渡辺誓子/blue space in life

ヒト・地球・自然と共に「循環する」「素直に生ききる」をテーマに人生をうごかしている、私…

渡辺誓子/blue space in life

ヒト・地球・自然と共に「循環する」「素直に生ききる」をテーマに人生をうごかしている、私のページ。 ライフコーチングしています。自分の人生そのものから、日々起こる微細な感情感覚まで、少しずつ一緒に私と一緒に紐解いていきませんか?

最近の記事

母校での初プチリトリート

40歳を過ぎてこのままじゃダメだ!と思い 当時は自分のリーダーシップ力を高めたいと言うのと、写真にある車座に座る対話の場がとても気になって門戸を開いた、ファシリテーション塾。 自分の大切にしたいことって改めてこれだったのか? タスクをゲームのようにこなしつつ得られる達成欲を満たすことでしか快感を得られてなかった私に 自分への矢印がやっと向くようになったきっかけをもらった場所でした。 5月に塾長に会いたくなり、そしてこの場所の人たちと何かしたい、とリトリートを企画。 ぜー

    • SNSやメッセンジャーで交わす言葉と、対話と

      オリンピックではSNS問題がまた取り沙汰されているのを目にした。 誹謗中傷。 言葉は時に暴力だけど、何かを呟いたり気軽なやり取りには大変便利なツールたちが今は揃ってる。 いや、やり取りできればいいんだけど、いくつか困った事例がある。 1、送る側が好きな時間にポストして、自分だけがすっきりする場合。 2、好きな時間にポストして、誰かに好意的な反応を待ってしまう場合。逆に否定的な反応を喰らって、どんどん炎上する場合。 そのとき瞬間に伝えたい感情は、言葉にしてポストした瞬間に過

      • それぞれの場

        頑張ってチームになろうとして、合間を縫うようにテキストコミュニケーションを中心に、たまに対話をする場所と テキストコミュニケーションは告知と終わった後の所感だけで、対話の場に集中した場所。 私は結果よりプロセスが何より大事だと思っているが、 なんとか言葉を駆使して、細かい感情を読み取ろうとする前者よりは、相手の口調や、場のトーンを感じられる後者の場の方が、圧倒的に対話と人と人とのつながり、一人一人の深化を感じやすいな、と。 前者には、いわゆる説明の時間が増えて、すごく時間が

        • 団体活動をするうえで思い出したこと

          大学のときは、応援部吹奏楽団におり 4年になるときの幹部役職決めは、3年次の後半に自分たちで決めて、そのときの1つ上の先輩の承認をもらう。 同期どおしでも、1つ上の先輩に出すときもかなり揉める。 あいつはここがダメだからこれはやめたほうがいいとか、1つバランス崩れるとこの役職はあっちに、、玉突きもある。ひとりひとりに必ず矢が向いた。先輩にも言われる。 自分の代も、1つ下も、最後の最後まで徹夜だった。 事柄ばかりで突き刺さってるのかそうでないんだかわからん人もいれば、静かに受け

        母校での初プチリトリート

          エゴなのか、本来の自分からなのか

          ふわふわーとしてる最近の自分。 自己承認欲求の塊のような態度をとることもあれば 塩対応のような態度をとることもあれば くるくる、くるくるしている気がする。 胸に手を当ててみる。 これが私なのか? 承認欲求からの弁解はない自分に気づく。 愚痴るときは愚痴る私が居る。 止まった方が良いと決めたら、止まる自分が居る。 なーんて書いてても、自分を自己正当化している気がする。 誰かを羨ましいと思う。 仲間外れにされてるように思うときは、とことん妬んでいるような気もする。 それ

          エゴなのか、本来の自分からなのか

          相手にフィルタをかけた発言をされると、拒否反応が起きる件

          久々のnote投稿だけど、うずきから。 あの人は、、、だから。この人はxxxだから。 自分がそう思ってない人に、フィルターをかけて話されると不快な気持ちになる。 話された人にとっては、「そう思ったよ(今は違うけどね)」という、()が伝わらないときなんて、かなり悪。 この()が伝わらないのは、コミュニケーションが薄かったり、反応が受け取りづらいときに起きる。 文字のみのコミュニケーションだったり、そんなに何度もその人とキャッチボールしてないときに。 私にとってこの気持ちの源

          相手にフィルタをかけた発言をされると、拒否反応が起きる件

          PCカチャオさんと心の膜

          20年くらい前に、大手のベンダーさんに常駐していて、比較的大きなシステムの一部を担当していた。 共通機能の改修があると、それを使う担当の人には説明会があった。わざわざ口頭で説明しなくても良いレベルの説明会には、メモ帳だけ持っていってた。 ただ、そんな昔であれ、PCをカチャカチャしてメモを取る輩も数名居た。そんなにカチャカチャ要るかね?カチャカチャから、的を得ない質問やそんなに細分化要るかね?という質問が飛ぶ時もあった。私はカチャオさん、と呼んでいた。 時代が進み、コロナ

          PCカチャオさんと心の膜

          2024年

          能登半島で起きてる地震について、心から想いを馳せて祈ってます。 天赦日ということで、いろんなことを始めたりすると良い日らしい(あれ、確かそう)。 ひとりひとりが素直に生きる。そして、全生命が深くつながる。今ここから。 自分の人生の真ん中を携えて今を生きます。 あなたの今はどんな今ですか?

          振り返る場所があるということ

          秋口から、noteで少しずつ書くようになり、12/30くらいから今年を振り返っていました。 気づくと振り返りソースが色々あることに気づきました。 ①一言日記を旧暦の昨年から書いていて、2冊目。 ②iphoneのスケジューラ(誰に会ったかを確認した) ③ジョギングで使っているアプリ ④体重アプリ 特に、①日記帳と④体重アプリは、自分が怠る(もしくは④は乗りたくない日もある・・・)と振り返れなくなります。 ①日記帳は正直一気に書く日もあったり、空きがある日もちょっとはある。 ④

          振り返る場所があるということ

          自分をだますということ

          最近過食気味で、この傾向を自分で知りたいなと思っている。 過食になると、大体添加物のお菓子を食べたくなる。本当に底なしに食べる。 食べると眠たくなるので、がっつり寝る。 ランナーなのに動きたくなくなる。筋トレもご無沙汰だ・・・orz こりゃまずい。 去年不思議と痩せることに成功し、この1年は何とかコントロールしていた。すごい。それがあるからこそ、食べてしまう自分に違和感を抱えている。 別の視点で、在る方の投稿を見て。自分の昔を思い出せて、はっとしたので今日の投稿になっている

          自分をだますということ

          「自分」で生きると生きづらい人も居る

          小学生時代が思い出せなかったんですが、とあるきっかけがあって思い出せるようになりました。そこには、「自分」がめちゃくちゃ詰まっていた。 好きなことにめちゃくちゃ熱くて、恐らく周りには迷惑であろうくらいな自分。 小学校高学年の「ライオンズ」好きと、Kanさん好きに詰まっていました。 多分、当時のクラスメイト、いや学年全体(3クラス)で私がライオンズが好きで、Kanさん好きがわかっていたかもしれない笑 エピソード1、ライオンズ 当時は秋山・清原・デストラーデのAKB砲で無敵な

          「自分」で生きると生きづらい人も居る

          とっておき。

          noteで個人の趣味のことをかかないようにしようと決めてましたが、ここだけは私の人生に通り過ぎることができないから。 言葉に出したいと思いました。 KANさんが、地球での生を離れました。 奥さまがご葬儀のとき、別の星に行った、と仰ったと聞きました。 思えば、あんな才能の塊のような人が、リアルに30数年同じ空間に居て、毎週ラジオで声を聴かせてくれたことが、ありがたくて奇跡のようなこと。 出会った当時小学校6年生だった私にとって、思春期時代1番影響を受けた存在。 独特なダジャ

          タイミングが合わないと考えるか、今は別のことが大事だというサインと捉えるか

          1時間のうち4回くらいそんなタイミングに出会っている。 ・初めてオファーが来たのに、限定数名ですぐ締め切られちゃった!とか ・レンタサイクルの予約、直前まで返す駐輪場あったのに借りた瞬間満杯になってた!などなど。 がっかり、は反射的に起きるものと、じわじわと起きるものがありそう。 いづれも今日はこれも経験だな、と思うことがいっぱい。 自分をどんどん、どんどん惑わすときには私には何が起きてるだろう? ・大切にあっためてたことなのにうまくいかなかった ・せっかく、、、したのに、

          タイミングが合わないと考えるか、今は別のことが大事だというサインと捉えるか

          言葉に出してみて気づく違和感

          文章を書いてみて、声を出して話すことを比較的やっていたこの土日。 今は気持ちがなにかアウトプットしたくなるらしい。やれるところまで続けよう。 ただ。 話すときに、あれ?こんなこと言ったけどそれって本当の私の中から話せているかな? とか。 文字に起こしてみて、あれ?なんかそっちの方の話に気持ちが傾いてるわけじゃないのに、あれ? みたいなことにも気づいた2日間。 このズレってどこから来るんだろう? 今の所の考察を書いてみる。 ・眠いときに無理やり話してるとき。 特に夜時間が苦

          言葉に出してみて気づく違和感

          コーチということ

          私は自分の人生そのもの、動き出すためのノウハウというよりかは価値観、本当に大事にしたい願いを伴走するライフコーチをしています。 久々に、ジョギングの動き作りトレーニングをしたくて、コーチにお願いしました。 ライフコーチの範囲の気持ちを整えるコーチングは、コーチ同士の練習会含め継続して受けているが、あることのノウハウに特化したコーチは久しぶり。 とてもライフコーチの自分の在り方や行動に響きました。 お願いしたコーチは、数年前の走りを知っている方なのですが、なんとなく当時のフ

          言葉にすることを諦めない

          私は断然体感覚が優位なタイプ。 心は言葉を超えない。曖昧なことほど、言葉に出せない。 だけどやっぱり、言葉にすることを挑戦したい。 大好きなライターさんのnote記事を見るたび、そう思う。 そして、理由あって自分を思い返す時間をもらえたとき、その気持ちが湧いてきた。 私が経験を通じて大切にしてることは、 同じ方向を向いて進むときのワクワク感。 逆を言うと、方向性が合ってるかわからないときは、不安でどうしようもなくなる。 例え今見えない道であっても、あっちがわかればいい。

          言葉にすることを諦めない