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【ショートショート】ケチャップがない (2,289文字)

 置き配でハンバーガーセットが届いた。腹が減っていたのでササッと回収し、早速、中身を確認した。ところが、ポテト用のケチャップが入っていなかった。ちゃんと無料オプションでお願いしたのに。

 アプリで苦情を伝えた。返事があった。全額返金してくれるそうだ。さすがは外資系。揉めるぐらいなら、金で解決しようという合理的判断にグッとくる。いつもの僕だったら。

 なぜか、その日はモヤッとした。損をしないという点で納得感はあるけれど、機械的に処理されているということはミスを織り込んでいる証拠じゃないか。つまり、通常の価格に返金分が加算されていると気がついてしまった。

 言われてみれば、日々、宅配の手数料は高くなっていた。月に数円程度の値上げだからと受け入れてきたが、テレワークを始めたばかりの数年前と比べ、三百円は違っていた。

 仕事も休みもひたすら自宅で過ごす僕の場合、朝昼晩と宅配で済ませるようになっていたので、毎月平均で約三万円多く払わされている計算になる。年間で三十六万。いや、値上げが今後も続いた場合、その額はどんどん増えていくだろう。

 こうなると簡単には溜飲を下げられなかった。アプリの運営会社を検索し、問い合わせの電話をかけた。

「こちらはカスタマーサポートセンターです。配達に関するお問い合わせは一番を、お支払いに関するお問い合わせは二番を……」

 機械音声が流れ始めた。イライラしつつ、僕は該当する番号を押していった。すると、またしても次の機械音声が流れ、いつまで経っても人間と話ができそうになかった。

 最近、どこもこんな調子だった。理由は明白だった。テレワークが定着し、誰も出勤しなくなってしまったからだ。また、学校も通信教育が普通になり、街を歩く人が減ってしまったことも影響していた。飲食店を始め、あらゆる商売が宅配にシフトするようになり、みんな、家を出る必要がなくなってしまった。

 そんな状況に、政府は引きこもりがちな国民の健康を危惧し、各家庭、一台のランニングマシンを配布した。僕は真面目にそれを使った。毎日、一時間は走り、しっかり汗をかいているので、体重は適切な値をキープしていた。皮肉なことに、運動目的の外出はゼロになった。

 加えて、エンターテイメント業界が巣ごもり需要に目をつけたのも大きかった。テレビにサブスクサービスが組み込まれ、映画もアニメもゲームも音楽も、好きなだけ楽しみ放題。常にインターネットを通して、最新のものに更新されるため、退屈する暇はどこにもなかった。

 日用雑貨も自動で届けられるようになった。口の中の粘膜から遺伝子を採取し、送るだけであらゆる健康診断を行えるようになった。掃除もロボットが勝手にやってくれるようになった。ゴミ出しだってダストシューターに捨てるだけ。

 なるほど、気づけば、僕は何年も家を出ていなかった。

 特に、下請けのシステムエンジニアとして、指示された通りのプログラムを書くだけの自分の場合、大体の用事はメールかチャットでこと足りた。電話をすることもなくなった。当初はテレビ会議みたいなものが流行ったけれど、すぐに顔を合わせる必要がないとわかり、自然、誰もやらなくなった。

 最後に人と話したのはいつだったっけ。

 実家にも帰っていなかった。たまにメッセージのやり取りはするけど、こちらが忙しいことをお袋もわかっているのだろう。顔を見せろとは言われなかった。

 友だちも恋人もいなかった。ひたすら家に引きこもってばかりなわけで、そんなことは当たり前だと思ってきた。つい、さっきまで。

 延々、人間のオペレーターにつながらない電話はすっぱり諦め、僕はハンバーガーショップまで出向き、直接、苦情を伝えることにした。

 怒っているわけじゃない。ただ、久々に誰かと会話をしたくなったのだ。「ケチャップが入ってなかったんだけど」「すみません。すぐにご用意します」「忙しいところ、申し訳ないね」そんな気さくなコミュニケーションを味わいたかった。

 何年も押し入れに放置していた外出用の服をまとって、いつしか食べ物を受け取るだけの場所と化していた玄関で、ホコリまみれの靴を履いた。まあ、歩いているうちに綺麗になるだろう。そんなポジティブシンキングで扉の向こうに踏み出した。

 だが、なんてことだろう。そこには見知らぬ風景が広がっていた。たしか、うちは駅前のマンションの五階に位置する一室だった。なのに、なぜか、まわりを白い荒野に囲まれていた。

 見渡す限り、人影は見当たらなかった。というか、生き物の気配が微塵もなかった。草木一本も生えていなくて、無表情な地面が延びゆく光景はまるで月の上みたいだった。

 いつも、置き配をササッと回収していたので、景色を見てこなかったけれど、いつから、こんなだったのだろう。

 僕は踏み出した足を引っ込めた。扉を閉め、汚い服と靴を脱ぎ捨てて、住み慣れた我が家にそそくさ戻った。それから、メールボックスを確認。新しい依頼に取りかかった。

 要件通りのプログラムを完成させ、先方に送信したとき、いったい、僕は誰と仕事をしているのだろうと疑問を抱いた。もしかして、この世界で働いているのは自分だけなんじゃないか。

 そんな不安を切り裂くように、グーッと、お腹が大きな音を立てた。ハンバーガーを食べることにした。冷めていたけど、美味しかった。ポテトも食べた。しなびていたけど、美味しかった。

 ケチャップがないのは寂しかった。でも、全額返金処理をしてもらえるんだし、むしろラッキーと納得するしかなかった。

 そう。僕はむしろラッキーなのだ、と。

(了)




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