型破りのチャレンジャー!「大仏建立」に奔走した行基菩薩
この記事をご覧くださり、誠にありがとうございます!
前回の記事に引き続き、「大仏建立」に焦点を当てた日本史のお時間とさせていただきます。
※前回の記事はこちら!
みんなが知っている奈良の大仏。
その建立の背景には、度重なる天変地異や政権の乱れ、疫病などの問題がありました。
特に、国民の三分の一が死亡したと言われる天然痘の脅威はすさまじく、為政者の聖武天皇が深く悩まれ、仏教による救済を志したことも理解できます。
今回は、聖武天皇が国家安寧の悲願を成し遂げるにあたり、「大仏建立」の実質的な責任者に命じたとされる僧・行基についてご紹介したいと思います。
行基とは?
行基は、飛鳥時代から奈良時代にかけて活躍した僧侶で、大仏建立の実質上の責任者です。
聖武天皇から大仏建立への勧進を依頼され、勧進以外にも、建立に至るまでを取り仕切ったと言われています。
行基に白羽の矢が立った背景には、当時の行基が、民衆から圧倒的な支持を得ていた、という背景がありました。
実は、当時の仏教は、民衆への直接布教が禁じられていました。
ところが、行基はその禁を破って、民衆や豪族など幅広く布教活動を行っていたそうです。
そのため、聖武天皇の前の元正天皇には僧尼令違反とされ、「小僧」(つまらない僧)として、糾弾されています。
行基は朝廷からの弾圧・糾弾には一切屈せず、民衆からの圧倒的な支持を受けて、その都度逆境をはねのけていきました。
今考えると、朝廷の許可がないと布教してはいけない、というのもおかしな話ですものね。
行基の大衆布教のきっかけ
元々、奈良の飛鳥寺や山林などで修行に打ち込んでいたという行基。
38歳ごろ、布教に乗り出したといわれています。
元興寺で三階宗の教籍を読んで、自分の悟りを求めるだけだった今までの人生に疑問を抱き、下山して布教活動を始めたそうです。
行基が目指したのは、大乗仏教の理念にのっとり、「多くの衆生を救済する」という菩薩業。
僧は寺院で祈ることが一般的だった当時、民衆と一緒に土木工事をしながら布教を行う行基のスタイルは斬新で、多くの民衆に支持されたと言います。
行基の超人的な社会事業
行基は、困窮者の救済や超人的な数の社会事業を行ったことで知られています。
道場・寺院だけでも49カ所、ため池15カ所、架橋を6カ所など、各地の土地を整備してまわっていました。
草津温泉や有馬温泉など、日本を代表する温泉地を見ても、だいたい行基が開基にあたる、とされており、そのフットワークの軽さに驚かされます。
また、当時、調・庸という税を納めたり、平城京造営などのために都に向かう人々が、食糧不足に陥って餓死するというケースが多く見けられました。
これに対し、行基は、宿泊施設と飲食物を無償で提供する「布施屋」とよばれる施設を、全国に9カ所設けたそうです。
そのありがたさを慕って、人々は行基のことを「行基菩薩」と呼ぶようになりました。
5000人を集めた若草山での説法
行基人気はとどまることを知らず、若草山での説法を行った際には、5000人もの人々が集まったと言います。
日本人のお坊さまで、5000人を相手に説法する、というのはちょっと聞いたことのない数字です。
布教や社会事業を行う行基教団は1000人以上にも上り、かなりスケールの大きい集団であったことは間違いないです。
聖武天皇の慧眼
この行基教団の人気に目をつけて、逆に東大寺大仏建立の責任者とする辺りは、聖武天皇も人の使い方が上手かったのかな、という気がしています。
敵・もしくは強力なライバルになりそうなほどカリスマ性を持った相手に、自分の事業の責任者を打診して協力関係を築く、というのは、現代の経営的に見ても、かなり優れた判断ではないでしょうか?
やはりヘタレではなく、どんな人からも学ぶ謙虚な姿勢、異例の人材を抜擢する胆力を持った天皇として、非常に尊敬すべきご存在なのではないかと思います。
大仏建立の立役者
聖武天皇は743年、「大仏建立の詔」を出します。
その中では、「一枝の草・一握りの土でもいいから、一人でも多くの国民の参画を」、と呼びかけていた聖武天皇。
国家権力ではなく、国民一人ひとりの純粋な信仰心を結集して建立してこそ、はじめて国が救済されると固く信じていました。
史上初の出家した天皇となるほどに、仏教への篤い信仰心を持っていた聖武天皇にとって、頼るべきは本物のお坊さまによる勧進。
そこで、当時、民衆に人気のあった行基を抜擢し、大仏建立の勧進を依頼したのです。
行基は全国を奔走して浄財を募ります。
行基の尽力もあり、大仏建立には、なんと当時の人口の約半分にあたる260万人が協力し、集まった資金は当時の国家予算の2倍にも達したといいます。
その功績を認められた行基は、78歳で僧侶の最高位である「大僧正」に任命されます。
大僧正は最高位であり、行基が日本で最初に任命されました。
惜しくも大仏開眼の3年前にこの世を去られましたが、きっと大仏が無事に建立できたことを喜んでおられることでしょう。
〈まとめ〉
いかがでしたでしょうか?
今回の記事のポイントをまとめておきましょう。
【行基】
大仏建立の実質上の責任者
朝廷から禁じられていた民衆への直接布教を行って教勢を拡大。
大乗仏教の理念にのっとり、「多くの衆生を救済する」という菩薩業を目指す。
困窮者の救済や超人的な数の社会事業を行い、「行基菩薩」と慕われる。
若草山での説法を行った際には、5000人もの人々が集まった。
※聖武天皇の慧眼―どんな人からも学ぶ謙虚な姿勢、異例の人材(行基)を抜擢する胆力
743年「大仏建立の詔」
聖武天皇が行基に勧進を依頼
↓↓
大仏建立には、当時の人口の約半分・260万人が協力
当時の国家予算の2倍の資金が集まる
〈謙虚で信仰心篤い聖武天皇✖行動力・救済力のある行基〉
このコンビだったからこそ、「大仏建立」という最大の国家プロジェクトが完成されたのかな、と思います。
歴史に思いを馳せ、先人たちの努力に感謝しつつ、私たちの時代もより良いものにしていきたいですね☆
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