見出し画像

拝啓 幼き頃の私へ

今の自分は果たして、幼い頃になりたかった自分になれているだろうか。

そう、ふと頭をよぎったことがある。


答えはNOだ。

幼い頃の自分には申し訳ないが、大人になった自分は、

君を、そして君の親の期待を裏切っている。


正社員で働いていないし、結婚もしていないし、子供だってまだいないのだから。

一つの会社で、長い勤続年数を働いたことすら無いのだ。親や親の周りの大人も、『あの子はフラフラしてて、転職ばかりしていてね〜…』と呆れているに違いない。


私よりももっと上の、昭和世代の大人の評価からしたら、きっと私は、『甘い!』『社会不適合者!』『一つのことしか仕事ができない』なんて言われているのだから。


でも私って、果たしてそうだろうか…。
仕事は誰よりも真面目だし、一生懸命です。お客様に気を遣い、お客様から愛されます。

適材適所に合っていないだけですよ?って、言い返したいのだけども、まぁいいか。

つまりね、君や君の周りにいる大人の思う、“良い子”にはなっていないのだよ。


でもね、そんな人間界から除外視されたような私でも、愛される・信頼してくれる存在がいるんだよ。


それは、『声無き者の声』

一見、この言葉だけだと怪しい感じに聞こえるかもしれないけれど、これは動物や植物、またはぬいぐるみを意味するよ。


こんな地球の、こんな汚い醜い命の人間界に飽き飽きした私は、自ら今世を終わらせてしまおうかと、何度も何度も思ってきたんだ。

“この地球には、愛が無い”と感じたからね。

そんな時、あるボランティア記事を見て、
『どうせ消えてしまうなら、知ってみたいな』と思った世界があったよ。

それは、【野犬の殺処分】という世界があった現実だった。


私はその時ちょうどね、地球で生きていくことが非常に辛いと感じていた時期だった。

人間不信は深刻化していったし、自分がしていきたい仕事は求人には掲載されていないし。

この先何を仕事にして生きていったらいいかわからなかった。正直、今もわからないよ。

もう、無職か?死か?そこまで自分を追い詰めていった。何もかもうまくいかず、宇宙に帰りたいとばかり泣いていた。

それでね、そこにある【野犬の殺処分】という現実に触れて、自分の中に眠っていた感性が一気に溢れ出て、数日間、泣いても泣いても涙が止まらなかった。

まるで、野犬や保護犬達から、

『あなたは生きて!生きて生きて生き抜くの!!』

と、強く励まされていたかのようだった。


野犬達の本音が聞こえたら、私はこの子達から怒られると思う。


“自分たちは、殺されたくて生まれてきたわけじゃない!”

“人間の汚さを知っているのも自分達だ!”

“自分達は、何も悪いことをしていない!なのになぜ、人間に見つかるとすぐ捕まり、悪者扱いされて、ドリームボックス(殺処分機)に流されるのか”

“ただ、僕達は生きたいだけなのに”
“ただ、自分達は、幸せになるために生まれてきたのに”

“人間と同じように言葉が話せるなら、言いたいことも伝えられるのに”

“地球は平等じゃない・・・”

“人間は愚か。人間は汚い心を持つ者。”


そう、言い返されてもおかしくない現実がそこにあった。


私は元々幼少期から、犬や馬などの心優しい動物や、声無きぬいぐるみなどが大好きだ、もっと言えば、人間より大好きだ。

だけど、動物アレルギーがあるから飼えない。できることなら飼ってあげたいけれど、現実は簡単ではなかった。

だから余計にこの数日は、本当に苦しかった。あまりにも目の前の現実にしか目を向けられていなかった自分が情けなくなった。


そして、数日かけて泣いている理由は、野犬や保護犬達がかわいそうで泣いてるんじゃなくて、

野犬や保護犬達に、私の命を救っていただいた…背中を押され励まされた…、そんな現実に、泣いて泣いて泣きわめいた。

“私にはまだまだ、生きる使命があったんだ”
と、彼らの生きる姿から教えていただいた。

そしてこの数日間、私の魂の浄化とともに泣いてる私は、次第に、

『彼らに救ってもらった恩返しがしたい!』

と本気で祈るように、人生後半の目標設定と決意へと変わっていったんだ。


*これを読んでいるあなた様へ*

私は、まだまだここには書ききれないほどの波瀾万丈な人生経験をしてきました。

何度も何度も、自らこの人生を終わらせてこようとした。自分で自分を、諦めようとしていた。

でも必ず、一人一人に使命はあって、そこに気づかせるための過程が必ずある。

その苦しい過程を潜り抜けたら、そこから一気に道が開かれると思うのです。


働き方なんて、何でも良いじゃない!無責任な他人の評価で、あなたの幸せもあなたの価値も決まらないよ。

大丈夫!アルバイトでも素晴らしい!
パートでも素晴らしい!

もっと言えば、無職だって、体力や思考による脳疲労だってあるのだから、みんなそれぞれの生活環境で素晴らしいのです。
また、無職の人のアイディアって本当に素晴らしいから、私は尊敬しています。そこから生み出されるアイディアが会社を救ったりしますよね。

私は、正社員でも楽しようとサボっている人も知っています。最低な大人を数々見てきました。高額のお給料とその人の人間性がイコールなんて一生紐づかないと思います。政治を見ててもわかるでしょ?



昨夜祈っててふと感じたことがありました。
それは、

『1分後には戻れないんだ・・』

ということ。

生きるとはそういうことなのです。


つまり、

【その瞬間に生きていることが、まず素晴らしいこと!】

そう、野犬や保護犬達から、愛を持って教わったことでもあります。


お金を稼ぐこともそう。

一気に高額の生活費を稼ぐことが難しかったら、その日の生活費からだっていいのです。

時には、区や行政に相談してみてもいいのです。

一人で悩むことは案外、自分を苦しめてしまうかもしれないから、そんな時は相談窓口に電話しても良いのです。


私は、経済的自立・社会で存在すること・高額を稼ぐこと・職の安定に就くことが難しかった人間です。もっと言えば、貯金も無くなったのです。

なぜなら、私の魂は、私の本来の人生の目的に、人生の使命に気づいてほしかったからでしょう。

本来の自分に戻ってほしかったのだと感じます。うまく稼げなかったのは、うまく生きられなかったのは、きっと、

・自分の使命に気付けていなかったから。
・生活のための仕事選びをしていたから。
・ステータスで仮面を被っていたから。
・本来の自分を生かしてあげられていなかったから。

だと思うのです。


だから、私は私に決めました。

ここから!今日から!、一つ一つ、できることから始めてみよう!

と思います。

もう、プライドもお金も無いから、ある意味では等身大の丸裸の私なのよ(笑)やっとそうなれたのよ。


この野犬や保護犬達との出会いをきっかけに人生前半のすべてを全部、断捨離しました・・。


人生後半がもうすぐ始まります。

そんな私を、引き続き見てくださったら嬉しいです。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました♡(^^)♡

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?