渡辺誓子/blue space in life

ヒト・地球・自然と共に「循環する」「素直に生ききる」をテーマに人生をうごかしている、私…

渡辺誓子/blue space in life

ヒト・地球・自然と共に「循環する」「素直に生ききる」をテーマに人生をうごかしている、私のページ。 ライフコーチングしています。自分の人生そのものから、日々起こる微細な感情感覚まで、少しずつ一緒に私と一緒に紐解いていきませんか?

最近の記事

エゴなのか、本来の自分からなのか

ふわふわーとしてる最近の自分。 自己承認欲求の塊のような態度をとることもあれば 塩対応のような態度をとることもあれば くるくる、くるくるしている気がする。 胸に手を当ててみる。 これが私なのか? 承認欲求からの弁解はない自分に気づく。 愚痴るときは愚痴る私が居る。 止まった方が良いと決めたら、止まる自分が居る。 なーんて書いてても、自分を自己正当化している気がする。 誰かを羨ましいと思う。 仲間外れにされてるように思うときは、とことん妬んでいるような気もする。 それ

    • 相手にフィルタをかけた発言をされると、拒否反応が起きる件

      久々のnote投稿だけど、うずきから。 あの人は、、、だから。この人はxxxだから。 自分がそう思ってない人に、フィルターをかけて話されると不快な気持ちになる。 話された人にとっては、「そう思ったよ(今は違うけどね)」という、()が伝わらないときなんて、かなり悪。 この()が伝わらないのは、コミュニケーションが薄かったり、反応が受け取りづらいときに起きる。 文字のみのコミュニケーションだったり、そんなに何度もその人とキャッチボールしてないときに。 私にとってこの気持ちの源

      • PCカチャオさんと心の膜

        20年くらい前に、大手のベンダーさんに常駐していて、比較的大きなシステムの一部を担当していた。 共通機能の改修があると、それを使う担当の人には説明会があった。わざわざ口頭で説明しなくても良いレベルの説明会には、メモ帳だけ持っていってた。 ただ、そんな昔であれ、PCをカチャカチャしてメモを取る輩も数名居た。そんなにカチャカチャ要るかね?カチャカチャから、的を得ない質問やそんなに細分化要るかね?という質問が飛ぶ時もあった。私はカチャオさん、と呼んでいた。 時代が進み、コロナ

        • 2024年

          能登半島で起きてる地震について、心から想いを馳せて祈ってます。 天赦日ということで、いろんなことを始めたりすると良い日らしい(あれ、確かそう)。 ひとりひとりが素直に生きる。そして、全生命が深くつながる。今ここから。 自分の人生の真ん中を携えて今を生きます。 あなたの今はどんな今ですか?

        エゴなのか、本来の自分からなのか

          振り返る場所があるということ

          秋口から、noteで少しずつ書くようになり、12/30くらいから今年を振り返っていました。 気づくと振り返りソースが色々あることに気づきました。 ①一言日記を旧暦の昨年から書いていて、2冊目。 ②iphoneのスケジューラ(誰に会ったかを確認した) ③ジョギングで使っているアプリ ④体重アプリ 特に、①日記帳と④体重アプリは、自分が怠る(もしくは④は乗りたくない日もある・・・)と振り返れなくなります。 ①日記帳は正直一気に書く日もあったり、空きがある日もちょっとはある。 ④

          振り返る場所があるということ

          自分をだますということ

          最近過食気味で、この傾向を自分で知りたいなと思っている。 過食になると、大体添加物のお菓子を食べたくなる。本当に底なしに食べる。 食べると眠たくなるので、がっつり寝る。 ランナーなのに動きたくなくなる。筋トレもご無沙汰だ・・・orz こりゃまずい。 去年不思議と痩せることに成功し、この1年は何とかコントロールしていた。すごい。それがあるからこそ、食べてしまう自分に違和感を抱えている。 別の視点で、在る方の投稿を見て。自分の昔を思い出せて、はっとしたので今日の投稿になっている

          自分をだますということ

          「自分」で生きると生きづらい人も居る

          小学生時代が思い出せなかったんですが、とあるきっかけがあって思い出せるようになりました。そこには、「自分」がめちゃくちゃ詰まっていた。 好きなことにめちゃくちゃ熱くて、恐らく周りには迷惑であろうくらいな自分。 小学校高学年の「ライオンズ」好きと、Kanさん好きに詰まっていました。 多分、当時のクラスメイト、いや学年全体(3クラス)で私がライオンズが好きで、Kanさん好きがわかっていたかもしれない笑 エピソード1、ライオンズ 当時は秋山・清原・デストラーデのAKB砲で無敵な

          「自分」で生きると生きづらい人も居る

          とっておき。

          noteで個人の趣味のことをかかないようにしようと決めてましたが、ここだけは私の人生に通り過ぎることができないから。 言葉に出したいと思いました。 KANさんが、地球での生を離れました。 奥さまがご葬儀のとき、別の星に行った、と仰ったと聞きました。 思えば、あんな才能の塊のような人が、リアルに30数年同じ空間に居て、毎週ラジオで声を聴かせてくれたことが、ありがたくて奇跡のようなこと。 出会った当時小学校6年生だった私にとって、思春期時代1番影響を受けた存在。 独特なダジャ

          タイミングが合わないと考えるか、今は別のことが大事だというサインと捉えるか

          1時間のうち4回くらいそんなタイミングに出会っている。 ・初めてオファーが来たのに、限定数名ですぐ締め切られちゃった!とか ・レンタサイクルの予約、直前まで返す駐輪場あったのに借りた瞬間満杯になってた!などなど。 がっかり、は反射的に起きるものと、じわじわと起きるものがありそう。 いづれも今日はこれも経験だな、と思うことがいっぱい。 自分をどんどん、どんどん惑わすときには私には何が起きてるだろう? ・大切にあっためてたことなのにうまくいかなかった ・せっかく、、、したのに、

          タイミングが合わないと考えるか、今は別のことが大事だというサインと捉えるか

          言葉に出してみて気づく違和感

          文章を書いてみて、声を出して話すことを比較的やっていたこの土日。 今は気持ちがなにかアウトプットしたくなるらしい。やれるところまで続けよう。 ただ。 話すときに、あれ?こんなこと言ったけどそれって本当の私の中から話せているかな? とか。 文字に起こしてみて、あれ?なんかそっちの方の話に気持ちが傾いてるわけじゃないのに、あれ? みたいなことにも気づいた2日間。 このズレってどこから来るんだろう? 今の所の考察を書いてみる。 ・眠いときに無理やり話してるとき。 特に夜時間が苦

          言葉に出してみて気づく違和感

          コーチということ

          私は自分の人生そのもの、動き出すためのノウハウというよりかは価値観、本当に大事にしたい願いを伴走するライフコーチをしています。 久々に、ジョギングの動き作りトレーニングをしたくて、コーチにお願いしました。 ライフコーチの範囲の気持ちを整えるコーチングは、コーチ同士の練習会含め継続して受けているが、あることのノウハウに特化したコーチは久しぶり。 とてもライフコーチの自分の在り方や行動に響きました。 お願いしたコーチは、数年前の走りを知っている方なのですが、なんとなく当時のフ

          言葉にすることを諦めない

          私は断然体感覚が優位なタイプ。 心は言葉を超えない。曖昧なことほど、言葉に出せない。 だけどやっぱり、言葉にすることを挑戦したい。 大好きなライターさんのnote記事を見るたび、そう思う。 そして、理由あって自分を思い返す時間をもらえたとき、その気持ちが湧いてきた。 私が経験を通じて大切にしてることは、 同じ方向を向いて進むときのワクワク感。 逆を言うと、方向性が合ってるかわからないときは、不安でどうしようもなくなる。 例え今見えない道であっても、あっちがわかればいい。

          言葉にすることを諦めない

          焦りはどこから生まれるのだろう

          11月。 なんか、いろんなことがある気がして ワタワタ、ワタワタしてる。 焦りは私の中のサインだ。 見えない未来がもどかしくて、けど近くに迫ってて焦る。 あれもある、これもあると思ってしまって焦る。 うわついてる感覚。 不安。 色々持ちすぎでやりすぎなこの感覚。 ここまで来ると逆転の発想も見えてきた。 全部の時間にトライする。 また、何を手放してスペースを作るのか。 自分の中で判ってる気もするけど、それに踏ん切りのつかない自分。 そして。 そんな自分に向き合う自分

          焦りはどこから生まれるのだろう

          10月の終わり

          どんな1ヶ月でしたか。 自分をまっすぐ見れましたか。 辛いときは辛いと言えましたか。 見えない壁ができたり、それに対峙できないときはありましたか。そのこと自体に、今向き合うと、どんな感情、感覚が生まれますか。 明日から、いや今からの道に、どうつながりますか。 全部私自身への問い。

          今に生きるということ

          ジョギングを初めて12年ほどになります。フルマラソンも年に一回程度出場。 昨日は金沢マラソンに初参加してきました。 マラソンなんて何が楽しいの? よく言われる言葉。 私も正直、なんでエントリーしてるかわからない時間も沢山ある。 最近のマラソン生活で思うことを書いてみる。 大抵、レース中に頭で計算してうまく行ったことがない。 もちろん、始まる前は食事だったり気をつけられることはできるだけ気をつける。 特に大会になると、そのときの自分が言わば丸裸になってしまうのだ。 序盤で

          今に生きるということ

          休息の間に

          10月11月は少し休息モード。ただ、表面的には回転する日々が続いてる。 こんなときの方が大事な記録だよね。記録すら辞めがちな自分を少し整えながら、言葉の記録を再開してみようかなと思いました。 常に右肩上がりで、工場のモーターのようにエンジン全開なのを無意識なうちに是としてしまっているんだろうな。 ただ、生命は生きている。 冬眠してても、生きている。 そして、冬眠してるときも、周りに何か生きているエネルギーが発している。 内側から表すことを大事にして、それをありのままに