雨ならば
雨、雨、雨、アメ。
そこまで好きじゃない味。近所の子がくれようとしたものだからもらっただけ。小さい子の気遣いを無碍にするなんて、中学二年生である自分には、してはいけないことだ。
だから猫をかぶって笑顔でもらってやった。そのあと後ろに居る親御さんにもきちんと作り笑顔を見せてお礼も言った。できる子を演じるのはいろいろと得なことがある、はずだ。まだ本当かなんてわからないけれど。
その子は嬉しそうに笑ってお母さんのほうへ戻っていった。
元気に水たまりを蹴って。黄色の長靴にカエルの合羽を着ていた。
私も昔は着てたっけ、あれ。私のおさがり。
ビニル傘には雨粒がついて、空がぼやけて見える。ビニルと雨の二重膜。ますます見づらい。
でもまぁ、元々今の空はくすんでるか。
雨って何ができるんだろう。
外で遊べない、湿気も高い、足元はぐちゃぐちゃ。
そういえばナツミは雨が好きとかなんだとか、そんなこと言ってたっけ。
理由は、私が否定したから聞いてないや。
「意味わっかんなーい」って言ったんだっけ私。本当に意味わからなかったけど、理由ぐらい聞いとけばよかった。
だってこういう台風が来たりするときって雨ばっかりで、何も楽しいなんて雨が好きなんて、一ミリも思えないから。それなら雨が好きな理由を聞いて、私も好きになった方がいいじゃん。雨の良さとか、語り合えればそれだけで暇つぶしになる。
けどまぁ、そんなことをしようが好きになるかどうかなんて別問題だよね。
中学二年生は第一次青春の時期だと思ってる。
中学二年生になると大半の女子は「あの先輩がかっこいい」「あの子が好き」「あの子たちホントは付き合ってるらしいよ」「マジか、似合わな~い」とかキャッキャ言い出す時期になる。
その話題は別に興味もない私達にまで飛び火する。
「好きな子とか、いるの?あ、ごめ~んいないよね」
勝手に話を簡潔させて帰っていった。
本当にいないから別にいいんだけど。
あんたには青春なんて似合わない、って言われてる気分になる。
当たってるけどムカつく。言い方ってもんがあるだろうよ。
私は睨むけど、ナツミは笑って「私も~。恋ってわかんないなぁ。」なんて言って、その場をしのいでいる。この前「凄いね」と言ってみたら、
「恋する女の子は輝いてるから、私はそれを見てるだけでいいよ。誰かに見られるの嫌いだし、私は輝かなくてもいいの。」
なるほどなぁ、って思った。この世にはちゃんと自分と違う価値観の人がいるんだなぁ、なんて当たり前のこと思った。
やっぱり暇。まず、こんな日に外出しろなんて言ったの誰だ。
そうです、自分から出ました。
だって仕方ない。テスト前なのにシャー芯全然ないんだもん。
気付いてはいた。気づいてはいたけど、買うのを忘れてしまった。あるあるだよね。
こんなんだから、よく忘れ物して指摘されてた。
「ちゃんと手に書いてけ?絶対明日提出だぞ?」
って言われ続けて、よく忘れてて、そして親へ電話して持ってきてもらう。
公衆電話に使うお金を無くして怒られたりした。一回ありえないほど先生に怒られて泣きわめいたことがあった。そんなに怒らなくてもいいだろうに。
今でもあの先生が嫌いだ。
テストとか別にどうでもよくない?
どうせ親を喜ばせてあげるための方法の一つだろう。
けど、部活の先輩は言っていた。
「中学二年生の時とか全然勉強してなかったわ。全く覚えてないもんなぁ」
おねぇちゃんは言っていた。
「中学校じゃ勉強しな。高校になったら遊べ」
確かに高校生になったら行動範囲も広がるし、楽しく過ごすこともできるんだろうけど、でも中学生だからこそできることもあるじゃん。
だから舌を出して自分の部屋に戻った。後ろから小さなため息が聞こえてきたのは、多分母親だろう。いつも私の成績を見てはそのため息をつく。
「次はお願いね」なんて言って、新しいエプロンを身にまとっていた。
私があげた誕生日プレゼント。おねぇちゃんも選ぶのを手伝ってくれた。仲は悪くないし、他の兄弟よりも仲がいい気がする。
おねぇちゃんは特に何が凄いといったことはないけれど、人とのコミュニケーションは飛びぬけていて、家に遊びに来た友達は数知れず。
なんか私と生きてる世界が違うみたい。
私は顔に出やすいのでいつもナツミのフォローに助けられている。
ここでひとつ感謝を。
いつもありがとー、ナツミ。
そんな感じであるから、必然的にみんなの輪から外れていくのは当然のことであるし、私自身そんな顔に出やすい人と一緒になんていたくない。それは自分であることは重々承知の上です。
自分は良くても相手はダメ。それでも柔らかな笑みを浮かべてくれるのはナツミだから、それだけでもう良かった。それ以上にもそれ以下にもなりたくない。
いちばん強いのは嫌われたくないというものだ。
自分を好いてくれる人から離れたくないのは当然のことなのかもしれない。
でも、それに気づいていないと苦しんでしまう。
たまに見たりする。
『私は誰からも必要とされてない。愛されてない。』
それが本当なのか、当事者たちがしっかり把握しているのか。それは私もわからないけれど、もし必要としてくれている人がいたら、とても悲しむんだろう。
「死なないで」よりも「死んでほしくない」のほうが必要とされてる気がする、というのは私がいつも心に留めておいていることだ。
もし誰かが死にたいというのなら、「死んでほしくない」と言ってあげたい。または「一緒に死のう」と言える人になりたい。しかしそれは、その人が一番大事で、その人が自分の生きる意味であると判断したときのみ適用されるべきだ。なんでもかんでも一緒に死んでいたらこの国が消える。これ絶対そう。
だから、自分が必要とされていないと感じたときは、思いこみでいいような気がする。
この人は私といないとダメなんだと思ってしまえばこっちのもんだろう。
どうせ真実なんていう心は、誰も知ることが出来ないのだから、思い込みでやっていかないと強い人間も弱い人間も、この人類すべてが苦しんでいる。
どうせメンタルなんて、人間それほど大した差はない。
だからまぁ・・・。
ん?
ポケットに何か動くものを感じる。
「あ、ナツミ。」
見ると電話がなっていた。何か用だろうか。
緑色の方のボタンを押して電話に出た。
「もしもし、ナツミ?どしたの?」
『いやぁ、なんか凄い暇してそうだからさ。勉強でも教えてあげようかな、なんて。』
見透かされている。凄く暇です。
にしたって、とっても天使だな。ナツミは人当たりもいいのに顔もよく、そして頭までいいという、多分神が宿っているである人物だ。
そんな人を友達にしてしまっていいのか逆に気になる。
「ナツミの勉強もあるでしょ?そっちは大丈夫なの?」
『ノープロブレムだよぉ!私は万年一位ですから。』
「余裕こきやがってムカつくぅ。まぁ教えてもらえるんだったらお願いします。」
『はいはーい。私の家でもいい?これから来れる?』
「今からシャー芯買いに行くのでそれ買ったら行くわ。」
『分かった、待ってるね。じゃまたね。』
「はいよぉ。」
四十秒程度の電話を終え、また空を見てみる。
まだ濁ったように見える空に何羽かの鳥が飛んでいた。
気付けば雨は止んでいて、カラスも鳴いていた。
夏から秋になっていく今の時期は、昼は暑く夜は寒い。
今年の夏はあまり夏という気がしなかった。
梅雨が終わるのは早いと思えば雨が降り、一気に夏が終わった。
九月はまだ残暑が、なんてあまりない。もう寒い。
百円ショップに到着。ここには大体何でも売っているから、ここにあるものだけで小物は大丈夫そう、と何度も思う。一人暮らしを考えているような気分になるのだ。とても楽しい。
少し商品を見ながら想像をして、やっと文具のコーナーへ向かった。
0.5のBを手に取りレジに直行。
レジの店員さんは少し疲れているように見えた。
レジの仕事って大変そうだよなぁ。毎回同じ対応しなくちゃいけないんだもんな。
お釣りなしでレシートを貰い、芯はそのまま手に持って店を出た。
レジ袋は環境のために貰わないようにした。最近地球温暖化のニュースとか、授業とかでよく見かけるしね。
地球温暖化がヤバいってよく聞くけれど、だからって皆がそれを防ぐためにって何かしているわけでもない、ような気がする。
そこまで身近に感じられないのだ。これと言って被害を目の当たりにしないからまだ大丈夫だと過信してるんじゃないか。
というのは中学二年生の個人的な意見だ。
今のうちにしか感じられない何かがあるんだそう。国語の先生は言っていた。
「『人間失格』とか今のうちに読んでおいた方がいいですよ。あなたたちぐらいの時にしか感じられないことがあるんです。」
と先生はにやけ顔を見せながら話していた。
今の考えが変わったりすることもあるんだと思うと、少し今が尊く感じられた。不思議だ。未来なんて分からないのに。
だから将来に向けて頑張りましょうって、それこそ勉強もだけど、「将来の人たち・将来の自分のためです」とは言われてもその将来よりも今が大切に感じるから嫌なことはある。
今実感しなくても後で後悔するから、とか言われてもその「後で」がまだ来ないからわからないのだ。
地球温暖化は一人一人が向き合わなくてはいけないが、その課題をどれだけの人が身近に感じられているのだろうか。
というのは私には似つかわしくない話だ。こんな頭を使う話はやめにしよう。
自分らしくない。
あ、そういえばまた授業の話に戻るけど。
最近自分らしく生きることが重要視されてるらしい。
LGBTQ、だっけ。
レズとかゲイとか、そういう人たちのこと。
正直自分には関係ないと思っていたけれど、「最近は10人に1人の割合でいるんです」と、動画のナレーターの人は話していた。
10人に1人なんて私のクラスには……。なんと3人もいる。
意外といるもんだ。割合的には左利きや、AB型の人と同じくらいなんだとか。
そうすると、そういう人たちも特別には見えなくなってきた。
だって私自身、左利きである。だからと言ってみんなから避けられているわけじゃない。
だからそういう身近にいる人たちと同じなんだと思う。非難されるべきはそれをどうこう言う人たちなのではないか。
左利きやAB型が何も言われていないのに、LGBTQの人が言われるのは不公平だ。病気だと称される人もいる。
それは雨が好きな人以上に納得いかない。
この世界は不平等だ。
最初から生まれ落ちたところからのスタート地点が違う。
うさぎとかめの、うさぎが寝てしまった地点から猛ダッシュする人と、かめが最初から十二支のねずみとねこのように、スタートの時刻を間違って伝えられた人。
そんな風に違う。
このたとえ、ナツミに伝わるかな。分からないかもしれない。
一応、家に着いた。これから早速ナツミ宅へ行く用意をして、家を出る。
勉強をしに行かなくてはならぬ。面倒だ。
『―――――もしこの世界に生きる意味があるのならば。』
というのは私の好きな小説の一文だ。
生きる意味、とは人間という少し賢い動物が探し求めるものだ。
しかしどうせ誰も見つけ出していない。正しくは見つけられない。
だから人々は「生きる意味なんてない」という。しかしそれを受け入れられる人は少ないようだ。
好きな歌詞には『人間は希望なしでは生きれないからさ』というものがある。確かにそうだ。
希望を見出して、それを目指して生きていく。
何故生まれたくもない場所に命を灯し、死にたくもない時に容易くろうそくの灯が消えるのか。
もし生きる意味があるのならば、それはアニメでよくある『君はこのために生まれたのだ』状態と同じ。
つまり、生まれる前から目的があるのならばそれは生きる意味になる。
でも今生きる人間たちはどうだろうか。
そんな目的は到底持っているとは思えない。
ただ息をして食して眠って。
その行動一つ一つが生きることへ直結する。
あまりにも無残だ。
人はそれを役割かのように黙々とこなしている。
もし一つでも欠けてしまえば、そのろうそくを消すことになるのだ。
何故死に抗おうとするのだろうか、何故恐怖なのだろうか。
死ぬことは苦しいからだろうか痛いからだろうか。
まだ生きて居たいと思うからだろうか。
人は洗脳されているようにも見えなくはない。
呼吸をすることも食べることも、しなければ言われてしまう。
「なぜそういうこともできないの?」
それは生まれたことによって生じる役割だ。
三大義務のどこにもない、この全世界に共通する義務は、生まれたからには呼吸をすることなのではないだろうか。
日本には生存権が存在する。その生存権は、捉える人により生きる義務に感じる人もいるだろう。
だからこんなに生きづらい状況になってしまっているのではないか。
傘をついて歩く。
今日は何故だろう、いろいろ考えた気がする。
私の意見が違うのかもしれない。
けれどこの雨のように誰かに好かれているとわかるのであればそれもありなのでは?と思ってしまう。
この雨は嫌かもしれないけれど、誰かにとっては恵みだったりする。
草花にとっては幸福の雨なのかもしれない。また、苦しんでいる人にとっても寄り添ってくれる雨なのかもしれない。
私はこの雨が降り注ぐ一部に存在する、ちいさな動物だ。
いつかこの雨が降り注ぐことを誇りに思えるかどうかは知らない。好きになるかは知らない。
でも、心のどこかに降り注ぎ虹がかかる材料なら、私は大歓迎だ。
くすんだ空という心に虹がかかるのなら、許してあげないこともない。
もしいつか雨が降りやまなくなってもこういえば、少し綺麗に感じるのではないだろうか。
『いつか降り止むその時は、きっと生きていてよかったと思える』と。
そんな世界が来ることなんて、あり得るはずがないけどね。
私は傘を出して空を見上げた。
少し青空が見える。
「お~い!」視線を下げるとナツミが手を振っていた。
「あ、ごめん、遅れちゃった。」
「大丈夫だよぉ。ってなんで傘さしてんの?雨は上がったよ。」
「あぁ、確かにそうだね。」
私は家の中に入る。
「おやつあるよぉ。」
そういって私がナツミの部屋に腰を下ろすと同時に机に置いた。
「あ、これ。」
「ん?あぁそれ?美味しいんだよね。知ってる?」
そこまで好きじゃない味。
「これ流行ってるの?」
少し笑いながら手に取った。
「そうなのかなぁ、わかんないや。」
雨、雨、雨、アメ。
いつか降り止むその時は、か。
私も誰かの恵みになりたいな。
窓を見ると、ちいさな虹がかかっていた。
「みんなちいさいね。」
「んん?どういうこと?」
「いや、こっちの話。」
袋を開けて口の中で転がす。
「このアメ、好きかも。」
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