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【映画感想文】エコテロリストの気持ちに共感はできなくても、理解ができるようになる - 『HOW TO BLOW UP』監督:ダニエル・ゴールドハーバー

 YouTubeである映画のPR動画を見た。マルクス主義者の斎藤幸平さんとフーコー研究者の箱田徹さんを招いた鼎談で、Z世代の若者たち8人がパイプラインを爆破するため奮闘する物語なんだとか。

 日本版タイトルは 『HOW TO BLOW UP』で、直訳すると「爆破する方法」なんだけど、目的語が消えている。調べると原題にはA PIPELINEの単語があった。

 たぶん、パイプラインという存在が日本では馴染みがないので外したのだろう。アメリカだと石油輸送の定番の手法らしく、いまも拡大の一途を辿っているらしい。

 そのため、いかにフィクションであっても、「パイプラインを爆破する方法」なんて内容の映画が許されるはずもなく、FBIは同作に「テロを助長する」と警告を発したんだとか。

 気になって、とりあえず劇場に足を運んだ。公開から数週間経っていたので、やっている映画館が減り始めていたけれど、なんとか時間に都合をつけて、見ることができた。

 これはまあ、なんとも言えない、消化するのが難しい作品だった。

 ストーリーは王道と言えば王道。石油精製所近くに住んでいた母親を異常熱波で亡くした女子大生が一念発起、すべての原因である石油会社に復讐を誓うというもの。その手段がパイプラインの爆破であり、石油会社に土地を奪われたもの、工場の排出した汚染物質のせいで急性骨髄性白血病になってしまったものなど、志を同じくする仲間を集めていく。ただ、その中に警察とつながっているものもいて、果たして、計画はうまくいくのか?! というエンターテイメントになっていた。

 たぶん、敵が世界征服を企むわかりやすい悪人だったとしたら、よくある話として流すことができたんだと思う。しかし、石油会社は我々の生活の基盤となっているし、公害問題について対策していく必要性はあるものの、爆破攻撃の対象になっていいのか、いささか疑問が湧いてしまう。 

 作中でも、その点はたびたび議論が重ねられていた。パイプラインを爆破して困るのは一般市民である。真っ当に働いている人たちの職を奪うことになり、それが理由で死者だって出るかもしれない。こんな行為はテロリズムもいいところだ。人々の生活を脅かしていいはずがない、とテロリズムの是非が問われていた。

 それに対して、「絶対やったるねん!」の意志の強いメンバーは応える。わたしたちはすでに生活ができなくなっているのだ、と。

 たしかに少数の犠牲で多くの幸せを実現できるのであれば、効率はいいのかもしれない。でも、その少数に選ばれてしまった身としては、ふざけんじゃねえよと怒らずにはいられない。平和な毎日を過ごしている大衆に、お前らの幸福は偽物なんだと気付かせてやりたい。そのためには物ぐらい破壊してやる。

 ざっと、そのような思いが語られていた。

 観客としてのわたしは大いに心を揺さぶられた。テロを絶対に認めてはいけないと思いつつも、人々の無関心が彼ら・彼女らをテロリストにさせているのではないかと感じずにはいられなかった。だとすれば、テロに屈しない態度はテロリストをさらに過激なテロイズムへと走らせることになる。果たして、それは我々の望む社会の姿なのだろうか、と。

 冒頭で紹介したYouTube、ReHaQでも、そのあたりについて言及されていた。社会問題が放置されているとき、どこまで過激な訴えは正当化され得るのか。これは本当に悩ましい。

 法治国家を維持するべきという立場からは法を犯す行為はよくないという結論が導き出される。だが、法は変わっていくものであり、違法だからと言って、その言動が必ずしも間違っているわけではない。あくまで法に則っていないだけなのだ。

 動画内ではモンゴメリー・バス・ボイコット事件が引き合いに出されていた。1955年、市営バスで白人に席を譲らなかったローザ・パークスは有色人種の一般公共施設の利用を禁止・制限したジム・クロウ法に基づいて逮捕された。

 建前としては運転手の指示に従わなかったことが逮捕の根拠となっていたけれど、キング牧師はこれに異を唱え、差別に反対するため、人々に市営バスへの乗車ボイコットを呼びかけた。利用者が激減したことで市営バスの運営は成り立たなくなった。これを受けて1956年11月、連邦最高裁判所はバス車内人種分離法違憲の判決を出すに至った。

 法律を守っていたら、その法律がおかしいと指摘することができなくなってしまう。そのため、法治国家で社会を大きく変えようとするとき、法律を犯さなくてはいけない局面がいずれやってくる。

 ただ、仮にそうだとしても、キング牧師のように非暴力のやり方も可能であり、テロリズムは必要ないと言いたくもなる。だが、斎藤幸平さんと箱田徹さんはことはそう単純じゃないと言う。キング牧師が成功を収める背景には、マルコムXなどラディカル派の存在があったんだとか。

 マルコムXは融和を否定し、黒人の独立を掲げ、アフリカ統一機構と連携し、国際世論を巻き込む運動を進めようとしていた。白人を「青い目をした悪魔」と表現し、「投票か、弾丸か」と武力行使を匂わす発言をするなど、このまま放っておくのは危険と当局および既得権益サイドは判断。より平和的な方法で不満の解消を試みる必要に迫られた。そして、そのとき、ベターな選択肢としてキング牧師たちの公民権運動に注目が集まった。

 さて、こうなると過激な運動も欠かせないという結論が導き出せてしまいそうになるし、導き出している人もいる。

 ただ、ただ、わたしはそれも違うんじゃないかと思ってしまう。というか、やっぱり、テロリズムを肯定するのは気が引ける。

 この世界は有機的かつ複雑につながり合っているから、自分としては罪なく生きているつもりでも、日々の営みが巡り巡って誰かの不幸に影響していることは重々承知している。だから、社会問題に対して、自分は関係ないと誰も言えないということもわかっている。わかってはいるけど、ある日、突然、生活が脅かされるというのはしんど過ぎるよ。死ななきゃいけないなんて理不尽過ぎるよ。

 そんなわけで、映画『HOW TO BLOW UP』に最後まで共感することはできなかった。テロはダメだよ、絶対に。でも、なぜテロをしなきゃいけないのか、その切実さは理解できた。

 わたしは甘っちょろい理想主義者なので、この理解できるという一点において、対話と歩み寄りを目指すべきだと考えてしまう。

 そりゃ、現代は資本主義と自由主義がスタンダードになっているので、他人の不満に耳を傾け、自分の喜びを制限しなきゃいけない理由はない。でも、そこをあえて、ちょっとぐらいなら制限してあげてもいいかなぁとみんなが思えるようになったら、テロリズムなしの議論が可能になるかもしれない。

 しかし、現実問題、そう簡単じゃないんだよね。エコテロリストは既存の価値観を根本からひっくり返すことを求めていたりするので、ちょっと歩み寄るぐらいでは、「そんなんじゃ足りない」と言われてしまったりもする。一応、歩み寄る側も諸々検討の上、最大限の努力をしている場合も多いので、「だったら交渉の余地なし」と腹を立て、もとより関係が悪化することもしばしば。

 いつしか、反対意見を聞いてもキリがないので、ぜんぶ無視しようという強硬姿勢になっていく。それに対して、反対派はより強く主張しなければと運動がますます過激になっていく。その果てにあるのがテロリズムなのだ。

 誰が悪いわけじゃない。なのに、最悪の結果になっている。こんなに悲しいことはない。

 たぶん、真っ当に論理を組み立てていっても、この対立は決して埋まらないだろう。なにせ、お互い、正しいと信じた道を進んでいるから。

 じゃあ、どうすればいいのだろう。きっと、誰かがバカになる覚悟を決めなくちゃいけない。とびっきりのバカとして、世間からの猛バッシングは気づかぬフリで、苦しんでいる人たちの声を聞いてあげる。そういう不合理さの先にしか、平和的解決はないのではなかろうか。

 いずれにせよ、テロのない世界を作りたい。そのためなら、わたし自身の幸福度は減ったとしてもかまわない。

 ちなみに本作は『パイプライン爆破法 ー 燃える地球でいかに闘うか』という思想書が原作なんだとか。

 パイプラインを爆破することにわたしは最後まで反対だったので、ぜひとも、この本を読んでみたいと思った。たぶん、自分とは考え方が違うからこそ、その思想に深く触れてみたい。

 わからないをわかりたい。恐らく、そこに分断を終わらせるヒントがある。




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