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私の世界と私たちの世界の結びつき
現代アートとは何ぞやと思うけどもなんとなく「あぁこれ今まで知らなかったけどたしかにアートだな」と観る側なりに価値や疑問を新しく生み出せたら、それは現代アートだと思うことにした。
東京都現代美術館「ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台」展へ行った。
![](https://assets.st-note.com/img/1670296477653-A43BO9IWQr.jpg?width=1200)
(東京都現代美術館)2022.11.12-2023.2.19
なんかめっちゃガーリーだな、と思って、全部みるのに4時間かかるという情報だけ持って、いったいどんなに物に溢れた展示なんだろうと、よく分からず足を運んだらそこはさっぱりとした空間で、映像作品とインスタレーションなのだった。
スクリプトと映像がまとめて作品となっていたり、映像とその周りの木枠がひとつの作品であったり、
映像作品がアートなのか?という問いはもはや必要のない、私がそこに行ってみるということは充分にアートだよね、という気がした。
展示は、室内に響く音声にも気を遣っているらしい。
#東京都現代美術館 で開催中の「ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台」展では、作品のみならず鑑賞者同士の対話や視線、声の交差を意識した展示設計にもぜひご注目ください。 pic.twitter.com/9KH2uexUU0
— 東京都現代美術館 (@MOT_art_museum) November 25, 2022
映像作品から室内に響きわたる音から思い出したのは、水着に着替えたあとの更衣室から抜けて、屋外プールに出るまでの通路だった。シャワーがあって、コンクリートの水色のザラザラした壁と床の感触と、水を浴びた子どもがきゃあっと叫んだり友達を呼んだりする声が、私の体内に浮かび上がってくる。木の床、白い壁といとも普通の(もしかすると床の普通はリノリウムかもしれない)展示室が、この場所にも作品にも関係のないことを思い出させてくれるのが面白かった。
オランダ領植民地問題、ジェンダー、フェミニズム、クィア、ウクライナのことなどさまざまな社会問題を内包している作品たちにも関わらず、不思議なことに嫌味がない。普段攻撃や喧嘩の対象になる話題だというのに、存在が上品で、あの空間でただ観ることだけがわたしたちに許される。
だから≪柔らかな≫という形容詞が使われたんだろう。
時間があればまた行きたいけど、難しいかな。
なんかね、最近見たものの中では特等で居心地がよかった。
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