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憂鬱とシャワーと気持ち悪さ

二十歳であるところの僕が最近よく考えるテーマは交友関係について。たぶん大学でより良い友達を持った人なんかはあまり考えることもないのだろうけど、僕のようなボッチ気質にとっては深い闇が横たわるテーマであり一生の課題だ。

まず、交友関係について考えるきっかけとなったのは成人式だった。上で述べた通り僕はぼっち気質であり、参加を見送ることも当然考えたのだが親の熱苦しい説得を受け渋々出席することにした。中学の連中は小学校からの顔見知りがほとんどで普通に誰とでも会話はできたからそこまで苦痛を感じることになるとは思っておらず、つまりは出席しようがしまいがどちらでもよく所詮は通過儀礼だった。

式自体は退屈で休憩時間には旧交を温めた。高校からは別々となった彼らとの再会は小学校時代の思い出を蘇らせ「今、どうしてるか」のような不躾な質問をしてる暇もなかった。純粋な繋がりを感じられ、この時ばかりは来てよかったと心から思った。

しかし、飲み会が始まってからは地獄だった。クラスの中心メンバーが騒がしいことこの上ない。中学時代は彼らから多少距離は取ってもクラスメートであることは変わらないから普通に話せたし、遠目に元気な奴らだと呑気に思う程度だったのが、大学デビューし大人になった彼らはまさにパリピになっていた。中学の女担任が隅っこでビールを煽る中、彼らは下ネタで盛り上がる。中学生のときには可愛らしく感じられたそれは成熟し狂喜で溢れんばかりだった。時にはドロドロした関係性だったりが文脈として現れ、隣の島で飲んでいた僕も思わず耳を覆いたくなるほどだった。特にひどいのは女だった。小中で叶えられなかった初恋に対する鬱憤が澱として溜まっていたのだと推察される。一番人気を誇ったイケメンを捕捉し、彼女らは好き勝手に醜い質問を浴びせた。彼の高校時代の彼女の名前を挙げ、性処理にしてたのかなど訊問していた。これには流石に僕も引いた。彼女らは嫉妬し、なぜ自分を選ばなかったのか、自分の方が可愛いだろと主張しているのは明白だったが、それにしてもおぞましかった。

僕は呆れて早々と帰路についた。迎えの車の中では闇夜に包まれてまだよかったが、家についてからはひどかった。頭が熱を上げ僕はものすごく混乱していた。中学では交友関係においてあまり窮屈な思いなどせず伸び伸びと過ごしていただけに飲み会での出来事がうまく処理できずにいた。あらゆる思いが駆け巡った。誰とでも平等に接していた級友たちがなぜあんなにも歪んでしまったのか僕には到底理解できなかった。思い出話に花を咲かせて飲むものだとばかり思っていた。

たぶん中学で見ていた風景がうわべだけのものだったのだろうと今では思う。裏ではあらゆる人間らしい思いが交錯しうごめいていたのだと。僕はうわべだけの都合のいい世界でひとりおままごとの演者だった。そんなこと少しは分かっていてどこかそっぽを向いて生きていたはずなのに、改めて突きつけられるとしんどいものがあった。

僕はこの時ばかりは自分という存在が否定されたように感じられて憤ってしまった。童貞コールを浴びて引きつった笑顔を浮かべた級友を今でも思い出す。僕は飲み会にも向いていないようだ。


それからというもの交友関係について考える。つまり、本当の交友、繋がりというのは表では全く見えないものなのだと。また、全国に散った旧友との繋がりもまさしく不可視になっていおり、遠く離れて暮らす友との絆を結んでいるのはやはりインターネット。SNSやLineだということ。

大人になりかけの僕は憂鬱である。親しい友人はおり、やはりSNSで繋がってはいる。しかし、自分から連絡はまず送らないしtwitterの呟きは到底特定の個人にしか見せられるものじゃない。つまり、これの指し示すところは新たな友達を作るのは無謀だということでこれが僕を鬱々とさせる。

シャワーを浴び終え、浴室から出たときそれを確信して思わず立ち尽くした。僕はタオルで体を拭う気にすらなれなかった。伸びきった髪の毛がペタリと額にくっつく。上気した肌をかすめる冷気が気持ち悪い。しかし何故だかいつまでもその気持ち悪さを感じていたいと思ってしまったのが今日だった。




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