SNSやメッセンジャーで交わす言葉と、対話と
オリンピックではSNS問題がまた取り沙汰されているのを目にした。
誹謗中傷。
言葉は時に暴力だけど、何かを呟いたり気軽なやり取りには大変便利なツールたちが今は揃ってる。
いや、やり取りできればいいんだけど、いくつか困った事例がある。
1、送る側が好きな時間にポストして、自分だけがすっきりする場合。
2、好きな時間にポストして、誰かに好意的な反応を待ってしまう場合。逆に否定的な反応を喰らって、どんどん炎上する場合。
そのとき瞬間に伝えたい感情は、言葉にしてポストした瞬間に過去のものにもなってる。なのにやり取りが時間をおいて発生する。
言葉は大体理解を求めると濁るし、
旬なものじゃないから、もっと思い込みや邪推が双方に入ることがある。
私の母は、私が生まれる前から精神疾患があり、不安定になる時期がある。その回復途上に投げるのが、1のパターンの手紙だ。昔の友達、親戚、私の小学校時代の友達のお母さんなど。
この反応に理解できる人は亡き祖父母と、今では二人の叔母くらいだ。(一人は血縁関係はない、父の兄のお嫁さんなので、その方にはとても頭が下がる)
『もう連絡してこないでください』とか、手紙をそのまま返されたりとか、そんな現場を何度も見ていて、私の人間関係まで悪くなる気がして、大学より上からは、私は母に友達を紹介したことはない。
突然来る一方向のコミュニケーションは、私にとっては焼夷弾に近い。
とはいえ、私も母の血を引いてるからか、言葉の暴力に言葉で長々と応対したりすることもよくある。
(方向性が割と合ってる人と文章で長々会話するのは問題ないが、合ってない人とやりとりするのは本当にしんどい。
先日も私が折れて真実ではない回答をして、相手は喜んだが、マジで疲弊した)
だけど、もうやめよう。最近周りでそういう現場を見ていて本当にそう思う。
ありがたいことに目も見えるし口も聴ける。顔を見て対話できるツールだってある。
私の本職はIT業だが、10年ほど前の上司が、顔を見て話すことを口を酸っぱくして言っていて、その人のことを思い出した。会社では、それは後輩には言ってる気がする。
その上司の言うことを割とすんなり聞けたのは、なんとなく今の会社に入ってからは、抽象度の高いことや人との関わりも増えたから、メールしたら電話して、相手に本当に伝わってるかは確認するようにしてた。体感覚的に自分はそうしたい。
teamsとかslackが横行するようになり、お客さま側も上手に使えるようになってきてると、本当に文字だけになってるなって感覚もある。
けど、大事なこと、急なことはやっぱり声に出して会話したい。
会社なら会話でいいけど、大事な人たちとはちゃんと対話したい。
その原点に立ち戻る今日この頃なのである。