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摂食障がいの克服290【傷んだ心】

 お仕事から帰りました。
 もう23時になってしまいました。

 お昼を食べてから10時間経過しています。
 おなかがすきました。
 私が朝・昼で食べる量というのは、概ね500キロカロリー(には満たない)ぐらいなので、それでいて、6時間以上仕事をしたので、普通の現象であると思います。摂食障がいになる以前から食べるのが異様に遅かった私は、給食というものを無論食べ終えられた経験がありません。
 パンやごはんにはたどり着かず、牛乳も全量は飲めず、メインのおかずは事前に半分減らし、つまり15分で食べられる量はほぼなかった…。

 不思議なものです。本当に小食といってよかった私が過食症になる日が来るとは、です。これまでほぼ書いているこの過食症は拒食症の後発症していますが、『プレ摂食障がい』という時期で書かせて頂いたこともあるように、突然お米が止まらなくなった時期もあります。

 拒食症・過食症という本格的症状が、心の大打撃(人を失うとかの規模)で起こったことに比べると、プレ摂食障がいでは、主に人の裏切りや、体の不調を無視し続けて仕事をし続けて、そんな中、私の息子と幸せに時間を過ごすようになった身近な人たちすべてが、私の存在を忘れて楽しむようになったこと。(いずれにせよ、暗いし、私は一体なんのために存在したのか、今もわかりません。)

 プレ摂食障がいと本格的な摂食障がいには差異があるのかないのか。
 考えても仕方ない考えを始めてみると。

 プレ摂食障がいの際には、
 *その瞬間仕事がもう無理な過酷な労働条件であった
 *からだがいうことを聞かないけれど、1日の15時間は仕事に拘束された
 *からだがもう滞って食べ物を体に入れることが苦痛。
 *人の裏切り。突然私の業務だけ放棄する同僚がいたり。パワハラは多数。

 それでも働かないといけない私には、たった月20万求めて体を酷使した。
 息子のことは全部が全部できない。従って周りを頼るわけですが、周りは息子と一緒に過ごせるのが嬉しいので、次第に私は孤立してしまった。

 何のための無理だったんだろう。
 そう思うけれど、この”プレ”の際には、恐らくはその状況下から逃げること。それが解決であり。息子と、失った時間を取り戻すことが大事だったんだと思うんです。その当時わからなかった。追い詰められてもいた。

 そして本格的な摂食障がい。

 これは、心と体と、頭とそれまでの何もかもがその瞬間の辛い打撃的な出来事によって爆発して拒食になってしまっているので、何かから逃げるとかじゃない。もっと根本的に病んでしまって、それがこの余波すら今もなお生み出す結果となってしまった。

 摂食障がいとは恐ろしい病気であり症状なので、今現状から逃げても症状はどこまでも追ってくる。
 まず摂食障がいになってしまうことにより本質的に、死のう。そんな思いからは暫定的に回避はしていますが。…あのころは本当に生き地獄。

 人には生きようとする本能があるので、無論人を巻き込みます。誰でもいいから助けてほしいわけで。

 『ホリーガーデン』の果歩が。
 『隣の人でも、その隣の人でも、その隣の人でも』と助けを求める気持ちがわかる。誰でもいいから助けて。そう、どれだけの期間どれほどの、もう数ヶ月とか年単位でしょうか、毎日毎日、助けてって思ったし、心理学を1から勉強したのもこのころです。自分で助けるしかない。

 そんな私も37キロから数年という年月をかけて、あり得なかった50キロ台での生活も受け止められるようになるまでに様々ありました。
 パワハラ、セクハラ、…休職、退職、就職

 あり得ないほどの不幸を乗り越えて(本当にあり得ないような状況のことも今以上にあったので)、不幸慣れしすぎて、今日もちょっと真っ青になる瞬間はあったのに、動じてなくて怖いですが。

 不幸には慣れている。
 けれど、摂食障がいにだけはここまで慣れたくないという風に、どんな症状も経験してきたので、わかる、そういう気持ちが大事にできたらいいなって思います。傷つく心をわかるっていうのは、案外生きてきて尊いと思うんです。

 私がよく書いている友達は、ここまで私が泣いたことに関して、また全く興味がなくても、結局何も思わない。強さだ。

 強さなんて私それだったらいらない、って思ったりもします。
 人の傷みが分かれるって素敵なことだと思うから。

 英検ですが、今日も単語はひたすら聞いているのですが、今日はもうバク転にちょっとシフトしました。無論投げ出しはしないのですが、バク転もしてみよう。

 そう思います。昨日の投稿に好きを頂いて、ありがとうございます!
 明日もお仕事頑張れるなーって今、思っています。

 

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