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「自分」で生きると生きづらい人も居る

小学生時代が思い出せなかったんですが、とあるきっかけがあって思い出せるようになりました。そこには、「自分」がめちゃくちゃ詰まっていた。

好きなことにめちゃくちゃ熱くて、恐らく周りには迷惑であろうくらいな自分。
小学校高学年の「ライオンズ」好きと、Kanさん好きに詰まっていました。
多分、当時のクラスメイト、いや学年全体(3クラス)で私がライオンズが好きで、Kanさん好きがわかっていたかもしれない笑

エピソード1、ライオンズ
当時は秋山・清原・デストラーデのAKB砲で無敵な時代。子供ファンクラブに入って、月に1回親に西武球場まで連れてってもらって、時にお友達2人くらいを引き連れて行っていた。夏休みの自由研究も、野球の記事の切り抜きを集めたものを作ったり。
当時の日本シリーズは平日昼間(思えば、今は外のスタジアムなのに集客狙いか夜の試合、10月末に寒くないのかなって思う感じ。ある意味選手ファーストでしたね)、平日学校を休んでまで野球を見ることは(暗黙的に)許されてはいなかったので、ウズウズ、うずうず。
日本シリーズのある昼間に、1時間自習の時間があって、先生に直談判して放送のラジオ聞かせてもらうことに・・・そんなん興味ないクラスの子もいたろうに、本当になんだか迷惑な猪突猛進っぷり笑

エピソード2、Kanさん
愛は勝つ全盛時に6年生。当時はその他プリプリの「M」や、米米クラブなど。卒業アルバムの「好きな歌手ランキング」に頑張ってKANさんを推して1位になったような笑

大人になって、なりふり構わず趣味を明かすことはトントしなくなってしまった。(ただ、どうもKANさんについては滲み出ているらしい笑)
好きなことには猪突猛進。もしかすると、本当に好きなことってそんなに多くないのかな?それにしても、それを純粋にいろんな人を巻き込むことがなくなっている。どちらかというと、自分がすることに自信は全くなく、姿を消せる。
ただ、周りが純粋に思ってること、やりたいことははっきりと応援してる。
けど、自分の応援はしてない。ユニークな自分を認めたくなくて、そして何よりそれを出して反応する周りを見たくないからだ。

「自分」で居ることに留まることがこうも難しいなんて。
こう書いてて、もしかしたら誰しもそうなのかな。

「僕が僕であるために」 ちょっとは僕で居れるけれど、そこに居続けることってなんて大変なんだろう。そこにトライしてみて何が起きるだろう。試す日々が続く。

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「自分自身を素直に生ききる」が私の人生のテーマです。素直とは、思ったこと感じたこと、素直さで嘘をつく場面があってもいいと思う。そんな人を増やしたい。もし、なにかひっかかりがあれば、私のコーチングを受けませんか。無料体験セッション、募集中です。
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