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作品を発表したあとのこと

もう絶対的にこの孤独はわたしだけのものだ!

と強く心に刻まれた瞬間のあの快感を忘れない

いつのことだかは忘れてしまったけど、寂しいと悲しいと悔しいあたりの形容詞の感情に苛まれてずっと泣き暮らしていた日々の中で、誰かの誕生日を祝うことにこんなに救われていいのかなと涙が滲んでしまう日もあったあの頃の少しずつ回復を求め始めた日々からもさらに少し遠ざかり、リハビリのようにひとりぼっちを堪能していたときに感じた孤独の幸福。

を、表すつもりでつくり始めた事柄をうまく伝えることはできなかったんだなということを知る。

つくったものを人にみせるところまで完遂したときになにか満足感や充足感を得られるなんて思ってはいなかったけど、想像していた以上に見え始めた景色は砂漠だ。

もっと書いてとかほかの作品も見てみたいなどと言われることはなく、ただ書けるならまた書きなさいというメッセージが道標のように残されている。その書き手がその先にいるわけでもなく、ただただ別の国から届いた励ましの手紙、とでもいうような感じ。

わたしがこれからまたつくることができるかは、またひとつ書き上げるか、わたしが死ぬまでわからないだろう。

作品、といわれた。

物語とか芝居とかジャンルの何かじゃなくて、単なる作品と呼んでもらえたのが、実は嬉しかった。

もうほんとただそうだ。なにかをつくらせてもらえた、それもわたしの力を尽くして。当然多くの人たちの力を得なければとてもできるはずのなかったものだけど、わたしの責任において作品をつくった、ということは、これまでのわたしよりもはるかに励まされるだろう。

感謝の気持ち以外何も湧かない。ありがたい。

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