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茶碗の王様 『喜左衛門井戸を見る』


小代焼中平窯の西川です。
今回は失礼を承知で記事を書かせていただきます。


ただし、
批判のための批判ではありません。


井戸茶碗について現時点で分かっていることを、
可能な限り正確にお伝えする試みで、その過程でどうしても批判的な文章になってしまいました。

ご容赦ください。




ちなみに、
タイトルの『喜左衛門井戸』は昨年、京都国立博物館の展覧会でやっと実物を拝見することができ、大変感動しました。


↓柳氏への関連記事↓



また、分からないことは分からないと書きますし、
今回の文章の参考資料となる著書も最後にご紹介いたします。

私個人というフィルターを通ってはいますが、様々な本を読み可能な限り公平な態度で考察しています。

個人的な独断、一人だけの妄想の世界で書いた文章ではありません。



柳氏の功績と罪


柳氏の最も大きな功績は、
身近にある何気ない日用品の中にも美があると発見したことです。

見方によっては、
これは千利休をはじめとした侘茶のお茶人が発見した美の再発見であり、侘茶の拡大解釈とも言えるかもしれません。

お茶人は茶道具に使えることに限定して美を発見し、柳氏は茶道具に限定せずに美の範囲を広げて発見したという意味です。



そして残念なことに、
最も大きな罪は井戸茶碗への認識を歪めてしまったことです。



柳氏の
「井戸茶碗の正体が朝鮮半島で大量に作られた、ありふれた庶民の飯碗である」
という主張は0%とまでは言い切れませんが、可能性が極めて低いものなのです。


『大量生産の庶民の雑器説』のみが真実であるかのように断言してしまい、
その他の可能性を一切考えなかったことは大きな問題であると思っています。

実は柳氏の存命中から、
『大量生産の庶民の雑器説』には異論が存在したのですが、柳氏は真正面から取り合わずに「自身の説以外はすべて机上の空論である。」という趣旨の見解を示され、異論を一蹴していました。



朝鮮半島の庶民により『井戸茶碗』が作られる様子・使われる様子を、
柳氏はあたかもその目で直接見たかのような臨場感のある名文を書かれました。

それは朝鮮の飯茶碗である。
それも貧乏人が不断ざらに使う茶碗である。全くの下手物である。

典型的な雑器である。
一番値の安い並物である。作る者は卑下して作ったのである。個性等誇るどころではない。使う者は無造作に使ったのである。自慢などして買った品ではない。

誰でも作れるもの、誰にだって出来たもの、誰にも買えたもの、その地方のどこででも得られたもの、いつでも買えたもの、それがこの茶碗の有つありのままな性質である。

それは平凡極まりないものである。
土は裏手の山から掘り出したのである。釉は炉からとってきた灰である。轆轤は心がゆるんでいるのである。形に面倒は要らないのである。数が沢山出来た品である。仕事は早いのである。削りは荒っぽいのである。手はよごれたままである。釉をこぼして高台にたらしてしまったのである。室は暗いのである。職人は文盲なのである。窯はみすぼらしいのである。焼き方は乱暴なのである。引っ付きがあるのである。だがそんなことにこだわってはいないのである。またいられないのである。安ものである。誰だってそれに夢なんか見ていないのである。こんな仕事をして食うのは止めたいのである。
焼物は下賤な人間のすることにきまっていたのである。ほとんど消費物である。台所で使われたのである。相手は土百姓である。盛られるのは色の白い米ではない。使った後ろくそっぽ洗われもしないのである。

朝鮮の田舎を旅したら、誰だってこの光景に出逢うのである。
これほどざらにある当り前な品物はない。
これがまがいもない天下の名器「大名物」の正体である。

『民藝四十年』『茶と美』より
『喜左衛門井戸を見る』 ー柳宗悦



しかし、柳氏はその光景を見たはずがありません。

庶民が粗末な飯碗を無造作に使う様子はご覧になったでしょうが、
柳氏が見たものは井戸茶碗ではなく、固有名詞を持たないただの飯碗です。



なぜなら、井戸茶碗は

『朝鮮半島からは全く発見されておらず、
日本の茶道具として伝わっているものが現存するのみである』


という状況だからです。



井戸茶碗に近い陶片は朝鮮半島・熊川(ウンチョン)窯跡から見つかっていますが、井戸茶碗そのものは見つかっていません。

上記の補足ですが、熊川窯跡の陶片も確実に井戸茶碗であるとは断言できません。
調査された窯跡の中では、最も井戸茶碗と特徴が近いという意味合いでとらえてください。

また、
新たに井戸茶碗が見つかる可能性もあるでしょうが、
『当たり前のように、どこからでも』見つかるような茶碗ではありません。


用途としては、庶民の飯碗であった可能性は依然として残りますが、

少なくとも
『朝鮮半島で当たり前に大量生産された茶碗』という可能性は殆ど無いと考えた方が自然でしょう。



ちなみに余談ですが、
二番目の罪は『弓野焼』を『二川焼』として紹介してしまったことです。

これに関しては柳氏に悪気はなく、単純な勘違いでした。
後ほど訂正もされていますので、誠実に対応されたと思っています。

しかし、当時はあまりに柳氏の影響力が大きかったのです。

江戸初期から数百年の歴史がある『弓野焼』を、
幕末に作られた『二川焼』と紹介してしまったことで、正確な歴史認識を阻害してしまいました。
『弓野焼』は歴史が浅い焼き物だと、一般の方々が誤解してしまったのです。

繰り返しますが、この件は単純な勘違いです。

柳氏に悪気はありませんし、柳氏のできる範囲で訂正もされていますので必要以上に責めるわけにはいきません。




井戸茶碗は柳氏の発見ではない


民芸品への美意識は柳氏の発見です。

日本の工芸界にとって素晴らしい発見であり、歴史的に見ても素晴らしい審美眼の持ち主でした。

しかし、
井戸茶碗に関しては元々多くの人々に美しいと言われ続けてきた名品に、
民芸理論を後から当てはめた例外的な事例であると思っています。




井戸茶碗『喜左衛門』はそもそも評価の高い茶碗なのです。
数百年前からずっとずっと珍重され続けてきました。

慶長年間の商人・竹田喜左衛門はこの茶碗に祟られても手放さず
松江藩主・松平不昧公は『喜左衛門』を『大名物』に分類し、
現代では国宝に認定されています。

8碗ある国宝茶碗の内、

高麗茶碗というジャンルの中で国宝に認定されているのは
井戸茶碗『喜左衛門』ただ一つなのです。




柳氏は銘や知識や先入観から、物の価値を決めつけることを嫌いました。



しかし、
井戸茶碗『喜左衛門』に関しては実物を直に見て法則を考えたのではなく、

自身の主張する民芸理論から、朝鮮半島で作られた様子や使われた様子を 頭の中で創作してしまいました。


しかし
柳は井戸のもつさまざまの特徴的な形質を「平凡」の一言で済ましてしまい、ただちに自らの民芸理論に合致する「貧乏人が使う茶碗」「下手物」「雑器」「安価」「並物」「卑下して作った」などの条件があたかもこの美しさを成り立たせたように述べる。

これでは柳の言う「直観」が、先入観や知識のない澄んだ眼が見たというより

「民芸理論」が井戸を見た、という感じではないか。

『民芸』 ー出川直樹


これは本来、
柳氏が最も嫌っていた鑑賞態度のはずです。


あくまで推測になりますが、民芸理論の正当性を主張するために、

「天下一の美しい名碗は、実は “民芸理論の法則” によって作られたのだ!!」
と一般の人々に思わせる意図があったように見えます。




楽茶碗との対比の正当性


井戸茶碗は数が少なく、初期茶人~不昧公~近代~現代と、
どの時代のおいてもずっと評価の高い茶碗です。

これは数百年という長い時間の中で数千人~数万人(この人数は誇張表現ではなく、むしろ謙虚な数字です)の審美眼の篩にかけられ続け、その中をくぐり抜けてなお 現在でも美の最高峰と言われ続けている茶碗であり、

いわば、井戸茶碗はエリート中のエリート・伝説の茶碗です。

このスーパーエリートを民芸理論の代表選手としていることに違和感があります。

民芸理論は、誰も見向きもしなかったような、
分業体制によって大量生産された安価で身近な日常雑器の中に、
高価な美術品を遥かに凌ぐ健康的な美を発見した理論のはず
です。



柳氏の民芸理論を証明するならば、
本当に大量で庶民用に作られたクラワンカ碗や瀬戸焼茶碗などと本阿弥光悦の茶碗を横一列に並べた上で、
それでも庶民用の飯碗の方が本阿弥光悦の茶碗より明らかに美しいと証明してこそ、民芸理論の正当性が確保されると思います。



また、柳氏は
樂茶碗の温度が低く、作者銘があることを強く非難され、
「勝負にならないほど明らかに、高麗茶碗は国産茶碗よりも優れている」という趣旨の主張を著書の中で繰り返されます。

しかし、
茶陶の名品が多い志野焼、織部焼、瀬戸黒、黄瀬戸、古備前、古萩などの国産茶碗には、文章の中で驚くほどに触れないのです。

仮に触れたとしても、楽焼とは比較にならないほど、ほんの一瞬です。


ちなみに上記の和物の名品は井戸茶碗と同じように高温で焼かれ、作者の銘は入っていません。
柳氏の主張する「無銘性」や、熟練の技術を必要とする「労働性」と条件は同じです。

志野茶碗の傑作、国宝『卯花墻』でさえ誰が作ったのか分からないのです。

本当に井戸茶碗が国産茶碗よりも圧倒的に優れている茶碗であるとすれば、
本阿弥光悦の茶碗だけではなく、もう一つの国宝の国産茶碗、
『卯花墻』とも井戸茶碗を比較しなければ公平ではありません。

補足ですが、
実は本阿弥光悦作の国宝茶碗にも銘は入っていないのです。
「国宝になるほどあまりに素晴らしい樂茶碗であり、前代未聞の美意識であるから本阿弥光悦が作ったんだろう」
と言われているだけで、実質的には茶碗の裏側にサインは入っていない無銘の茶碗なんです。



私の感覚ですが、
井戸茶碗、本阿弥光悦、卯花墻
には美意識の違いがあるだけで、そこに優劣は存在していません。


井戸茶碗は無造作で侘びて寂びた美意識、
本阿弥光悦は常識に囚われない瀟洒な美意識、
卯花墻は生命力に溢れた自由で力強い美意識、

であると感じます。



これらを比べて優劣をつけることは、
プロ野球選手とプロサッカー選手を並べて優劣をつけようとすることと同じです。


プロ野球選手は『捕る、投げる、打つ』全ての技術があるから、
プロサッカー選手よりも優れていると言ってもいいのでしょうか?

プロサッカー選手は足だけでボールを操る技術があるから、
プロ野球選手よりも優れていると言ってもいいのでしょうか?



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井戸茶碗・楽茶碗・和物茶碗(美濃陶)の比較


2022年の京都国立博物館で開催された展覧会『茶の湯』。

名品を一堂に会した素晴らしい展示会でした。
私が直接見た名品を、図録の写真と共にご紹介します。



『喜左衛門』
この記事のタイトルとなっている茶碗です。
高麗茶碗で唯一の国宝であり、お茶人と思われる方々を中心に多くの人だかりができていました。
その状況は、現在でも多くの審美眼の篩にかけられ続けているとも言えます。




『六地蔵』
小井戸茶碗に分類されるお茶碗です。
喜左衛門のような堂々たる風格はありませんが、暖色系で複雑に変化した見込みが美しく、さぞ抹茶が映えるのではないかと思いました。




『ムキ栗』
楽家初代・長次郎作の楽茶碗です。
茶碗としてはイレギュラーな形をしていますが、他の長次郎作と共通する美意識を感じます。
余分なものをそぎ落とした静寂があり、利休さんの目指した美意識なのでしょう。




『乙御前』
本阿弥光悦作の楽茶碗です。
長次郎作と比べると幾分人間味を感じ、瀟洒な印象です。
展示場所が会場の隅であったことが勿体なかったと感じた記憶があり、きちんとしたライティングでもう一度見てみたいです。




『卯花墻』
和物茶碗の国宝であり、志野茶碗の傑作です。
素晴らしさと同時に、写真で魅力を伝えることが最も難しい茶碗の一つだと感じました。
小さい茶碗だと思っていましたが、力強くて実寸以上のサイズ感がありました。




『小原木』
瀬戸黒茶碗です。
焼成中の窯から引き出し、急冷するという特殊な制法により深い黒色となります。
この漆黒はお茶を引き立てるであろうと感じ、まさに「抹茶を飲むためだけの茶碗の良さ」を体現しています。



私は10代の頃、柳氏にのめり込むあまり非常に大きな失敗をしました。
短い期間ですが、人生の中で損をした期間があるという言い方が正確です。

私は柳氏の思想を信じすぎて、
「作為のある茶碗。最初から抹茶を飲むために作られた茶碗は悪い茶碗である。」
という非常に恥ずかしい勘違いをしていたのです。

柳氏の文章に感銘を受けていましたが、
その時の私は長次郎も本阿弥光悦も志野茶碗も黄瀬戸茶碗も瀬戸黒も…
実物を見ないまま、文章だけで良くないものだと決めつけていました。


そして大人になり、
和物茶碗の名品を直に見た時に、心が震えるほどに感動したのです。



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井戸茶碗の正体


井戸茶碗の正体を断言することはできません。
しかし、可能性が高いであろうと思われることをお話することはできます。

様々な説がありますが、片山まび氏によると
現時点で最も有力であるのは『白磁の試作品説』のようです。

まず形であるが、
熊川窯跡出土の井戸茶碗を含む軟質白磁片をつぶさに見て興味深いことは、考古学の世界でいう型式分類、つまりはグルーピングをしようとすると、ある程度の大まかには分けることはできるが、実際のところ各自各様で、ひとくくりにすることがためらわれるものが多い。

それほど軟質白磁にはイレギュラーな形や削りが多く、ある程度の規範性をもつ同窯の刷毛目や灰青沙器とは異なる。

それは白磁生産への過渡期であったことを物語る。

『高麗茶碗 井戸・粉引・三島』



また、現時点ではその用途までは断定できません。

単なる試作品なのか、祭器なのか、雑器なのか、茶器なのか
ここに関しては調査研究を待っている状態です。



様々な説には、とある共通点があります。

「井戸茶碗は発見数が少ない貴重な茶碗である」
ということが前提だということです。

庶民の雑器説を支持する研究者でさえ、
発見数が少ないという条件を一度飲み込んだ上で、持論を展開されているんです。


2002年の発掘結果を見れば、井戸茶碗は一定の期間だけ作られ、量産され続けた器ではないようだ。

~中略~

井戸茶碗が墓から出土せず韓国内に残存しないという点に対しては、異論などない。

『井戸茶碗の真実』 ーチョ・ソンジュ


上記引用著者のチョ・ソンジュ氏は韓国で主流である祭器説に批判的な立場をとっておられ、井戸茶碗の用途は庶民の雑器であると主張されました。

しかし、
「井戸茶碗は伝統的な器ではなく、短期間に作られた数が少ない茶碗である」ということ自体は認めてらっしゃいます。




ただ柳氏の説のみが、

「朝鮮半島で当たり前に大量生産された、いくらでも数がある茶碗である」
という前提で話を進めてしまっているのです。




補足ですが、
韓国で主流の祭器説は、柳氏の説に対するアンチテーゼでもあると私は感じています。

柳氏の『喜左衛門井戸を見る』という文章は、
柳氏の思想を理解した上で読むと、井戸茶碗への誉め言葉をひたすらに羅列した文章です。


しかし、柳氏の思想を知らない韓国人の立場から読むと、

「作る者は卑下して作った」
「平凡極まりない」
「職人は文盲」
「窯はみすぼらしい」
「こんな仕事をして食うのは止めたい」
「焼物は下賤な人間のすることにきまっていた」
「全くの下手物である」

という柳氏の言葉は韓国人のご先祖様を馬鹿にし、見下した文章であると誤解されてしまいます。
(まぁ誤解されるのも当然だとは思いますが…。)


私の目から見ると、祭器説には柳氏の文章へのアンチテーゼとしての、

「我々韓国人にも昔からちゃんと美意識はあったんだ!
井戸茶碗は無知無学で下賤な職人が無意識に作ったのではなく、
祭器という特別な器として意識的に美しい物を作ったのだ!」

という主張が学術的な研究の隙間から見え隠れしています。




参考資料


『茶と美』柳宗悦氏
『民藝四十年』柳宗悦氏
『民芸』出川直樹氏
『井戸茶碗の正体』チョ・ソンジュ氏
『高麗茶碗 井戸・粉引・三島』別冊炎芸術
『高麗茶碗 茶の湯の茶碗第二巻』
『茶碗』大型図書




私の姿勢


たまたま柳氏に批判的な文章になってしまいましたが、

私は「事実を分かる範囲で正確に伝えること、歴史に誠実であること」
を大切にしています。


その矛先は

井戸茶碗であり
小代焼の歴史であり
新聞の記事であり
ワイドショーであり
環境問題であり

現時点で分かっている事実を、ありのままに伝えない姿勢に強烈な違和感を持つんです。

去年からは心が乱れるだけなので、メディアが流すニュースに深入りしないようにしています。
社会問題の話題を振られても受け流すのでよろしくお願いします(^^;


はたから見ると小難しい人間に見えるでしょうが、
普段は気さくに話すように心がけておりますし、別に他人と喧嘩したいわけじゃないんです。


小難しい記事であったり、与太話であったり、どちらの方向の記事も更新します。

そして、小難しいことを考える私と下らないことで笑う私はどちらも本当の姿です。


どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします<(_ _)>


2023年8月9日(水) 西川智成

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