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電子書籍にない「書の個性」とは-製紙工場で働く人の想いを知る-

佐々涼子『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』

衝撃的に良くて、
気づいたら忘れないように感想を記していた。

 東日本大震災が起きた当時、私はまだ小学6年生で、その日は卒業式の予行練習の真っ最中だった。

練習の途中で体育館の警報が鳴った後、「宮城県沖で地震が起こった」と聞かされ、そのまま練習が再開されることなく、その日は先生の指示に従って帰ることになった。

当時は、またいつもの地震だろと思っていたが、授業途中で強制的に下校をさせられたことから、もしかしたら何か危険なことが起きているのかもしれないと、小学生ながら感じ取ったことを今でも鮮明に覚えている。

友達といつものように下校して家路に着くと、ちょうどテレビが付いていた。どこもかしこも緊急地震速報のニュースばかりでつまらないなあと思いながらしばらく眺めていると、急に一軒家がとてつもないスピードで濁流に流されていく様子が映し出された。何が起こっているのか全然分からないまま、東北の景色が見るも無残に変化していく姿をただ画面越しに見ていることしかできず、そこで初めて事の重大さを思い知らされたのだった。

そんなことを振り返りながら、この本を読んでいた。

あれからもう10年と考えると、時の流れは本当に早い。



 私は、この本で初めて、出版業に欠かすことのできない「紙」という存在が東北地方で作られていることを知った。

この本でもプロローグの部分の

「ライターの私も、ベテラン編集者の彼女も、出版物を印刷するための紙が、どこで作られているのかまったく知らなかった」
「これだけ紙を使って商売しているのに、不足してみないと、何も知らないことにすら気付けないなんてね。電子書籍よりやっぱ紙だよねなんて偉そうなこと言っていても、どこで作られているのか知らないんだもの」

という佐々さんとベテラン編集者のやりとりが出てくるが、全くその通りだと思った。

電子書籍より紙の方が好きだと友人に豪語してきた私も、何をもって紙の本の魅力を語ってきたのだろうと思った。

装丁とか表紙とかそういった表面上の部分しか見ていなかった自分を恥ずかしく思った。

「誰も『この本の紙がどこから来たのか』と問おうとはしない」

この本はそんな普段陽の目を見ることのない、しかし決してなくしてはならない紙という存在の下で働く人たちとその復興の物語なのだと思った。



 私は、これまでこういったルポルタージュ作品を本で読むことに抵抗を持っていた。

なぜなら、正直つまらないものが多いからだ。

事実だけを述べられ、そこには当時の関わった人々がどういう気持ちで、何を考え行動していたのかという感情の部分が全く表現されていない。

だから読んでいてもつまらないと、ルポルタージュに対してどこか冷めたような偏見の眼を持っていた。

しかし、この作品は違った。

正直、読む前は、ただ震災の製紙工場で起こった悲惨な事実や備忘録だけが述べられているだけだろうと、そう思っていたが、そう思うことを恥じるくらい、そう思ってしまったことを後悔するくらい、読んでいて面白かった。

ここで言う「面白さ」とは、いかに自分の心が突き動かされたかという意味での「面白さ」としてあくまで捉えてほしいのだが、

冒頭の村上春樹の新刊の話からその後の地震と津波の悲惨さ、日本製紙石巻工場が津波に襲われた当時の状況、絶え間ない生活物資の不足とし尿の話、工場立て直しに向けての行動、日本製紙硬式野球部の話、この本が生まれるきっかけとなった早川書房の副社長の想いと居酒屋店主が見た被災地の治安の悪さなど、一章一章読む度に惹きこまれ、自分がこれまでニュース等では決して知る得ることのなかった石巻の現状が、そこにはリアルに記されていた。

本を読んでいて、嬉しくなったり、学ばさせられたり、感動したり、胸がキューッと苦しくなったりと、ここまで感情が目まぐるしく動かされたのは何年ぶりだろうと思った。

まるで一つの小説を読んでいるようなそんな感覚で気付いたらあっという間に読み終わっていた。



 どの部分も非常に印象深いが、中でも印象的だったのは、第4章の犠牲者となった方々の遺体回収の話だ。

この話におそらく胸を痛めない者などいないであろうと感じるほど、読んでいて最も胸が苦しくなった。

同時に、自然災害の恐ろしさを感じさせられた瞬間でもあった。

総務の中田課長が聞いた、子供も旦那さんも震災で亡くした奥さんの

「子どもがひとりで天国にいるのは、ひとりぼっちでかわいそうだと思っていました。でも、夫が一緒なら、きっとあの子もさびしくないですね」

という言葉。

自分がこの奥さんと同じ状況になった時、自分だったらどうしていただろうかと深く考えさせられた。

自分だったら一体何と言っていただろうか、この奥さんと同じことを言えただろうか、と。

しかし、いくら考えても、とてもじゃないけれどそんな強い言葉は言えないと思った。

いっそのこと一緒に死んでしまおうと思ったのではないかとも思った。

そう思うと奥さんの想いが身に染みるほど切なく、自分の精神状態を必死に保つための敢えての強い言葉のようにも聞こえた。


 日本製紙石巻工場にとっても出版社にとっても大事で単行本や各出版社の文庫本の本文用紙、コミック用紙を製造している8号抄紙機、通称「8号」が見事な通紙を見せた瞬間、私の喜びも一入だった。そして8号の親分とも呼ばれている佐藤憲昭さんが語った

「娘とせがれに人生最後の一冊を手渡す時は、紙の本でありたい。(中略)小さい頃から娘を書店に連れていくと、『おとうの本だぞ、すごいだろう』と自慢するんですよ」

と、娘の礼菜さんがお父さんに向けて言った

「本はやっぱりめくらなくちゃね」

という物語の最後の部分には、紙の本に関わる全ての人の想いが詰まっていると思った。

誰かに、自分がつくったものを形として渡すことができること、

たかが本であっても、そこにはちゃんと作品一つ一つに合わせた紙質が使用されていること、

何気ない一冊の本に見えても、私たち読者には計り知れなほど見えないこだわりがたくさん詰まっているということ。

だからこそ、自分の大切な人にちゃんと手に取って一ページ一ページしっかりめくって読んでもらうことの嬉しさを感じた。

製紙工場で働く人々に限らず、もっとたくさんの人にこの本を読んでほしいと思ったし、

私ももっとちゃんと本をじっくり観察して、今まで以上に一冊一冊を丁寧に扱おうと思った。


参考文献 佐々涼子『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』早川書房、2017年。

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