動になってしまうかもわかりません。
「それなら、覚悟を決めて独立しよう」と思ったんです。
「地域貢献」の会社を起業
そして2017年に、ぼくは会社をやめて独立しました。「地域貢献」をメインのビジネスにした、小さな会社を起業したのです。
「こういうことで困ってるんです」と聞けば、全国どこへでもとんでいって、課題を解決するためのプロジェクトを企画しています。自治体と組んでまちの起業家支援をしたり、地方の若い農家さんたちと「農業のDX化」をすすめるプロジェクトをやったり……。
この仕事をしているとよく「地域貢献の仕事なんて、儲からないんじゃないですか?」といわれます。ベンチャーキャピタルから「スケールしないだろうから、投資対象にはならないよ」といわれたことも何度もあります。
でもぼくはボランティアではなく、あくまで「ビジネス」として、この仕事を続けているんです。
サッポロビールとの仕事
はじめてとれた大きな仕事は、サッポロビールさんとのお仕事でした。「ほっとけないどう」という、北海道の起業家を応援するコミュニティをつくったんです。
サッポロビールはもともと、明治時代に政府から派遣された「開拓使」によってつくられた会社です。当時の日本では、ビールなんてまだほとんどつくられていませんでした。
サッポロビールの原点は、まったく未開の地で新しいことにチャレンジする「挑戦者」だったわけです。
それから150年近くが経って、いまや言わずと知れた大企業。
そんななかで、サッポロビールの担当者さんからご相談いただいたんです。「大きくなった今も、創業の思いを忘れたくない。ぼくらだってまだまだ『チャレンジャー』だと証明したいんです」と。
ただ、思いはあるけど、どう形にしたらいいかわからなかったそうなんです。
ビールを飲むと、起業家を応援できるしくみ
ぼくらは「挑戦」「応援」「ビール」というキーワードから発想をふくらませ、企画におとしこんでいきました。
そして完成したのが、この「カンパイ★ファンディング」というしくみです。お店でビールを飲むと、売上の一部が寄付されて、起業家を応援できるようにしました。
これまで60組近くがプレゼンをしています。なかにはまだ高校生の子もいました。2019年に参加してくれたのですが、高校を出てそのまま起業して、いまは経営者になっています。
最近、彼とひさしぶりに再会したんです。
当時は未成年でお酒が飲めなかったので、ソフトドリンクで乾杯していました。成人して「やっとお酒で”カンパイ”できます」といって、一緒にビールを飲んで。ぼくにとっては人生で1、2位を争うぐらい美味しいビールでした。
自分の仕事で、誰かの背中を押せるよろこび
プロジェクトをはじめたときの北海道では、こういった「コミュニティ」や「起業家支援」という考え方は、まだあまり広まっていませんでした。でもいまは、北海道のいろんな地域で、同じようにコミュニティをつくる文化ができてきています。
熊本のブルーシートバッグを製作した「BRIDGE KUMAMOTO」は、売上の一部を活動資金にして、いまも活動しています。
東北の漁師さんのファンクラブは、その後も全国に活動を広げ、次世代の担い手育成などの活動を続けています。先日も一緒に「漁師の就業イベント」を企画させてもらいました。
ぼくらは、そんなに大きな会社ではありません。でも、ぼくらが関わったプロジェクトは、日本じゅうでアメーバみたいに広がりつづけているんです。
プロジェクトに関係した人たちが、どんどんいい方向に変わっていく。側から見たらそんなに大したことじゃなくても、なにか心に変化をおこせたり、挑戦を後押しすることができる。
それはぼくにとって、ものすごく大きなよろこびです。
世界中に友達がいると、すべてが自分ごとになる
いまコロナや戦争のニュースをみて、心が不安定になっている人は多いと思います。目を塞ぎたくなったり、「こんなところで普通に仕事をしていていいんだろうか」と思ったりするかもしれません。
よく「情報に惑わされないようにするためには、一次情報が大事だ」といわれます。
知っている人から聞く言葉や、その人に会いに行くことや、そこで営んでいる生活は「究極の一次情報」だとぼくは思います。
日本中に、世界中に、友だちをたくさんつくる。そうすると、他人の目とか、ネットの意見とか、つまらないことに惑わされなくなります。
人生を「友だちさがし」だと考えると、すごく楽になるんです。
被災地に行くまで、ぼくにとって震災は「遠くで起こっている大変なこと」でした。でも現地に行って、人と会ってしまったら、そこで起こったことすべてが、他人事ではなくなったんです。
違う世界の話ではなく、自分の知っている人たちがつらい目にあった。そう思ったら、ごちゃごちゃ考えるより前に体が動いていました。
いまも、日本中に友だちがいるおかげで、いろんな地域の課題を「自分ごと」として考えられます。その土地にいる友だちの顔が浮かぶからです。
仕事だからやるんじゃなくて、人間として、やりたいからやっているんです。
「社会的視点」はこれからの時代の必須スキルになる
社会で起きていることを、自分ごととして捉える。
いまはまだ一般的ではありませんが、そういう「社会的視点」は、これからの時代の必須スキルになると思います。
そうでないと、震災や今回の戦争のように、これまでの前提をひっくり返すようなことが起きたとき、なにもできなくなってしまうからです。
「営業ができます」「マーケティングができます」とだけ言われても、そもそも経済が動いてなかったら意味がない。「いや、もはや売るとかいうレベルの話じゃないんです」となってしまいます。
自分の能力を、どう社会に転用するか?
不安定な時代だからこそ、つねに考えておかなきゃいけないと思います。
モノがあふれすぎた現代では、ついつい「社会の課題」を解決するのではなく、売上や採用など「会社の課題」を解決することばかりに目が向いてしまいがちです。
ぼくはまだまだ大きなことを語れる立場ではないですが「この仕事が、誰の役に立っているのか?」という視点は、これからも忘れずにいたいです。
それが自分にとっても、会社にとっても、社会にとっても、いい結果をもたらすと信じているんです。
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もしぼくらの仕事に興味をもってくださった方がいたら、ホームページもぜひ覗いてみてくださいね。
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