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葬式の傍ら

祖父母が亡くなったのは立て続けで、その3人の死(母方の祖父は母が結婚する前に亡くなっている)は、人間の生や社会に関するいくつかの真実を教えてくれた。
全てを書き出すことは非常に複雑で困難であるが、今回は祖母の納棺式ついて思い出したことを書こうと思う。

納棺式が行われたのは父の生家で、祖父と、伯父夫婦と、ときおり従姉妹夫婦とその子が暮らしていた。従姉妹の子はまだ生まれたばかりで、たしかその子が産まれて2ヶ月ほどで祖母は亡くなったのである。

病院で息を引き取ってから、祖母は人生の大半を過ごした嫁入り先のこの家に戻り、家の奥の客間で残り少ない肉体の時間を過ごしていた。
わたしは納棺式の前に2度ほどその家に訪れて線香をあげた。父が生家に戻って振る舞われていた食事と酒を飲んで、おそらく50を超えてからはじめてずいぶんと酔っている姿を見せた。あまり酒癖のよくない父は、「○○ちゃん(従姉妹の子)は、お袋の生まれ変わり。魂とかそういう意味じゃなくて、とにかく生まれ変わりなんだ」と言った。
随分と勝手な物言いである。
しかし叔父なんてまともに相手すれば厄介なもの放っておくに限る、とわたしが従姉妹なら、実際に従姉妹はスルーした。

納棺式には親族が集まって、そのほかに、もっくんほど美しくはないごく普通の納棺師と、農協の葬儀担当者が来た。農協の方はやや小太りだった。
その2人の指示で我々一族は祖母の身体を拭き、髪を洗い、顔の産毛を剃られ化粧がなされる様子を眺めた。いちばん真剣そうな顔をしていたのは配偶者の祖父で、正座で強く祖母を見つめていた。遺族が何かするとなれば1番に動こうとして、とかく気合が入っていた。父は後で「『俺の妻なので俺が責任者です』って顔だった」と言った。ちなみに施主は伯父で、いちばん祖母の面倒を見ていたのは伯父の妻、つまり嫁の伯母さんである。

神妙な面持ちの中、生まれたてで目もぼんやり見えてるくらいの従姉妹の子どもは、突然泣いた。眠いのか腹がすいたのか気持ち悪いのか知らないがとにかく泣いた。
で、従姉妹が、その夫も、奥の間から縁側へ「すみませんね」と言いながら赤ん坊を抱いて離れていった。誰も責めるものもいないのに謝るなんて不思議なものだと思っていたら、小太りが「きっとおばあさまにも、元気な声が届いていますよ」と言った。
その台詞は悪くないと思ってしんみりしていたら、赤ん坊の泣き声がさらに大きくなって、小太りはしめたと言わんばかりに「たくさん泣けば泣くほど、おばあさまも喜びますよ〜」とのびのびした声を私たちにかけた。
婆さまが喜んでいるかどうかなんてお前が知るところではない。
なお父は「一言多い担当者だ」といった。

死んだ後のことは全て遺された者たちのために執り行われる。
祖母の葬式は、祖母のために行われるものではない。
嫁だった伯母が棺の中に入れるよう準備したお菓子は、祖母が糖尿病で控えていた甘いもので、祖母のことをよくわかっている伯母らしさがあった。
会葬のときに顔を見に来た少し遠い親戚がどうしてお饅頭が棺の中にあるだろうというので、説明したら神妙な顔をしてくれて、得意げになった自分が怖くなった。
気を落とすんじゃないよと祖父に語りかける親戚のおじさんたちがいて、祖母に声をかける人たちははいたのだろうか。祖母は生家では末っ子で、会葬にきていたあちら側の親族は甥姪にあたる人たちだった。わたしにはよくわからない。

よくわからないまま式は終わり、そういえば祖母が死んだのはわたしの誕生日だった。
伯母がそれを覚えてくれていた。

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