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【読書コラム】「逃げてもいい」のその先へ - 『非・バランス』魚住直子(著)

 子ども向けの読書会で扱う本を探していると、いい内容なんだけど、ちょっと難しかったり、長かったり、うまいこと扱えない作品が出てくる。

 以前、紹介した『トレモスのパン屋』という本もそのひとつだった。

 わたしは漫画やゲームが好きな子どもだったので、児童書をあまり読んでこなかった。本が好きになったのは中学生の頃。塾の先生からカフカの『変身』や小林秀雄の『考えるヒント』を勧められ、図書館で借りてみたら抜群に面白く、一気にハマってしまった。

 だから、三十歳を過ぎ、いまさらながら後追いの形で児童書を読んでいるのだけど、こんなにも素晴らしい作品にあふれていたのかと日々、驚いている。もっと早く読んでおけばよかった!

 で、最近は『非・バランス』という本を知った。子どもたちと一緒に読むには長いけれど、ぜひ、みんなに読んでもらいたいと感じる一冊だった。

 主人公は中2女子。小学生の頃、仲がいいと思っていた相手からイジメられたつらさから、引っ越した先の中学校では友だちを作らず、クールに振る舞うと決めていた。愛想の悪さから陰口を言われているのは知っているけど、それでいいと思っていた。

 だけど、ある日、勘違いで社会人のお姉さんと出会い、彼女は本当の自分を出せるようになっていく。お姉さんは子どもの頃から洋服を作るのが得意らしく、いまは服飾の会社で働いてる。

 自分もこういうカッコいい人になりたい。憧れが高まり、彼女の人生が好転する一方、お姉さんはお姉さんで大きな悩みに直面していた……。

 逃げることが肯定されて久しい。

 かつては学校や会社で嫌なことがあっても、我慢して通い続けるのが常識だった。逃げることは敗北であり、人間として情けない振る舞いとされていた。『新世紀エヴァンゲリオン』の「逃げちゃダメだ」というセリフは強い力を持っていた。

 その空気が変わったのはいつからだろう。感覚としては2011年3月11日の東日本大震災が大きかったように思える。

 あの頃はまだスマホが普及していなかった。総務省が発表している情報通信白書によれば、スマートフォンの世帯保有率は2010年末で9.7%だったらしい。

 すでにSNSは広まっていたけれど、ガラパゴス携帯で震災に関する情報を得るのは難しい。多くの人がテレビで震災の様子を目にしたはず。また、原発事故を巡る憶測も広がり、逃げることの重要性が浮き彫りになっていった。

 釜石の奇跡として、「津波てんでんこ」という言葉も知られるようになった。危険が目の前に迫っているときは指示を待つのではなく、てんでんばらばら、それぞれが急いで逃げろというもの。

 少なくとも、わたしは311に関する報道を通して、自分の中で価値観がアップデートしていく実感があった。

 2016年には『逃げるは恥だが役に立つ』がドラマ化し、星野源が歌う主題歌『恋』ともども大ヒットを記録した。同年、内閣府が公表したデータに基づき、18歳以下の自殺率が9月1日の急増することが判明し、夏休み明けに無理して学校に行くことはないという呼びかけが広がった。

 気づけば、逃げることは手段として推奨すらされている。碇シンジくんの「逃げちゃダメだ」のシーンをいま見ると、なぜあんなに追い込まれているのか、わからなくなってしまう。

 このこと自体は喜ぶべきことだと思う。というのも、無理をしておかしくなってしまったら、元も子もないから。逃げても大丈夫というムードは困っている人たちの助けになっている。

 わたし自身、去年、適応障害で休職したのだけど、まわりにも同じ経験をしている人が多くいるとわかり、けっこう安心した。もし、あのとき、「逃げちゃダメだ」と自分で自分を責めたり、まわりから責められたりしたら、心が壊れていただろう。

 ひとまず、逃げることで人生は終わらずに済む。そのことはなによりも素晴らしい。

 ただ、同時に新たな問題も生じてくる。人生は続くということだ。

 実際に逃げて、どうしようもない状態を抜け出た現在、これからどうしたものかと違う種類の悩みに直面している。具体的には、どうやって生きていけばいいのだろうという問いであり、要するに、これからの仕事について考えると不安でいっぱいになってしまう。

 逃げてきたということは、飛ぶ鳥跡を流す状態なわけで、もとの仕事に戻ることは難しい。かといって、新しい職場を探すにも前回の失敗からいろいろ躊躇してしまう。

 現在はありがたいことに、縁のある人たちから細々とした仕事をもらえているので、一応、食ってはいけているのだけど、果たして、それもいつまで続くかと考えたら危機感があふれてくる。

 小説『非・バランス』を読んでいて、小学校のイジメから逃げ出し、知り合いが一人もいない中学校では傷つかないために誰とも関わろうとしない主人公に自分が重なった。

 そうなんだよね。逃げたからって、すべてが解決するわけじゃないんだよね。

 そんな彼女にとって、ひょんなことで知り合った大人の女性がサードプレイスの役割を果たし、逃げた後の人生を再建していく姿からは勇気をもらった。同時に、お姉さんにとっても彼女はサードプレイスで、日頃の悶々とした思いと向き合えるようになる展開は胸熱だった。

 調べると1996年に講談社児童文学新人賞を受賞しているようだ。30年近く前に「逃げてもいい」の先をこれほど真正面から描いた作品があったなんて。

 わたしがやっている読書会も、子どもたちにとってサードプレイスになっているのかもしれない。みんな、ブロスタというスマホゲームに夢中だったり、K-popの話をしたかったり、本を読むというより部活帰りの溜まり場状態になっているけど、なにかしら意味があるといいなぁ。少なくとも、社会人復帰できず、家庭でも肩身の狭いわたしにとって、その読書会はサードプレイスになっている。

 だから、たぶん読んでくれないような気はするけど、『非・バランス』が面白かったと紹介するだけしようと思う。いつか、誰かしら手に取る機会があるかもと信じて。




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