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プロテスタントから資本主義経済へ

カトリックの修道院においては、まず「祈り」そして「働く」がある。聖なるクローズな空間において、様々な制限の中、禁欲的な生活をしている。これは、「世俗外禁欲」と呼ばれる。

これに対し

「世俗内禁欲」

とは、世俗の行動、つまり職業生活の中での禁欲を言っており、「働く」そして「祈り」の順番である。

仏教においても、同様なことが起こっている。

小乗仏教と呼ばれる、初期仏教は、自らが「悟りを開く」べく厳しい修行に励む、クローズな状態である。

これに対し、大乗仏教は、オープンに仏教に近づくことができた。例えば、浄土教の「南無阿弥陀仏」を唱えることで、極楽浄土へ導かれるという教えになっている。

さて、世俗内禁欲の中で、「職業」は大事なキーワードである。ルターは、これを

「召命」(神からの使命)

とし、今の仕事を天職ととらえ、禁欲勤勉を促した。

ルターの功績はこちらで紹介してます。ご覧ください。

ここに、ジャン・カルヴァンの「予定説」が拍車をかける。

予定説とは、その人が神の救済にあずかれるかどうかはあらかじめ決定されており、この世で善行を積んだかどうかといったことではそれを変えることはできないとされる。

例えば、教会にいくら寄進をしても救済されるかどうかには全く関係がない。神の意思を個人の意思や行動で左右することはできない、ということである。

なので、寄進・寄付で成り立っているカトリックに反発している人は、おおいに肯定する。

そして、こう考える。

「全能の神に救われるように予め定められた人間は、禁欲的に天命(天職)を務めて成功する人間のはずである」

自分こそ救済されるべき選ばれた人間であるという証しを得るために、禁欲的に職業に励もうとした。すなわち、暇を惜しんで少しでも多くの仕事をしようとし、その結果増えた収入も享楽目的には使わず更なる仕事のために使おうとした。

これによって、「利潤の肯定」(蓄財は正しいこと)と「利潤追求の正当化」(蓄財をさらに増やすことは正しいこと)になっていた。

蓄財した富を投資して、大きなリターンを得たい。悪い行為ではない。蓄財をさらに増やすことは正しいこと。

当時、ヨーロッパで、ハイリスクハイリターンにあたるものがあった。「交易」である。

外洋への航海できる環境はそろっていた。アフリカやアジアへ赴き、ヨーロッパにないもの(例えば、香辛料)をもたらした。

(ちなみに、プロテスタントによるカトリック信者の減少があり、ローマ教皇は海外へ信者獲得を推し進め、海外交易を後援した。イエズス会のフランシスコザビエルもその一人)

そうこうしているうちに、株式会社の始まりと言われている「東インド会社」が設立され、アジアで様々な買い付けが行われた。絹や茶など原産物が多かった。

もともと、イギリスでは、毛織物生産を行っていた。特に各地農村で、適切な原材料数で生産されていた。

そこに、安く大量の原材料が輸入されたことにより、大量生産が求められた。それに応じて、大量生産できる工場による機械化が進んだ。

産業革命

大きな工場と多くの労働者に対する費用に、「資本」も存在し、産業革命を促進した。資本の投下により、テクノロジーが急激に進んでいった。

この産業革命は、多くの富と豊かさをもたらした反面、問題も生み出した。環境破壊や児童労働など。

そして、資本家層と労働者層の階層化分断も大きく招いた。これにより、資本家と労働者の対立を招く。

この対立をなくし、

搾取も階級もない世界=共産主義の世界思想

を生んでいった。

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