どこにでもあるパワーワード。に負けないHSPになるために。

HSPは傷ついちゃうんだよね。

最近またおもしろい記事を見つけた。

HSPにはHSPが集まるし、
ADHDにはADHDが集まるというのだ。

でも、こんな記事を書き続けてるとそこには疑問がでる。

学校の中のグループを思い出すと、というか自分がHSPなので、HSPにはHSPは集まると言うのはちょっとわかる気がする。けど、物忘れがひどい人同士がグループだったことはないし、どちからというと話題性で分かれていた気がする。おしゃまな子グループ、地味めグループ、背の高い子グループ、気が強い子がいるとそのパワーバランス崩れんだよね。

もっぱら最近ピエール・ブルデューの『ディスタンクシオン』が一番信憑性あるんだよな。日本の学校はそう言う意味で恵まれているかもしれない。成田祐輔が言ってたようにアメリカのような勉強ができるだけで進学が必ずしもできるわけではない環境に比べ、点数さえ取れれば東大に行くのは海外から見たら本当に楽なのであろう。

これはちょっと留学しないと見えない複雑さだったと思えるし、今の日本の何人に共感を得られるのだろうと思う。

いろいろある日本でも、世界に比べたらイージーモードだけど、その中でどれだけ頑張れるかなのだが。

この「頑張れる」が本当に日本では曲者だなと思える。

私は私、あなたはあなた。というのがほんと混合されまくりの日本語しか話さない、単一民族だよな。

あなたと私は違うんです。というと角が立つってどんなやねん。

だから、共同生活ではルールが必要なんだけど、寮生活では過度なルールを感じるし、シャアハウスではみんなが自由にやってうまく行く説が強すぎる。

どれもパワーを感じてヘトヘトする。最近の疲れはそれだと思った。自分の感じる感性が正しいと思い始めると他者というときそれは暴力になる。でも、環境的ルールが存在するとき、それを守らないと不調和が生まれる。

が、その環境ルールがすでに何かしらの偏った正しさでできていたものなら、まるっとしんどい(煩わしい)環境になる。

学校の校則とかそうだったよね。でも、それはただ「間違っている」といいうと今度はこっちの暴力になる。

とある学校でそんな事件が起きたとき、
・まずアンケートをとる
・その校則があるメリット、デメリットをあげる
・なんの目的で存在する校則なのかはっきりさせる
・それが現状とフィットしているか、在校生の親も含めジャッジしてもらう。
なんてのはどうだろうかと思ってします。

結構満点じゃない?でも、なんでやらないか、
1)めんどくさいから(これができるも能力)
2)感情が先立って動かない(現状維持のバイアス)

こんなところか。

で、そのパワーって
1)パワー、体力があるのも大事(日本人貧弱)
2)そのパワーののっけどころが明後日の方向

こんなところか。

HSPは、目的が明確でその工程が頭に入るとものすごい能力を発揮する!

これは本当にそう!なんだけど、目的もわからず、なんとなくやらされると、つまんない、意味を探して寄り道ばかりして、足引っ張るまたはできない自分に劣等感を感じるからほんとしんどい。

どこにでもあるパワーワードに負けないために、私たちHSPはもっと機械化した方がいい。目的をもって、そこまでにすることを具体的に想像して、いける!と思えるところまで来たらGOできる。

うん。確かにスロースターターでもそれでいい。

だから、HSPは考えすぎる能力を与えられてる。厄介なのは、感情で同情多加しちゃうところ。ジャッジを見誤るのは自分の「共感性」。

それとこれを同じフィールドで考えちゃうし、結構まわりがそれとこれをごっちゃにして感情で訴えるから、つられてごちゃごちゃになる。

よく、鉄の女というフレーズに憧れたの思い出す。笑

鉄の女に今は慣れつつあるよ。しっかりつたないユーモアもこさえてね。

それは理解というなのカテゴライズ作業だった。

たった、それだけ。

前提条件をこの環境のルールと考えるなら、答えはこう
前提条件をあなたの気持ちで考えるなら、
あなたは今感情的になって、あれもこれも足してるけど、
真実はひとつ、あとは本来いらない装飾
問題を解決したいなら、その感情は一旦離して
話せないなから、あなたがその環境から離れればいいよ

ロジカルシンキング先生+HSPで結構優しく言えたかも。

HSPは傷ついていると時間が止まっちゃうけど、止まっている場合じゃない のだ。だってその間に理不尽が増殖するから、それを食い止めるために、その状況と相手の感情を押しはかるただ、説明する言葉を身につけるだけで世界は本当に変わると思う。

意外にみんな状況把握できてないのが8割そんな感じ。

私は最近その2割にあえてるからその次のフェードに行けたけど、孤独感が増した。

1から10までの道筋があるとして、その8割に1から3を延々説明しないといけないんだもん。で、それが習慣つくまでに数ヶ月かかる。自分のことに集中したいHSPにはたまんないよね。

しかもその説明、その都度ケースが違うから、本構造に持っていって成り立ちは一緒って説明するんだけど、その説明への噛み砕き、再構築も結構頭使うわけで。全部開示された状態でもないから、見えてるところで構築してもなんか嘘言ってるようになる。とほほ。

HSPの人は、『ディスタンクシオン』でいうとどんな人になるのだろう。

明らかに私はマイノリティーを爆進中だ。

東京の人からはなんだか憧れられ、こっちの地元では独身女性の独りよがりみたいだし。どこにいる人が私をみるかで私はいろんな色に見えるらしい。

それがいいどうかかわからないけど、事実として知れて、なんだ、私は私でまぁいいやと思えたことが強いな〜と思う。

自己理解noteを書き出して4年くらい。おんなじことを繰り返しブラッシュアップしているだけど言えば、それだけ。なのに、このnoteの内容の変化はすごいな〜。

このnoteがいいかどうかはだれがどう判断するのか知らないけど、その「変化」だけみたら、私は私を愛おしく思えた。

昔は良い変化だけを吸収したかったけど、私たちは毎日よく悪くも「変化」に充てられ吸収している。いいかわるかは私たちがどう使うかで変わるもので、ただそこにあるものをみて、いいかわるかとは言いづらいものだ。

つまり、ADからの脱出で私は「あいまい」と仲良くし始めているのだろう。そうね、今回あったいろいろも、もっと私の中の「あいまい」を解放できたら起こらずに済んだかもね。ま、無理、メンタル物理的に限界だったし、それに、ちっちゃいながらに「世の一線」は超えずに綺麗には接したと思う。

これもHSPさまさまなのだ。私がHSPじゃなかったら、もっと支離滅裂だったかもしれない。

おぉ、HSPの私ちゃんと好きになり始めてる!すごい!

でもどうやったのと言われてもうまく説明できないな。
全く違うところ強化してるつもりがダイレクトで効果あった。的な。

まだまだ「私という人間」が面白く興味深い。

書きあぐねいてみよう。

HSPの記事にいいねいただけたら、ますますHSP研究したいと思います。まだ新しい分野なので。正直生きるのに本業で精一杯なので、みなさまのサポートがあれば追求大いにがんばります。