クリエイティブマネジメントのススメ5
クリエイティブは、はたして”お買い物”なのでしょうか?
■“お買い物”に気が付いた時
メディアバイイングという言葉はありますが、
クリエイティブバイイングという言葉を見たことがありません。
自分自身、企業の中に存在する企業内クリエーター&デザイナーとして、
パッケージデザインであれ、広告の企画であれ、自分で手書きをして
自分でデザインする・絵コンテで企画することを学びました。ですから
広告会社のクリエーターやパッケージデザイン制作会社のデザイナーと
仕事を共に作り上げる感覚が長く長くありました。
しかし、
ある時にクリエイティブもメディア同様に買い物なのではないだろうか?
と思うようになってしまいました。
それは海外赴任して、ASEAN各国のクリエーターと仕事をするように
なってからのことでした。
ASEAN各国は、タイランドならタイ語、ベトナムならベトナム語と、
各国、ほぼ母国語を持ち、制作スタッフは当然、母国語を使います。
私との会話は、何とか英語でしてくれるのですが、
やはりお互いに英語は外国語であるため、なかなか意思疎通が
上手く行きません。
また、自分自身も、各国の文化や風習・習慣に戸惑い、
さらに目の前で起こっている出来事でも理解する前提が違っていたりして
コミュニケーションの難しさをまざまざと感じてばかりいました。
これは、何でもかんでも日本の習慣風習の前提で見て、理解しようとする
ためと、何でもかんでも日本と比較することから始めてしまうことが
原因だと分かっていながらもなかなか出来ませんでした。
■気が付く現場1
そんなコミュニケーションギャップがあるので、
日本に居たときに感じていた広告を、デザインを一緒に作り上げる感覚が
なかなか得られないというものでした。
さらには、
食品なので“おいしそう”に感じる表現にはこだわりたいのですが、
誰に教わったのか、例えば粉末の調味料を振り出す際に、
普通に手で商品をもって振り出せばいいのに、わざわざ大がかりな装置を
作り撮影しようとするが時間ばかりかかって、また装置がスムーズな
動きを再現出来ないため、ななめらかに撮影することが出来なかったり、
具だくさんのスープを煮込んでいるシーンで、お玉の使い方が乱暴で、
お玉からスープの絡みがおいしそうで綺麗に見えなかったりと、
おいしさを演出する大事なシーンで納得が得られませんでした。
だいたいそういう時は、演出家に了承を取り付けて、
自分がやってみせることにしました。
普段から料理はしていたし、若いときにはクッキングスクールにも
通っていたので、料理の動きは身についていたし、
目にも焼き付いていて動きを再現することができたのです。
そんな撮影現場で、私がやって見せるとスタッフから“ワァ~”と
声が上がるようになりました。
極めつけの出来事は、ラーメンのTVCMを撮影する日でした。
スタジオに鍋底にたくさんのホースが付けられていた鍋が用意されていて
これは何をするのか?と不思議に思っていました。
ラーメンを煮るシーンの撮影の段になると、驚いた事に、
そのホースの半分の本数をスタッフ達が咥え、たばこで煙を送りだした
のです。残りのホースでは同じようにスタッフ達が空気を送り込み
煮立ったときの泡を再現しようとしていました。
言われなければ分からない感じで、凄いテクニックだな~と呆れながらも
感心し、ASEANのパワーは舐めたらヤバいな~と思いました。
でも、その撮影では納得がいかないので、鍋を火にかけてラーメンを煮て
自然なままで撮影して欲しいと依頼しました。
結局、演出家も編集の際、煮た方のシーンを選んでいました。
本物に勝るモノはないと感じてもらえたようです。
■気が付く現場2
さらに、パッケージデザインに使われる料理の写真を撮影する時にも、
初めて見たときは驚くモノがありました。
ある調味料のデザインに使用するメニューを撮影する現場に行くと、
スタッフ二人がピンセットを持って、野菜とお肉をお皿に盛り付けて
いました。
1時間以上かけて盛り付けが完了し、カメラマンがシャッターを
切ったら、撮影を終えようとするのです。
そこで私は「One More」と発言したらカメラマンはじめ
多くのスタッフから「何で?」という眼差しを受けました。
私がそこでスタッフに説明したのは、
今撮影したお料理が最高の盛り付けと呼べますか?と話しましたが、
全員理解が出来ない様子でした。
なので、
ピンセットで盛り付けた料理をフライパンに戻し、
軽く炒め、新しい皿にささっと盛り付けて
正面を決めて、若干野菜と肉を箸で整え、
カメラマンに撮影をお願いしました。
その撮影が終わると、さらに同じ事を何度も繰り返したのです。
6回ほど繰り返した後に、
最初のピンセットで盛り付けた料理写真も合わせて、
大型の液晶画面に並べて、スタッフ全員でどれがおいしそうに
感じるのか、投票したのです。
案の定、誰一人、最初にピンセットで盛り付けた料理写真を
選びませんでした。
つまり、作為的に作った盛り付けは不自然と感じられるので
選ばれなかったのです。
これは、人間は普段から何度も何度も自然に盛り付けられた料理を
見て慣れているので、ちゃんと不自然を感じ取ることが出来るのです。
このプロセスを何度か続けたら、
このカメラマンとスタッフは完璧にプロセスを習得し、その後の撮影では
私がその撮影スタジオに着いたときには、何点か撮影を済ませている
ようになりましたし、投票方式も定着しスタッフみんなが納得し
安定的な写真のクオリティを得られるようになりました。
上記の出来事は、得たいクオリティは自分自身が求めなければ
得られないということを示しています。
結果的に一緒に作り上げるのですが、それは何のためにするのか?
をちゃんと持ち共有しなければいけないのだと思います。
■気が付いた、その後に・・・
基本的には、日本も世界も広告は広告会社から購入するシステムに
はなっていますが、
その購入する広告のクリエイティブクオリティを高いものにするためには
メーカーにちゃんとそのメーカーらしい質をマネジメントする・出来る
人材がいなければ、毎回、質の異なるお買い物をすることになります。
多くのメーカーで、いい買い物が出来ているのでしょうか?
これは、広告会社を変えれば済むとか、演出家を変えれば済むとか
といった事ではありません。
前回もお話しましたが、広告を行うすべてのメーカーが
毎回洋服を新調するようにオーダーメイドで広告を制作していますが、
いつも着心地が良く、周りからの評判も良ければ良いのですが・・・
自分が、今どの様な状態であるのか?冷静な観察眼も必要となります。
お客様は、常に新しい商品・新鮮な商品を求めていますから
「らしさ」を維持しながら、でも新しいのか?品が良いのか?
素敵なのか?などちゃんと継続したチェックが必要です。
お客様に見える表現のクリエイティブマネジメントは、
欠かしてはいけないものなのですが、
マーケティングプロセスでは重要視されにくい領域なので
残念に思います。
パッケージデザインや広告は、商品名を身に纏った途端に、
商品そのものと同じモノになるのです。
まさに世話のかかる子供と一緒なはずなのですが、どうも
そうなっていないようですね。