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未知を観察させ、考えさせるシュタイナー教育

私が最も好きな作家はミヒャエルエンデですが、そうなった要素の一つとして母が私をシュタイナー教育ベースで育ててくれたことが大きいと思っています。

本当はシュタイナー教育の学校にも通わせたかったそうなのですが、当時距離的に厳しく結果的に公立の小学校に通いました。

その後父の転勤で引っ越した海外の現地でインターナショナルスクールに通い、大学は日本の私立に通い、適度に個性を出しながら社会に順応することを覚えた私は中々人生を楽しんでいましたが、社会人生活で何年か経った今、自分自身の内側を時々幸福にすることができず、停滞を感じるように。

心のセルフケアには何が必要か考えた時にふと「シュタイナー教育関連の本を読みたい」とピンと来ました。
いつもはミヒャエルエンデの作品やインタビュー集を読むのですが、エンデ以外のもっと身近に感じる人でシュタイナー教育に関わった人がどのような視点でどのような経験をしているのかを知りたい、そして今の自分の考えや行動に反映させたいと思ったのです。

いくつか集めてみて、結果的に何度も読み一番参考にさせていただいているのが言わずと知れた子安美知子さんの『ミュンヘンの〜』シリーズ。

このシリーズを読了して、今の自分のもやもやや停滞感がクリアになりました。

資本主義社会では結果に比重を置かれがちなので、社会の準備段階である教育は既知の事実(とされていること)をベースに行われがち。

特に私が通っていたインターナショナルスクールでは、「(資本主義の)この世の中でどうやって生き抜いていくか」の手段はとても細やかにカリキュラムとして組まれていて、How toの部分にフォーカスされるあまり人間の生命の根源、「なぜ、何のために生きるのか」を第一に考えた教育ではありませんでした。資本主義社会で生きていく術をなまじ学ばせてもらっているだけに、20代やそこらで社会や世界に対して知った気になっていて、謙虚さを忘れ、人生に停滞感・退屈さを感じる。そんな部分が自分にありました。

だからこそ母がつきっきりで育ててくれた時代のように毎日ワクワクが止まらなくて、世界は輝いていて、自分は知らないことだらけであることを知っていた自分に戻りたかった。

ミュンヘンの〜シリーズを拝読した後、はっきりとその意味について確信しました。

シュタイナー教育は同じ内容を教えるにも通常の学校とはプロセスが全く異なり物事を「未知」のものとして生徒に観察させ、感じさせて、考えさせる。そういう訓練を受けてきた生徒は大人になっても知らないことだらけで、この世界は死ぬまで発見続きであることを無意識レベルで知っている。だから退屈しないし、この星の全てのものに敬意が持てるのだと。

なんだ、もういい大人だなんて思って世界を知った気になっていたけど、まだまだ自分は知らないことだらけじゃ無いか。
死ぬまで無限に知り続けられるなんて、
なんて素晴らしいんだろう。

このシリーズを読んでそう思えました。

私が取り寄せて読んでいるのを見るなり、
母が「あなたがお腹にいる頃夢中になって読んだわ」と。やはり素晴らしい著作は世代を超えますね。

虚無感、停滞感を感じている方には是非読んで頂きたい素晴らしいエッセイシリーズです。

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