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誰かたったひとりのために

演じると成功するよ
と、演劇が大好きなのにもうなるべく観ないようにしている中年男性が、本番を控えるわたしに教えてくれた。

いまのところ、集中するコツとして確かに同意しているのだけど、その誰かがいつまでも誰なのか分からない。その誰かを作ってみても失敗する。成功したい私が据える誰かたったひとりは、ほんとうの意味での見てほしい人ではないらしい。もうその時点で、わたしと、その誰かと、2人の観客がいる。
むしろ頭の中に観客なんて置かない方がいいくらい。
観客としてのわたしが自分の意識を手放して、ただ何も言わずに見守ってくれる、それこそ神様みたいな感じがいい。わたしなのか、わたしでないのか、まったくわからないたったひとり。

書くことの方がわかりやすく誰か置きやすかった。
書くときの私と、読むときの私は全く別人で、書くときに読むわたしは一切口を出さないし、書き終わってしばらくしないと全然起きないでずっと寝てるのだ。
だから完全に第三者に、話を聞いてもらうつもりで書くことが出来る。ちょうどいい緊張感をもって文章をつくることができた。

この頃は考えることが億劫で、いつもはネタを見つけたら書くことがバラけないように手でそっとお米を抱えているような気持ちで書くのに、今は、あまりに消費項目としては使い古されたコンテンツで、本当に語られてなくて語ってみたいことにたどり着けない気がしていて書けないでいる。
口にした途端に誰かにジャッジをされるのが怖い。
気持ちの大小に惑わされて脱線しそう。
みたいな不安にばかり。やらないもののいい訳すら飽きれたコンテンツですよ。
なんのために匿名で書いているのだと言う話だ。

そういえばオワコンってもう20代の人、意味も知らない人も多いよね。

いつも誰かのことを書いている。
それが失礼なことなんじゃないのって本当は恐れている。でもね、聞いて欲しいの、できたてほやほやのうちにこんなに面白いことがあったって。
その文章にはエネルギーがあるので。

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