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なしのつぶて

子どもが欲しいという男性の言葉をわりと親密な立場から聞いたときに、その生物としての正しい態度を立派だと思うと同時に、ただ話を聞く側であるだけの私のが愛みたいなものに満たされてみたり、神なのか社会なのかわからない何者かがすべて仕組んでいるんじゃないかっていう疑心暗鬼も湧いた。

ほんとうにある程度安心して友人と呼べる人の中に子どもを持っている人はあまりいないのだけれど、その数少ない子持ちと遊ぶことになって、建てたばかりだという広い家で這いずり回る0歳児の坊やをいじくりまわしながら、お土産のテイクアウト弁当や近所のちょっとおいしいケーキとお茶を飲み、幸せな日々に自分たちの雑談をないまぜにした。あの日、わたしはもっとも人生でちゃんとプライベートが、これこそ一般的といえる社会の市民、きっと東大生なら国民と呼ぶような生活の空気を吸った気がした。

すべて本当は怖い、泣きたいし布団にくるまって本を読み、ほんとうは何もしなくてもお茶とチョコビスケットが運ばれてきて、排泄も布団に潜ったままにおいもしないうちに済ませて横になったまま清潔なままでいたい、みたいに思う。

朝起きると嫌な予感がして、眠気ばかりが優っているからきっとそうだと思って、トイレへ行ってみるとやっぱり買ったばかりのパンツが血だらけだった。大丈夫だよと神様がパンツを通じて言っていて、なにが大丈夫だ、とわたしの中にいる昭和の親父が子どもみたいに怒鳴り散らした。

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