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自分の人生

 いわゆる「自分語り」の内容になります。
 今までも自分の過去や人生観、信念などについて問われずとも語ることが多くありましたが、良い機会なのでまとめとして記載してみます。極めて個人的な価値観を厳しい表現で記載する部分もあり、お見苦しい部分もあるかと思います。自己分析を兼ねています。ご容赦ください。
※好きな作品を語る上で一部ネタバレを含んでいます。

1.家庭環境


 まずは生い立ちや家庭環境から記載する。
 5~6才の頃に両親が離婚してから高校を卒業して1人暮らしを始めるまで、母親、妹、祖父母と5人暮らし。オレは母親が21才の時に産んだ子どもだった。父親が居なくなってから母親は仕事をするようになり、仕事が終わった後や休みの日などに様々な男性と出歩くことが多かった。
 ほとんどいつも泥酔して帰宅して、すぐに寝る。酷く泥酔している時は寝たまま嘔吐や失禁をすることもあり、その後片付けは小学校低学年であるオレが対応していた。   

 自分自身が幼いため「苦しむ母親」という光景に対する恐怖心があったが、妹はさらに幼くて泣いているため母親から遠ざけて絵本を読み聞かせるなど慰める必要があった。
 最初のころに一度、同居の祖父母に助けを求めたことがあったが「お前の母親なんだからお前が面倒を見なさい。自分たちは知らない」と返答をされ、幼少期のために「そういうものなんだ」と納得して以降は自分が対応しなければならないと思っていた。

 オレが中学生になったくらいの時期から母親の心境に変化があった(特定の男性ができた?)らしく、仕事以外は比較的穏やかに自宅で過ごすようになった。



2.中学生時代


 オレは中学生2年生の時に半年くらい引きこもり状態(不登校)だったことがある。不登校になった理由はひとつではないと自分では思っているが、イジメがあったわけではない。
 ただ「頑張ることがつらい」と感じたことが大きい要素だったと思う。今振り返って思いつく主な理由は以下の通り。

・小学生から中学生になり、教師から求められる生徒像の変化についていけなかったこと。
 オレは田舎の小学校出身で比較的自由に育てられたが、中学校は町中にある少し大きなところへ通うことになり、そこでは担任の教師から「どうしてみんなと同じようにできないんだ」「後先を考えて行動しないのは母子家庭で甘やかされて育てられたからだ」という叱責を受けることが多かった。

・学校の決まりでやりたくない部活に強制加入させられ、失敗をすれば顧問の教師から酷く怒られたこと。
 元々スポーツが得意ではなかったが、中学校には文科系の部活がほとんどなく、小学校時代から仲が良かった友達も全員運動部に所属したことと母親が「男らしくスポーツをしろ」と言ったため、自分も運動部に加入した。
 しかしスポーツの基礎は習得できていることが前提として進んでいく部活の内容が上手くできるはずもなく、友達の中で自分だけが辞めると言い出せない時間が続き、試合で失敗をすれば怒鳴られ責任を負って見せしめのように罰則が与えられた。

・小学生の頃からアニメや漫画が好きだったが、いわゆる「オタク」を否定する言動を先輩や教師から受け続けたこと。
 オタク向けのアニメや漫画を知っていることは、ただそれだけで存在を否定される理由になった環境。昼休みに上級生から呼び出され、「お前アニメとか見るらしいじゃん、気持ち悪いからやめろよ」と言われて肩を思いっきり掴まれたり、授業中の教壇に立たされて教師から「コイツのようなオタクにはなるな、アニメとか見ているヤツは今すぐやめろ」と言われたりしたことがある。



3.もう頑張りたくない


 自分の能力が他人より劣っていることはわかっていた。みんな当然のように勉強をして、みんな当然のように部活をして、みんな当然のように先輩や教師から褒められているように感じた。オレにはそれらが当然のようにはできなかった。ひどく苦痛を感じることだった。でも、努力をすればできる時もあった。
 自分の好きなことを諦めて勉強をして、泣きながら苦手な運動をして、自分を嫌う先輩や教師のご機嫌をとって。それで・・・それで何がある?
 そこまで頑張っても、やっぱり上手くできなくて、努力しても怒られることばっかりで、全然楽しいと思えなくて。自分なりに頑張って人並みになったとして、自分と同じような結果を出せる人は他にも大勢いるんじゃないか?
 代わりなんていくらでもいるのに、どうして自分が頑張らなくちゃいけないんだ?
 頑張っても頑張らなくても怒られるのなら、頑張らなくてもいいんじゃないか・・・?
 もう頑張りたくない・・・



4.引きこもり


 そして、「頑張ることがつらい」と感じるようになったオレは学校に行くことも拒むようになった。母親は放任主義のため、「学校に行け」とは一度も言われなかった。学校に行かない理由を聞かれることも無かった。
 暗く狭い部屋でアニメや漫画、そしてゲームの中に救いを求めるようになった。

 アニメや漫画、ゲームは素晴らしいと思った。上手くできない現実の世界とは違って、なんだってできる理想の世界。自分はいつだって主人公で、主人公はオレの分身。
 主人公の勇気ある行動は、主人公の優しい言動は、まるで自分から発せられているようで。世界そのものがありのままの自分を受け入れてくれているようで。現実では気持ち悪く醜いとされる「オタク」である自分自身へ、現実離れした可愛いヒロインたちが画面の中の主人公を通して自分に語りかけてくる。「愛されている」と感じることができた。
 つらい現実から目を逸らして、どうしようもない自分を否定せずにいてくれる優しい世界に行きたかった。
 「死にたい」とは思わなかったが「現実から居なくなりたい」と思うことが多かった。



5.最高の青春


 そんな日々の中で、オレはあるひとつの作品(ゲーム)に出会った。それ以降のオレの人生を激変させる奇跡的な出会い。オレの人生における「三大神作品」と呼ばれる内の最初のひとつ。

 「リトルバスターズ」。これこそ輝かしい我が青春。本当に楽しい時間だった。
 人生で初めて、画面の前で腹を抱えて笑い、画面の前で声を出して泣いた。キャラクターたちの突拍子もない発言や行動が本当に面白くて、こんな友達が居てくれたらと何度も思った。同時に、キャラクターたちの苦しみや悲しみに感情移入をして、それまでの人生には無かったほど激しく心を揺さぶられた。
 あまりにも楽しい時間で、こんな時間がいつまでもずっと続いて欲しいと思っていた。「いつまでもずっと続いて欲しい」。それはリトルバスターズという作品において、主人公・直枝理樹が抱く感情と全く同じでもあった。
 「現実は過酷だ、つらい、生まれてこなければ良かった」とさえ感じる直枝理樹の苦しみは、当時のオレの苦しみそのものでもあり、リトルバスターズのみんなはその苦しみに寄り添ってくれた。

 だが、オレの青春とも言える物語には、ついに終わりが訪れた。そして、オレは暗く狭い部屋に置いていかれた。画面の向こうの世界でこれからも続いていくリトルバスターズの物語。その物語をもう見続けることはできないオレ。
 お願いだから、オレも連れて行って欲しかった。



6.ずっとみんなといたかった


 物語の終わりの美しさと自分が置いていかれた寂しさ故にしばらく呆然としていたオレは、リトルバスターズで語られたたくさん言葉を何度も思い返していた。リトルバスターズのみんなからもらった大切な大切な思い出だから。
 その中でも終盤に大きな意味を持つ「終わらない物語なんて無い」「僕らの旅を忘れたりしない」という言葉。作中のセリフだけでなくリトルバスターズのED曲「Alice Magic」でも同様の内容が歌われている。
 まさにその通り。どこまでも続いていくリトルバスターズの物語に、もうオレはいない。オレとリトルバスターズの物語は終わりを迎えた。だからオレはここに置いていかれた。
 ・・・本当に?

 たとえリトルバスターズのみんなが居ない世界でも、オレがここでいつまでも続けるべきなんじゃないか?みんなとの物語の続きを。みんなからもらったたくさんの思い出と、みんながオレに伝えてくれた大切な言葉を。
 それは主人公・直枝理樹じゃなくて、この現実世界に居るオレだからできることなんじゃないか?
 みんながオレに教えてくれた「どんな過酷な現実にも負けない強さ」を、みんなから受け取ったオレこそが現実世界で証明しなきゃいけないんじゃないか?

 みんながくれたオレの居場所。オレはみんなと遊べて最高に楽しかった。みんなを最高に愛してる。みんなと出会って楽しい時間を過ごせたことが人生の宝だ。みんなと出会っていなかったら有り得なかった人生。
 そして、いつかのオレ(主人公)は「強く生きる」と誓ったんだ。みんながくれた強さに、その想いに応えなければならない。

 けどやっぱり、本当はみんなとずっと一緒に居たかった。でもオレは現実に残されてしまった。なんて理不尽なんだろう。納得ができないし、わけがわからないとさえ感じてしまう。
 それでも・・・オレは現実に絶望しない強さをみんなからもらったんだ。なんとなく、みんなに見守ってもらっている気がする。



7.みんながくれたもの


 暗く狭い部屋の外の世界は、怖いことや嫌なことがいっぱいだ。思い出すだけで体が強張り、汗が滲んでくる。見たくもないこと、聞きたくもないこと、嫌なことばかり押し付けられる。
 でも、生まれて初めて心の底から憧れた棗恭介という男に「もう迷うな、とっとと行け」と言われたんだ。それをちゃんと受け取って、「さよなら」を言わなくちゃいけない。
 物語の中で主人公として生きるオレの命を、みんなが懸命に救ってくれたんだ。みんながオレのためにたくさん頑張ってくれたのに、オレはこの暗く狭い部屋の中で何をやってるんだろう?

 リトルバスターズの作中で起きたようなバスの事故現場で、オレは主人公のような適切な判断対処ができるだろうか?
 暗く狭い部屋でゲームを終えたばかりのオレには、まだできない。それが悔しい。できないことじゃなくて、みんなに顔向けができないことが悔しい。

 みんなは、世界の真実を知りながらオレが強くなれるまで見守ってくれていた。悲しいことがあっても、きっとまた笑える。悲しみを乗り越える強さ、それを教えてくれた人たちだ。そのみんなに胸を張って、笑顔で感謝を伝えたい。
 それは、引きこもっていたままのオレでは、きっと難しいことだ。でも、難しいことに挑む時にどうすればいいかをみんなは教えてくれたんだ。
 画面を隔てた向こうの世界に、確かに愛はあった。オレはそれを受け取った。かけがえのないたった一度の青春を駆け抜けた。みんな、ありがとう。伝えきれないくらいたくさんのありがとう。
 みんなは暗く狭い部屋の中でうずくまるオレの手を引いてくれた。オレを救ってくれたみんなに少しでも恩返しをしたい。部屋から出てもオレはもう1人じゃないと思えるから。
 所詮は二次元?作り話?現実のことじゃない?だからどうした。オレはそれで救われたんだ。



8.暗く狭い部屋を出た


 そして、オレはやっと部屋を出て、つらくて怖い学校へ行くようになった。学校はつらくて怖いけど、それよりも、オレを救ってくれたリトルバスターズのみんなの想いに応えられないことの方が怖かった。
 とりあえず学校には行けるようになった。が、現実の壁は高く険しい。
 結局、オレが抱える生きにくさはそのまま。以前と変わりがない学校へ通い続ける。もう逃げることだけはしない、と思いながら、でも、何をすれば変われる(変えられる)のだろうと思いながら、二次元の世界という「理想」のように強く生きるにはどうすればいいのかわからなかった。

 それはとても難しくて、大人たちからは否定される生き方らしくて、自分の生き方がはっきり見えない感覚があった。ただ「憧れる彼らのようで在りたい」とは強く思っていた。



9.現実と理想


 そんな中でクラスメイトの1人が、あるレンタルDVDを持って遊びに来た。面白いから見てみろと。それがオレの人生を変える運命の出会い。リトルバスターズに続く「三大神作品」の内のひとつだ。

 それこそが「Fate/stay night」。その面白さに魅了されたオレは流れるように瞬く間にアニメを履修してPS2版を夜通しプレイした。めちゃくちゃ泣いた。特に「理想」というワードに悩んでいた当時のオレには途轍もなく響いた。あの頃に1番感銘を受けたのは「UBW」だったと思う。

 たとえ誰に否定されても、決して間違いではないと胸を張れる理想。他の誰かに負けるのはいい、けど自分自身にだけは負けられない。何を美しいと感じ、何を尊いと信じたのか。胸を穿つ苦しみも迷いも振り払って走り続けること。何者にも譲らぬと誓った理想のカタチ。

 リトルバスターズで「どんな過酷な現実にも立ち向かい強く生きること」を誓ったオレが「たとえ他人にくだらないと否定されても自分が尊いと信じる理想を貫きたい」と思えたのはFate、そして主人公・衛宮士郎の影響が大きい。

「強くはない。決して強くなどない。死を賭して戦う姿は醜く、無様な事この上ない。だが、その姿を。この世の誰が、笑い飛ばす事が出来るだろう・・・?」
「いつか、星を眺めた。手に届かない星と、叶う事のない願いを。共に残せた物など無く、故に、面影も記憶もいつかは消える。それでも。届かなくとも、胸に残る物はあるだろう」

 目の前の現実はあまりにも強大で、ちっぽけなオレが負けてしまうのは当然のことかもしれない。
 でも、それでもまだ指が1本でも動くなら、オレにもできることがあるはずだ。夢物語な願い事を叶えるために人生を捧げる馬鹿者が、この世に1人くらい居ても良いだろう。理想を叶えられずに人生を終えるのが当然の結末かもしれない。
 だが、もしも。もしも本当に理想を叶えることができたなら、それはとても素晴らしいことなんじゃないか?今まで自分を救ってくれたキャラクターたちへの恩返しができるんじゃないか?だったらオレは大馬鹿野郎で構わない。
 がむしゃらに部屋から飛び出した自分の足場がしっかり組みあがるような感覚。やっと踏みしめて踏ん張れるようになってきた。

 だが、ここで自分の中で疑問が生まれる。オレの「理想」ってなんだろう?ずっと親しんできた二次元の「何」がオレの理想なんだろう?
 オレを傷つけずに受け入れてくれること、ではない。現実よりも綺麗な世界だから、でもない。部屋から飛び出して地面を踏みしめるオレは、しかしゴールを見つけられずにいた。



10.目指すべき理想


 当時は中学校でライトノベルを読むことが流行しており、自分も新しい作品と出会うために本屋に行った。たまたまライトノベルの通路に立ち、ふと目線を動かした先に、ギャルゲーに人生を救われた生粋のギャルゲーマーであるオレの興味を強く惹くタイトルがあった。

 オレの「三大神作品」の最後のひとつ。「三大神作品」の内でも最も大きくオレの人生に影響を及ぼした、オレの人生の具現にして聖書とも呼べる存在。
 「リトルバスターズ」や「Fate/stay night」に比べればマイナーな作品だが、オレにとっては本当に本当に本当に大切な作品。出会って以降ずっと第1巻をお守り代わりに持ち歩いている。オレの遺体と一緒に棺桶へ入れてほしい。
 どれほど素晴らしい作品なのかは履修してもらえればわかると思う(上記のリンク先に試し読みあり)。もちろん作品自体もあまりにも素晴らしすぎるのだが、オレに最も影響を与えた1人の女性キャラクターが登場する作品だ。

 その女性キャラクターこそオレの人生であり、あらゆる苦労や苦痛を費やしても構わないと思えるほど憧れた女性。彼女がどれほど素晴らしい女性なのかはオレの貧困な語彙力では表現しきれないが、彼女は多くの大切な言葉、そして行動をオレに与えてくれた。

 それまでのオレにとって、二次元は「自分を受け入れてくれる優しい世界」だった。しかし彼女は、主人公に寄り添った上で、普段は優しく穏やかで消極的な彼女からは想像もできないことをした。過酷な現実に圧し潰されそうになって苦しんでいる主人公に対して「甘えないで」と厳しい言葉を放ったのだ。主人公に感情移入していたオレは強い衝撃を受けた。
 しかし、ただ厳しい言葉を言うのではなく、一番の理解者として寄り添ってくれた彼女がなぜ今の主人公を「甘えている」と思うのかを丁寧に伝えてくれた。それは日ごろから寄り添っている彼女だからこそ理解できたことだった。ずっと想い続けてきた主人公へ厳しい言葉をぶつけることで自分が嫌われるかもしれない可能性を踏まえた上で、それでも本気でぶつかってくれている姿だった。そして、その時の主人公が知らないところで、彼女自身もまた深く苦しんでいる最中だったのにも関わらず。とてつもない愛だった。オレはそんなに健気で深い愛を持つ彼女を守りたいと思った。

 自身がつらい状況であっても愛する人を思いやることができる強さ、愛する人の傍に寄り添うことで本質的に理解しようと努めてくれる人がいることの大切さ、人間の感情は移ろいやすいとされる世界の中でも一途に愛する人を想い続ける健気さ。まさに女神。オレは彼女という神を信仰していると言っても過言ではない。オレの「理想」の具現。

 そして、当時のどうしようもない引きこもりだったオレとは釣り合いようもない素晴らしい存在。でも、本当に恋をしたんだ。
 たとえ「自分には釣り合わないから」とか「二次元であり虚構の女性だから」という理由で諦めることができないくらい。
 その通り、オレでは釣り合わない。そんなことはわかっている。
 その通り、現実には実在しない女性。そんなことはわかっている。
 そんなことは百も承知の上で、「じゃあ諦めよう」と思うことができないくらい好きだ。決して視線すら交わらない相手。声すらも聞いたことがない。
 絶対に出会うことは不可能とわかりきっている。だから、せめてどうしても、彼女に胸を張って「好きです」と伝えられるような男になりたいと本気で思った。だからオレは本気で自分を磨き始めた。



11.自分磨きを始めよう


 そうして、オレが目指すべきゴールは決まった。彼女が愛する主人公を「恋敵」として追いつくために努力する。世界で一番素晴らしい女性に釣り合うような、世界で一番すげえ男になってやると言いながら。何をすれば理想の女性に追いつけるのか試行錯誤していった。

 いや、もっと正確に言えば、オレが理想とする女性が愛する男性、すなわち作品における主人公のようになるにはどうすればいいのか?さらに主人公を超えるためにオレが努力できることはなにか?
 決してオレに振り向くことはない女性。絶対に想いが届かない相手。その女性を、どうしようもなく好きになってしまった。理屈はわかっている。決して届かない、届くことは有り得ない。そんなことは十分理解している。

 けど、それは、オレが努力しない理由にはならない。オレが頑張らない理由にはならない。できないことは、努力しない理由にはならないんだ。



12.オレの夢


 過酷な現実が行く手を塞いでも、どんなに遠く届かない理想でも、それを貫き追い求めることで見つけられるなにかがきっとある。
 いつか、好きな人に胸を張って想いを伝えられるような人間になる。
 「好きです」っていうよりも、今は胸を張って「あなたのおかげでここまで頑張れました」って伝えられたらいいなあと思っていたりする。人生の報酬を先にもらってしまったようなものだ。

 この人生を駆け抜けた果て、全てが終わる最期の瞬間、目を閉じたらふっと意識だけが向こうの世界へ行って、その時にただ「ありがとう」と伝えたい。
 その時にちゃんと胸を張って「ありがとう」と言えるようになっておかなくちゃいけないから、これからもオレは頑張り続けなきゃいけないんだ。
 非情な現実と思うように戦えず、たとえ納得できない結果に終わったとしても、最後まで理想に向かって走り抜いたこの人生を「満足のいく人生だった」と思えるように。今でもオレはそんな夢を見ている。



13.みんなと共に生きていく


 三大神作品との出会いは素晴らしい奇跡だった。キャラクターたちの素敵な人柄に惚れ込み、楽しい時は共に笑い、過酷な物語の展開に固唾を飲み、つらく苦しい時は共に泣き、美しい物語の終わりに胸を打たれた。

 みんなは生きていた。ここではない別の世界で、オレの心の中で、それぞれの思いを抱いて確かに愛を持って生きていたんだ。
 その努力を、苦しみを、葛藤を、絶望を、そしてそれらに立ち向かい乗り越える強さを、ただ「面白かった」で終わらせたくない。Fate/Grand Order 第2部6章でオベロンが語ったこと。キャラクターたちの生き様を、単純な「娯楽」として消費するなどできない。引きこもり始めた頃のように「こんなにどうしようもない自分でも否定せず受け入れてくれる世界」という安易な考えで現実逃避する先にしたくない。

 この感動を与えてくれたみんなに対して、オレは報いなければならない。みんなの思いを見届けたオレが、ここで受け継いで生きていくんだ。
 たとえ、みんなが虚構の存在であったとしても、みんなを愛するこのオレの気持ちは、間違いなく本物だから。
 そうだ。たとえ、愛する女性が虚構の存在だったとしても、オレがここで持つこの想いは本物なんだから。
 偽物への想いだから本物への想いに敵わない、なんて道理はない。
 魂に刻んだみんなの生き様を、オレが現実に活かしていく。みんなの力を借りて、オレが現実を変えていく。オレもみんなのように生きられたらどんなに良いだろうか、なんて憧れながら。



14.たとえ虚構であろうとも


 虚構の存在に対して本気になって生きるなんて、きっと、多くの人から笑われる人生だろう。これからも上手くいかないことがたくさんあって、無様と言われるような醜態を晒すこともあるだろう。
 でも、それでも、オレは走り出すと決めたんだ。「走り出すその理由が、たとえどんなにくだらなくても」(Fate/Grand Order第2部後期主題歌「躍動」より)

 我々は日常的な噂話や幼少期の人形遊び、画面の中で展開される創作ドラマ、愛してやまないゲームのキャラクター、またかつての人類は神話や宗教など、古来から様々な「虚構」を身近なものとして生きてきた。生活において必須である政治や国といった概念も知覚することは困難であり、ある意味では「想像」の中に存在する大規模な集団とも言える。
 そして、それらを信じることで我々は人格や社会を形成してきた。

 「人間は虚構を信じることができる唯一の生命体」であるとグリッドマンユニバースでは語られている。
 その通り、「想像力」は「力」だ。立派な能力だ。作り物を信じる力、作り物に感情移入できる力。作り物でもいいじゃないか。
 たとえ愛する人が虚構の存在であったとしても、現実世界に居るあなたが感じたモノは確かに在るんだから。



15.ただの中学生


 さて、じゃあ、中学生のオレは具体的になにを頑張る?勉強もスポーツも正直人並み以下。オレが使える武器はなにがある?
 さらに、過酷な現実に苦しめられるのがもしも自分自身ではなく、自分の大切な人だったらどうする?大切な人を守るためにオレは現実と戦えるのか?戦う気持ちは当然あるとして、実際に現実と戦う手段を持っていないんじゃないか?
 オレを傷つけ馬鹿にすることは甘んじて許容できても、オレの大切な理想の女性を傷つけ馬鹿にすることだけは絶対に許容できない。過酷な現実から守るために、過酷な現実と戦えるようにならなければらない。
 そのためにオレがしなければならないこと。憧れる主人公のように大切な人を守り抜く手段を考えろ。



16.ちっぽけなオレにできること


 オレが元々持っていて、磨けば武器として使用していける能力は何か?特別な才能を持たず、努力することから逃げて、社会の厳しさもまだまだ知らず、大人の賢さにも太刀打ちできない弱くちっぽけなオレ。

 なにもできないオレが考えて出した答えは「口を動かし、声を出すこと」。対人コミュニケーションだ。
 別に他人より得意ってワケじゃない。でも、大勢の前で話したりリーダーシップを発揮したり、それらが苦手な人はオレ以外にもたくさん居る分野だ。
 オレの能力をただのコミュケーションではなく、リーダーシップを加えて鍛えた場合、それを扱える人間はどれくらいいる?
 必要なのは「入念な準備(計画性)」と「人前に立つ勇気」だ。時間と頭をフル活用して、勇気を出すこと。

 計画性とは、たくさん考えなければいけない。考えて考えて考えて、勉強もスポーツもできず、考えることくらいしかできないなら、せめてそれだけを磨き貫け。いっぱいいっぱい考えろ。そして考えを実行する勇気を持て。
 緊張して言葉が詰まる。声が震える。顔が赤くなる。上手くしゃべれない。
 でも、いつだってみんなが応援してくれている。今まで出会ったキャラクターたちが背中を押している。みんなに恥じないために、一歩前に踏み出せ。敵は弱気な自分自身だ。たとえ足が震えても、口を動かし声を出せ。
 それなら何者にも成れていないオレにだってできるはずだ。
 できるけど、それでも、他人よりたくさん努力をしなきゃいけないかもしれない。でも、それで独自性を出して勝負はできる。
 万が一、勝負ができなくても応用が利く能力ではあるはず。だからまずはコミュニケーション能力を磨いていくことにした。
 毎日ご飯の時間もお風呂の時間も寝る前の時間も、たくさんたくさん考えた。
 会話と人同士の繋がりを俯瞰的に見て計画を練って、関わり方のアプローチや反応の様子を考察して、個人ごとの特性と多人数相手に通用する会話の方法を研究して、それで現実と戦っていくことにした。



17.過酷な現実に立ち向かうには


 現実はあまりにも理不尽で、まったく予想もしていない方向から苦しめられることもある。
 特に、自分にとって「わからない(知識が不足している)」事柄がある場合、状況としてはとても不利になる。
 一方的な悪意から身を守るための知識が無いゆえに手段を選ぶ選択肢すら与えられず、ただ人生を蹂躙されていく。大切な人を守ることができない。大切な人の不利益になる。

 この現実社会を生き抜く中で避けることができない過酷が存在している。ただ強い気持ちを持つだけじゃなくて、状況に応じた適切な対処方法を身につける必要があると考えた。
 しかし「全てを知る」ことが現実的ではない以上、どうしても「わからない(知識が不足している)」が発生してしまう。
 どうしても発生してしまうから、仕方がないことだから、大切な人を守ることができなくていいのか?そんなわけないだろ。考えろ。ひたすら考えろ。
 自分が持ち得る限られた時間と才能の中で、どうしたら「わからない(知識が不足している)」を最小限にすることができるか。



18.掴んだ答え


 そうだ。「自分が持ち得る限られた時間と才能」だから限界があるんだ。
 もしも、自分以外の人間の時間と才能を活用できるとしたら?
 それはつまり、自分の「わからない(知識が不足している)」への対処方法を知っている人間の協力を得られるなら、自分も間接的に対処していけるんじゃないか?
 オレひとりでできることなんてちっぽけなんだ。
 この過酷な現実から大切な人ひとりを守り抜くことすら叶わないかもしれない。
 けれど、もしも、様々な技能・知識・経験を持つ人たちからそれぞれ協力を得ることができるなら、オレは間接的に万能になれる。
 この現実社会と戦っていける。

 必要なことは状況を適切に把握する能力、そしてリーダーシップ。まずは「学校」という小さい社会の中で、守りたいものを守れる強さを得ること、さらに社会に対して汎用性がある経験を積むために集団のリーダーとして活動していく必要がある。
 大丈夫。リーダーとしての理想的な在り方は、棗恭介や征服王イスカンダル、英雄王ギルガメッシュの在り方を学習してきた。
 在り方の全てを真似る必要は無い。必要な部分を必要な量だけ。時には主人公や他のキャラクターの理想的な部分を真似して自分に貼り付けていく。

 知らない人と話すのは怖い。でも、直枝理樹はみんなを守るために勇気を振り絞った。
 走り続けて息が苦しい。でも、衛宮士郎はもっと苦しい状況を必死に耐えた。

 オレ自身は歪でツギハギの在り方かもしれない。
 でも、それで少しでも理想の存在に近づけるならオレは努力をする。
 これまで引きこもりだったオレが初めて多くの人に話しかけ、集団の中で注目を集めていくことが、怖くないわけがなかった。とても勇気が必要だった。
 それでも、勇気が持てない「自分の心」という最小単位の世界すら変えられなくて、自分よりもっとずっと大きな現実の世界なんて変えられないから。



19.やっとスタートラインへ


 そしてまず、引きこもりから脱却した直後、いきなり中学3年生の学級委員長に立候補した。他の立候補者が居なかったので当選することができ、やっと勝負のスタートラインに立ったと感じた。

 他人が当たり前にできることなら、オレは10の努力をする。他人が10の努力をすることなら、オレは100の努力をする。
 時間を捻出する。考察のクセをつける。できるだけ思考をシステム化する。場は演出する。表情は意図的に扱う。人間の好き嫌いを分析する。無駄な時間など無い。地べたを這いずって泥水を啜りながらでも前へと進め。どれも大好きな作品のキャラクターたちが努力している姿を見習った。みんなのセリフが自分を励ます言葉のように感じられた。



20.上手くいかなかったこと


 頑張ろうと決めて頑張ってみても、やっぱり上手くいかないことはたくさんあった。非情な現実の状況は、オレの気持ちなんて無視してどんどん悪くなっていく。「最悪の状況だ」と何度も思った。けれど、そこから「さらに最悪の状況」になることもたくさんあった。「最悪の状況」だけど、「今が最悪のどん底」なんてこともない。もっともっと悪くなる。ならば、「今、ここで食い止める」、「最悪はここまでで終わらせる」という教訓を得られたのは大きかったと思う。



21.上手くいったこと


 学級委員長になってからは学校内イベントでクラスを上位に進めることができ、高校でも3年間学級委員長を務め、その全てのクラスにおいて学校内イベントで上位の成果を挙げ続けた。
 勉強もスポーツも苦手だったが、高校では生徒会長も務めることができた。生徒会長としての功績が評価された影響もあり、当時の皇太子殿下(今の天皇陛下)にご挨拶する場まで進むことができた。

 全校生徒に向かって壇上で演説をする時は、いつも緊張で足が震えた。
 失敗するのが怖かったし、他人からどう思われるのか怖いことも多々あった。
 それでも、この観衆の中のどこかに憧れの女性が居ると妄想すれば、絶対に撤退は有り得なかった。堂々と胸を張ってカッコイイところを見せなくては、と意気込むことができた。いつだってあなたに支えてもらっていた。
 引きこもりからそこまで辿り着けたことも全て憧れの女性のおかげ。全部全部、彼女のおかげ。
 彼女が存在しなければ、オレの人生はここまで進めなかった。本当に感謝しかない。

 でも、まだまだ努力が足りなかった。理想の自分自身となるために、理想の女性と釣り合うような男になるにはまだまだ足りない。オレが目指す理想の男の背中はあまりにも遠すぎた。



22.理想の男になるために


 そしてオレは、自分自身が理想の女性と釣り合う男になるために、まったく不純な動機ではあるが、「より多くの人を救える男になりたい」と考えるようになった。

 どれほど努力しても理想の自分に届くことは無いかもしれない。夢の途中で人生が終わるかもしれない。
 でも、もしも、理想を追いかけながら多くの人の助けになることができたのなら、それはとても素晴らしいことなんじゃないか?人生を賭けてみる価値はあるんじゃないか?

 もしも、オレが助けた人たちからの「ありがとう」という感謝があるのなら、それはオレを救ってくれたキャラクターたちが存在してこその感謝だ。胸を張ってみんなに報告できるだろう。それはとても素晴らしく嬉しいことだ。

 オレの理想の女性が存在したからこそ救われた人生があるならば、それはひとつでも多いに越したことはない。そのためなら、オレはどこまでも努力できる。この先もずっと頑張っていける。



23.理想成就の手段として


 オレは社会福祉分野の仕事をすることにした。
 オレが自分の人生を費やして関わることができる人間の数は、全体から見ればごくわずかだ。オレひとりに与えられた時間は短すぎる。

 だから必要なのは「オレの死後も誰かの助けになり続けるシステム」の構築。すなわち「制度の創設」である。
 それも児童や高齢者といった対象を限定するものではなく、もっと幅広い対象を困難から救うモノ。だからオレは「社会福祉士」というルートを選択した。「全ての出来事は複雑かつ多層的に重なり合っている」という考え方はオレの物事の捉え方と合致していた。

 オレが助けた人が、その後に誰かの助けになってくれるかもしれない。全ての人がそうでなくても、そうする人が居るかもしれない。その僅かな可能性がずっとずっと繰り返されていけば、きっと繰り返しの最初であるオレを救ってくれたキャラクターたちの存在もとても大きく重要な価値があるものになるだろう。人間の善性を信じきった夢みたいな理論かもしれないけど、これはFate/Apocryphaのアストルフォの考え方を元にしている。
 誰も知らなくても、オレがいつか居なくなっても、きっと多くの人のためになる手段としてオレとみんなの積み重ねが残り続けていくはずだ。

 自分の行動原理が故に、自分の行為が本質的には偽善であることはわかっている。誰かのためではなく、自分の理想のための善行だから。でも、それで助かる人がひとりでもいるのなら、この道はきっと間違いじゃないと信じている。



24.この社会のシステム


 元々、身体的、社会的、経済的に抵抗する術を持たない立場の弱者をより強い立場の者が虐げることは許せない性格だった。
 じゃあ、加害者という個人だけが絶対的で覆しようもない悪なのか?
 もちろん被害者やその周囲の人間の悲しみや苦痛があり、加害者に対する憎悪や許せない気持ちがあって当然だと思う。誤解を招くかもしれないので重ねるが、被害者にはまったく非がないものとする。
 他者の権利を侵害している時点で罪だろう。状況的に見て、その行為は悪意があるだろう。
 だが、もしも今とは異なる生育環境・状況・対人関係であったなら、それは個人が加害者になることは回避できるものだった可能性は無いか?誰かを憎むのではなく、その状況や社会の構造を見直す必要があるのではないか?
 これはFate/Apocryphaにおいて、被害者側である天草四郎時貞が「誰も憎まない」という被害者側としては異常と思えるような答えに至っており、同作品における「被害者側」そのものであるジャック・ザ・リッパーに言及する説明でも、世界的な技術革新の裏返しである社会システム自体が人間の悪意(犠牲者を繰り返し生み出し許容するもの)であったとされている。
 またFate/stay nightにおいて言峰綺礼が語ったように「悪人が戯れに見せる善意、聖人が気まぐれに犯す悪行」があるとして、それらをどちらも「その個人が悪人だから」あるいは「その個人が聖人だから」として行為自体を解釈して良いものなのか?悪人だから悪行しかしない?聖人だから善行だけをする?そうではないだろう。
 なぜなら我々は間違いを犯す「人間」という生き物だから。



25.すぐには達成困難な目標でも


 このような疑問に対処するために、オレは研究室ではなく直接現場で困難と葛藤しながら仕事をしたかった。
 それが、現在オレが病院で勤務する理由。社会福祉士には「積み上げた個別レベルの実践を組織や地域、制度や政策へと反映して展開させていく」という社会的使命と責務がある。
 オレひとりではできないことだ。
 ただ大人数で取り組むだけじゃない。
 オレの後になる世代にも引き続き立ち向かっていってもらう必要がある困難だ。次の世代に繋いでいく。この長く果てしないリレーのバトンを受け取ってくれる誰かを探す。
 過去そして今、多くの人の悲しみや苦しみがあっても、その先である未来に多くの人が笑っている世界があるのなら、それを信じて頑張っていける。

 そのことがFate/Grand Orderの8周年メモリアルムービーでは的確に表現されていたとオレは思っている。過酷な現実と立ち向かってきた多くの人々、悪意や悲劇によって犠牲になった人々、そして、今、そしてこれから受け継ぎ後世へ繋いでいく我々。
 ちっぽけなオレの人生でなにかひとつだけでも残せれば、そりゃ大層な儲けものだ。そうやって過去から今まで繋がってきた。さあ、あなたなら何を繋ぐだろう?



26.「出会うこと」の大切さ


 素晴らしいモノとの出会いは人生を変える。

 「出会い」は人生を変えるんだ。その出会いは、たとえば他人であったり、言葉であったり、景色であったり、本であったり、音楽であったり、乗り物であったり、食べ物であったり、ぬいぐるみであったり、学問であったり、人によって様々だろう。
 オレは、たまたま二次元の作品だった。たまたま出会えた。
 だからこれを読むあなたも自分にとって素晴らしいモノと出会うために、外の世界をたくさん見るといいだろう。

 なにと出会って、なにを得るのか。
 どのように活かして今後を生きていくのか。
 ポジティブな結果にならない出会いだったとしても、それ自体を「学び」とすることだってある。目の前に広がる世界に無駄なものなんてひとつもないとオレは思っている。
 そして何かひとつでも「人生を捧げても良い」と思えるモノに出会えたなら、それはきっと幸福なことではないだろうか。

 人間はみんなが強いわけじゃない。
 なにがつらくてどれくらい苦しいかなんて、本人でなくちゃわからない。他人からどう見えようと、誰もがそれぞれ、自分なりに頑張っているんだ。



27.誰かのために生きること


 暗く狭い部屋の中で自分自身を守るために息をしているだけで精一杯だったオレは、三大神作品との出会いでそこから脱出することができた。
 脱出した後に外の世界へ目を向けて自分自身を磨き続けたオレには、かつての自分と同じように過酷な現実との軋轢で苦しむ人を助ける責務があるのかもしれないと思っている。

 手を差し伸べるのは「病気だから」とか「弱者だから」とかじゃない。あなたがあの日のオレのように、「助けを求める顔していたから」。僕のヒーローアカデミアの中でもとびきり好きな言葉。助けを求めて苦しんでいたオレは、みんなに手を差し伸べてもらったんだ。
 オレは正義の味方にはなれないかもしれないけど、困っている人の味方ではありたいんだ。
 オレ個人では達成できないような、もっと広く長く多くの人を救い続けるシステム制度を組み上げたい。
 そのための礎として人生を全うできるなら、オレはきっと理想の女性に胸を張れる自分になれると思うから。



28.地球ぎ


 最後に、オレの人生で最も好きな曲であり、もしも自分の葬式をする際は流してほしいと周囲にお願いしている曲があるので紹介する。


 それは「地球ぎ(作詞作曲・松澤由美 作曲・高井ウララ)」。
(海外にて少しアレンジして歌った際の映像が公式で見つかったので上記に陳ク貼り付けました。原曲もしっとりしていて素晴らしいので聞いてみてください)
 曲や歌声も最高で胸に響くのだが、オレの場合は歌詞から影響を受けた部分が多かったので、特に好きなフレーズを抜粋して紹介する。
「あきらめる理由(ワケ)を話すよりも 出来ることを数える方がいいよね
 つまづくことがあって 振り返りそうになって
 それでも それでも もう決めたんだ
 あなたのために 出来ることなんて たいしたことないかもしれない
 でもそれでも 触れていたいよ かなしみより そのぬくもりを」
 歌詞全部めちゃめちゃ好きだが血涙を流しながら抜粋した。つらい。全部聞いて欲しい。



29.おわりに


 連日お仕事してくださっていた人たちにはあまり影響がないかもしれませんが、世間は大型連休が終わる頃で、明日を憂鬱に思っている人が多いと思います。そんな人たちを少しでも元気づけられたら良いなと思って、自分のことを書きました。
 この文章を読んだあなたが少しでも元気づけられて、いつかどこかで困っている人を見かけたときに手を差し伸べてくれたらすごく嬉しいです。
 おわり。

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