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”俗人どもの評価なんて関係ない!”っていう系。分かっちゃいるけど、やめられないよ、とまらないよ、心動いちゃうよ。

またまた「中国古典名言辞典」より。
只今、「荘子」のところ。

猶然ゆうぜんとしてれを笑う。

宋栄子そうえいしという人は、たいへん達観しており、世の中の人々がちょっと得意な境遇になったり、ある官職についたりして喜んでいるのを見ても、ただ超然として笑っていた。
すなわち、俗輩のことなど、真の自分には無関係だ、という人生態度をあらわしている。

・俗輩→学問もなく、風流を解さない世間のふつうの人たち。俗人ども。凡俗な者ども。(コトバンクより

世をこぞってれをむれども、すすむることをくわえず。世を挙って之れをそしれども、はばむことを加えず。

宋栄子そうえいしという人は、世間中がこぞって自分をほめたからといって、それで大いにはげみ勇んで仕事をすることもない。反対に、世をあげて自分をけなしても、そのために、意気いきがくじけるかといえば、そういうこともない。つまり、彼は、世の毀誉褒貶きよほうへんについて心を動かさなかった。

まあ、そういう風に装うことはできるけど。
実際のとこどうなんかな。
むずいっすよ~。

分かっちゃいるけど、やめられない的な感じで、
やめられない、止まらない的な感じで、
どうしても、心動いちゃうと思うけどな~。

修行か、鍛錬か…。


ちな、ここで出てくる「宋栄子」さんは、この人か↓

以下、Wikiより。

「前4世紀~前3世紀頃。古代中国戦国時代の諸子百家の一人。孟子と同時期に活動。諸子百家の一人だが、どの家に属するのか判然としない。人間の心・感情について論じ、ある種の平和主義を説いた」

見侮不辱けんぶふじょく?、すなわち「他者から侮蔑されても、「辱」と思わない・「辱」ではない」。その実践は、感情を停止し、情動を抑制し、心を動揺させず、怒りを捨て去り、意欲・欲求をほぼ無にするということである」

そんな感じの人みたい。


でも、本当にそんな精神になれるんだろうか。
褒められても、侮辱されても、心動かさない。
なんだか…人間味が無いような気もするが…。

まあ、そこまで徹底的でなく、
そこそこの不動心でどうかな。
出来るだけ冷静に反応する。

ふと思ったけど、
大切な友人知人に、サプライズしてもらった時どうする?
やっぱ、喜んだフリの一つでもせんとなー。

なんか話ずれたか。
そういうことじゃないのか。
毀誉褒貶。褒められたり、馬鹿にされたりした時か。

まあ、とにかく、
いちいち世間の評判を気にし過ぎないように。
さらっと流す。

ということで。
掃除荘子しよ。
心の。

不動…つながりで。
「のうまく さんまんだ ばさらだん せんだ 
まかろしゃだ そわたやうんたらた かんまん」



★\(^^)/☆

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