地方に暮らす会社員

地方に暮らす会社員

最近の記事

鞄にそっと忍ばせる

もしかしたらiPadいらないかもしれないと、思った。 今日はワイヤレスキーボードが届いた。1〜2年くらい欲しいような気がしていて、でも絶対必要なわけではないと思っていたのだけど、なんとなく花瓶と一緒にポチってみた。 スマホに繋いで文字を打ってみたらやっぱり捗るんだなって思う。まだ文字の打つ感じには慣れない(というかiOSの字の変換がいまだに違和感ある。仕事中はWindowsなのもある、まあ別にいいんだけど)。けどフリック入力で詩をしたためたり脚本を書くよりは圧倒的に文字を打つ

    • 貝の柱

      ことばの学校2期の基礎科を受けたかった。 受けたかったがどうにも時間が取れる気配がしなくて申し込みもしなかった。 もしも溶かした時間があったというなら男と際限なくLINEをしていたことだろうと思う。 書いてみないことにはわからないことばかりであるけれど、ここ数年やっていたのはデザインの勉強で、そうした問題解決で得られた知識はすぐにわたしの役に立ったし、誰かの役に立ったとも思う。 デザインの勉強をもっと早くからしていたら良かったと思うけれど、そもそも私はまだ本気になったこと

      • 葬式の傍ら

        祖父母が亡くなったのは立て続けで、その3人の死(母方の祖父は母が結婚する前に亡くなっている)は、人間の生や社会に関するいくつかの真実を教えてくれた。 全てを書き出すことは非常に複雑で困難であるが、今回は祖母の納棺式ついて思い出したことを書こうと思う。 納棺式が行われたのは父の生家で、祖父と、伯父夫婦と、ときおり従姉妹夫婦とその子が暮らしていた。従姉妹の子はまだ生まれたばかりで、たしかその子が産まれて2ヶ月ほどで祖母は亡くなったのである。 病院で息を引き取ってから、祖母は人

        • 誰かたったひとりのために

          演じると成功するよ と、演劇が大好きなのにもうなるべく観ないようにしている中年男性が、本番を控えるわたしに教えてくれた。 いまのところ、集中するコツとして確かに同意しているのだけど、その誰かがいつまでも誰なのか分からない。その誰かを作ってみても失敗する。成功したい私が据える誰かたったひとりは、ほんとうの意味での見てほしい人ではないらしい。もうその時点で、わたしと、その誰かと、2人の観客がいる。 むしろ頭の中に観客なんて置かない方がいいくらい。 観客としてのわたしが自分の意識

        鞄にそっと忍ばせる

          恋愛は原動力にならない

          あまり恋愛とバイタリティに相関のない人というのはいて、どちらかといえばそう言うものがない方がただただやるべきことの邪魔にならないんじゃないか、と憧れることがある。 いつだったかまんざら嫌いではなかった男の先輩が突然肩を抱いてきて生まれて初めてまともに性欲を掻き立てられたあの日まではわたしもそんなだったはずだ。そうはいってももう過去には戻れないので残念かどうかはわからないけど。もっとこう、そんなに好きでもない人と体の関係を持って「うーんほんとうは微妙だった」という感想でも抱いた

          恋愛は原動力にならない

          そのうち思うようにしかならん

          明けましておめでとうございます。 年末年始はいかがお過ごしでしたか。 わたしは眠ることばかりが許される日々でした。頭が痛くなるほど惰眠を貪れる日なんてもう次いつ来るかわからないと思って、寿命が縮むかもしれないのに寝ました。いつもは寿命が縮むかもしれないのに夜更かししてるんですけどね。 家にいる時間が長いと、そして連絡を取り合う人もいなくて、よく休んで初めてまた文章でも書いてみるかという気になった。 というのも3件ほど書くテーマを決めたのに時間が取れなくて、正確には書く時間よ

          そのうち思うようにしかならん

          私の世界と私たちの世界の結びつき

          現代アートとは何ぞやと思うけどもなんとなく「あぁこれ今まで知らなかったけどたしかにアートだな」と観る側なりに価値や疑問を新しく生み出せたら、それは現代アートだと思うことにした。 東京都現代美術館「ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台」展へ行った。 なんかめっちゃガーリーだな、と思って、全部みるのに4時間かかるという情報だけ持って、いったいどんなに物に溢れた展示なんだろうと、よく分からず足を運んだらそこはさっぱりとした空間で、映像作品とインスタレーションなのだ

          私の世界と私たちの世界の結びつき

          お茶でも飲みながら思い出しなよ

          今週は毎日弁当を持っていけてる。なんでかはわからないけど頭の中が弁当のクリエイティビティに溢れている。 なんでだからわからない。いや、わかる。 インスタグラムの#節約弁当に触発されたんです。 たいへん好きなblackberryさんのお弁当、緑が基本的にブロッコリーという潔さがとても気持ちよかった。 おかずも品数少なくていいと思ったら気が楽になる。 わたしの母は専業主婦だったから、比べなくても全然よかった。まぁ料理について比べたことはないんだけど、しかしだし巻き玉子を作るの

          お茶でも飲みながら思い出しなよ

          みそ汁を飲む毎日

          掃除が苦手。 永遠に終わらないんじゃないかとすら思う。 いつも途中で諦める。 どうせ掃除機をかけても夜には新しい抜け毛が落ちているのだし、なんて思うから。 そんなことを言っても、続けているときはそれなりに部屋がちゃんとしている。わたしから見れば偉い。 当然片付けも苦手。 名もなき家事がたくさんある。 名もなき家事は240くらいあるらしい。 ゴミの仕分けから洗濯物畳みも、スポンジの交換も、新しいゴミ袋を入れ替えるとか、今日は靴の脱臭剤の手入れのことを思い出した。 遅刻は大得

          みそ汁を飲む毎日

          まるで私だけがつらいみたいな言い方

          誰もそんなことは言ってない。 けれどどうもそんなふうに聞こえるんだそうだ。 はじめて言われたのは小3のときだった。小4だったかもしれない。いやもっと小さいときに母親に言われた?でも思い出せるのはクラス会議みたいなときに公衆の面前で誰かに言われた。いや正直その言った子のことなんて覚えてないし、そんなこと目に入らないくらいつらいって嫌だって主張した記憶はある。 当時は「は?それの何が悪いんですか??」とどこかで思ったものの、空気がぴしゃんと冷えたので黙ってみた。多分あの空気にす

          まるで私だけがつらいみたいな言い方

          なしのつぶて

          子どもが欲しいという男性の言葉をわりと親密な立場から聞いたときに、その生物としての正しい態度を立派だと思うと同時に、ただ話を聞く側であるだけの私のが愛みたいなものに満たされてみたり、神なのか社会なのかわからない何者かがすべて仕組んでいるんじゃないかっていう疑心暗鬼も湧いた。 ほんとうにある程度安心して友人と呼べる人の中に子どもを持っている人はあまりいないのだけれど、その数少ない子持ちと遊ぶことになって、建てたばかりだという広い家で這いずり回る0歳児の坊やをいじくりまわしなが

          なしのつぶて

          実体のない再会

          夢を見た。 大学生になっていた。 いつまで学生の時分を振り返るんだろう? 目の前の暮らしがいっぱいいっぱいのときは現実に満たされるけども、少し暇ができるとこれなのである。ただ、このごろ明らかに夢の質は変わってきた。わたしはこれからもあの頃を色んな角度から反芻していくのだろう。 夢の話。 原付で国道を走っていた。 アイスクリーム屋のある国道だ。 北に向かう道は大学への道とは全く違っていたけれど、そこにはないはずの路面電車があって、道ゆく車の合間に、道路の真ん中に知り合いがポ

          実体のない再会

          作品を発表したあとのこと

          もう絶対的にこの孤独はわたしだけのものだ! と強く心に刻まれた瞬間のあの快感を忘れない いつのことだかは忘れてしまったけど、寂しいと悲しいと悔しいあたりの形容詞の感情に苛まれてずっと泣き暮らしていた日々の中で、誰かの誕生日を祝うことにこんなに救われていいのかなと涙が滲んでしまう日もあったあの頃の少しずつ回復を求め始めた日々からもさらに少し遠ざかり、リハビリのようにひとりぼっちを堪能していたときに感じた孤独の幸福。 を、表すつもりでつくり始めた事柄をうまく伝えることはでき

          作品を発表したあとのこと

          これまでのやぶれかぶれ

          アーティストになりたかった ずっと絵を描き、詩を書いてきた バレエ少女漫画を読んでバレエがやりたかった マット運動が得意だった きっとバレエ向いてると思いながら、習うことができなかった 身体を使う部活は楽しかった 高校まで続けて表現の萌芽をした 音楽をちゃんと聴こうと決めた バンドでグルーヴの意味を知った 表現するための心得が種のように植えられる すべては集中力に終結することを学ぶ 大人になって好みのものがみつかった いったいわたしの幸せはなんだというんだろう

          これまでのやぶれかぶれ

          これもきっとねじれの位置

          わたしはわたしの物差しでものごとを見て、言葉にしている 使う言語や視点が違う仕事仲間がいる その言葉はとてもじれったいしなぜ?と思う なんらかの疑問を解決するため、わたしの言葉で変換して返す そのときになにかコミュニケーションの齟齬がある いったいなんなのかはわからない どうしてそんなにまわりくどいことばを、と思う わたしはわたしになっている 相手がどうしてそういう言葉になるのか、そしてその問題は何か、うまくかみくだくことも、問題があるかどうかもわたし自身で知ることはできない

          これもきっとねじれの位置

          きみと話した感想合戦

          ドライフラワーを飾った。友人の個展のお祝いのついでに花屋で買ったいつもよりちょっといいやつ。 近所のホームセンターで名前もわからぬみどりを買ってきて飾った。 どちらもいくらか楽しんだら天井に吊るす仲間たちに加える。 部屋をドライフラワーだらけにしたいよう。 いいお花は帰ってきたときに私の心を和ませる。 素敵なお部屋をますます好きになる。築30年の古アパートに暮らす喜び。 家にいる時間が増えた私たちに許される楽しみってなんなんだろう、とこの頃思う。 学生のころ、読書と勉

          きみと話した感想合戦