キナリ杯投稿短編小説『あたるくんだけは許す!!』
岸田奈美さんの主催による、キナリ杯に参加するために書いた短編小説です。自分の経験を元にしたフィクションで、文字数は8000文字ほど(原稿用紙20枚位)です。このたびは参加させていただき、ありがとうございます。
タイトル:あたるくんだけは許す!!
著者:野村 航
小学校低学年の頃、近所にあった広場で近い年齢の子たちが集まってよく遊んでいた。特に仲が良い子が集っているというよりも、近所の小さな男の子たちが自然に集まり皆で走り回っているといった感じだった。上は3年生くらいまでいて、僕は1年生だった。その輪は6人、8人、時には10人以上にもなって、鬼ごっこをしたり、ボールを投げて遊んだり。
その輪にはしばしば、りこちゃんと言う未就学の女の子も入った。と言うか、よく入りたがってやってきた。りこちゃんは住宅街の中にある小さなスナックの子で、5歳か4歳ぐらいだった。幼少の僕にはりこちゃんの家の事情は良く分からなかったが、彼女は祖母の世話になっていることが多いようだった。家族状況は知らないが、何か事情があるのかな、と、ほんの少しだが感じさせなくもなかった。まだ学校に行っていない彼女は、保育園や幼稚園にも行っていなかったようで退屈していたのだろう。住居になっている2階の窓から広場を見て、学校を終えた年上の子たちが集まってくると、外に出てきて入れてほしそうにするのだった。
「ねぇねぇ何やってるの?」
子どもたちなど毎日同じように走ったり投げたりしているだけだが、りこちゃんはよくそんなふうに聞いた。
「うるせえな、じゃまだよ」
「ちびはあっち行きな!」
りこちゃんはそれなりに邪険にされることもあったし、無視されることもあった。もしかしたら、あの家は両親がいるのか良く判らないだとか、そう言った噂話が皆の親を通して耳に入る等して、彼女への対応に影響を与えているところもあったのかも知れない。僕は幼少であるものの、そういう雰囲気の一切を感じないわけではなかった。そして、なぜ人はそういうことに影響を受けるのかという不思議さとか、なんだか寂しそうでかわいそうだなという思いを漠然と持っていた気もする。あくまで漠然とだが。
まぁ、後に書くが、りこちゃんにも好き勝手な所はあった。とは言え僕はりこちゃんを『嫌な奴だなぁ』と感じたことはなかったし、そう意地悪くしなくてもいいんじゃないかなぁとよく思った。僕は所在なさげにウロウロしているりこちゃんに近づくと声をかけた。
「りこちゃん、ほら一緒にあっちへ逃げよう。鬼が追いかけてくるよ」
そう言って顔を見ながらゆっくり走り出すと、りこちゃんは嬉しそうにニッコリして、僕と一緒に広場の隅の方へ走った。僕らは所詮、走り回っているだけである。仲間にいれるとかいれないとか、敷居を高くするほどの大層なことでもなし、弱者である幼少の子に対してケチる理由も必要もない。率直に言って、意地悪く接する理由がない。僕でも誰でもいいが、誰かと一緒にいればグループに入ったことが既成事実のようになり、あとは何となく一緒に遊んでいるような感じになった。
やがてりこちゃんも場になれてきて、僕の近くを離れて好き勝手に走り回る。
「わっ、なんだよこいつ。こいつはお豆だからな」
お豆とは特別扱いされる子の俗称で、力の差があったりルールをしっかり認識できない小さな子は、お豆として無敵扱いにされることが多かった。小さい分、簡単に捕まえられるし、かけっこをしても追い抜けるが、例えば鬼ごっこならお豆は捕まっても鬼にはならない。りこちゃんも最初はその特別扱いがうれしくて、好き勝手に走り回る。実際は邪魔だからと、そうやって放っておかれているわけでもあるのだが。
「なんだよあたる、またそいつ入れてやったのかよ」
「えへへ、まぁいいじゃない」
参加者としての既成事実ができ、他の男の子たちも何も言わなくなる。そもそも、りこちゃんのことは眼中にない子も多かったと思う。邪魔しないで勝手に走り回ってるならまぁいいけどさ、という感じか。
「りこちゃんたのしい?」
「うん、たのしい」
「良かったねぇ」
僕がりこちゃんにどれほど親切にしたのかなんて覚えていない。と言うか、別段特に親切にしたという思いもない。もしかしたら、ゴムボールで野球をしたときは「次はりこちゃんにも打たせてあげようよ」と言ったかもしれないし、それを嫌がられたら僕の打つ分を分けてあげたことがあるかも知れない。「邪魔だよ」と言われている時、曖昧に笑いながら「まぁいいじゃない」と声掛けしたことがあったかも知れない。でも、子供の頃のやさしさなんて生活がかかっていないし、ただ優しくするだけのことぐらい割と簡単なのだ。子ども時代は金を儲けないといけない大前提がないし、所詮幼少の子たちなら悪意があったとしてもたかが知れている。だから、しようと思えば割と簡単にいい顔もできる。大人になると、強さのない優しさは金を産めないから役に立たなくなる。また、道義を貫いたり、あるいは良い顔をすると、信じがたい敵意ややっかみで強烈な悪意を持たれ実害が生じる可能性も出てくる。そういうことのない幼少の時分だから、僕はいい顔をすることを優先しただけなのかも知れない。成人してから社会的に全く光るところのない僕は、現在の結果をもってそんなふうに思ったりもする。
ある日、同じような経緯を経て僕らの輪に入っていたお豆状態のりこちゃんは調子に乗ってしまった。しだいにまた僕の近くを離れ、夢中で走り回り、グループの中でも年長者の男子と正面からぶつかってしまったのだ。男子も後方を見ながらゆっくり走っていたから、前から突進してきたりこちゃんにギリギリまで気が付かなかった。びっくりした男子はよけようとしたがよけきれずに半身ぶつかって、斜めにつんのめりながら体勢を立て直した。半面、ずっと小柄なりこちゃんはステンと尻もちをついてしまった。夢中になってトテトテと走っていたりこちゃんは何が起きたのか判らず、びっくりして周りを見上げていた。
「わっ、なんだよこいつ!なんでこいつが俺たちの中にいるんだよ!」
「どうした?」
「どうしたも何も、こいつがぶつかってきたんだよ」
「あぁー!あぶねぇんだよ」
「なぁ!」
「そうだよ、おまえ帰れよぉ」
追いかけっこが中断し、皆が輪になった。僕もその輪に駆け付けた。皆よりやや、りこちゃんに近づく。多くの子が怒り出し不満を訴え始めた。僕は困ってしまい『あー』と思った。こう皆が怒ってしまうと仲裁も困難だ。りこちゃんは尻もちをついたままだ。かわいそうになって近づき
「だいじょうぶ?」
と声をかける。僕に勇気があったわけではない。ここにいる皆も、僕のそういう行為に因縁つけて脅してくるほど嫌な子たちでないことは分かっていたから。ただ、そうやって声をかける役目は僕だった。皆はそこまで彼女のことを思わなかったのかも知れないし、もしかしたら照れのある子もいたのかも知れない。僕は、かわいそうだなと感じやすい方ではあった。
声をかけて手を伸ばす。りこちゃんがその手をつかみ立ち上がる。
「なんで、なんで。私だって…」
「うるせえよ、なぁ?」
「チビはあぶねぇんだよ」
「こいつ邪魔なんだよいっつも!」
多勢に無勢の上、りこちゃんは皆より幼いため弁も立たない。
「いやいや、まぁまぁ…」
僕はもごもごと小さな声でそんなことを言う。
『あぁ…、なんでこうなっちゃうのかなぁ。かわいそうだな、でもなぁ…、りこちゃんもおとなしく遊べばいいのに夢中になっちゃうからなぁ…、どうすりゃいいんだろ…』僕は漠然とそんなことを思いながら立っていた。
僕も嫌いな人がいるし、そういう人のことはなかなか許せなくなってしまう。だから、当然だが自分が聖人などのわけはなく、むしろ嫌だと思った相手には自分でもウンザリするほど執念深くその者にとらわれて許せなくなってしまうことがある。そうやって許せない性格だから、実は気が短く怒りっぽい所もある。自分でも嫌になってしまう。ただ、りこちゃんに対しては何も含むところがなかった。しょうがないなぁ、と思うことはあっても、まぁいいやと見ていられた。まぁ、意地っ張りだが幼げに純粋な所にかわいらしさも感じていたかも知れない。夢中になってしまうのも皆より小さいから仕方がないし、日ごろあまり甘えたり、遊んでもらったりできない事情があるのかも知れない。どこかしら寂しそうでもあるので、見かけたときは親切にしてあげられたらと、意識するほどではなくだが思っていた。
しかし『やむを得ず仲間にいれてやっているお豆のチビ』に、突然の突撃等々好き勝手される男の子たちが怒るのも全く理解できないわけではない。僕は『まぁいいじゃないか』と思うが、『なんだこのチビは』とか、あるいは『そもそもなんで女が』と言った思考を持つ者もいる。
「大体こいつ、いつも勝手に入ってるくせに自分勝手なんだよ」
「だってだって…」
りこちゃんは声が上ずってきてしまった。
「あ、こいつ泣くぞ」
「ははは、泣け泣け」
すると「泣~け、泣~け」の合唱が始まってしまった。僕は『あぁ…』と思ってオロオロするばかり。すると今にも泣きそうだったりこちゃんが目に涙を浮かべながらキッと男の子たちを睨んだ。そして言った。
「なによ私悪くないもん!もうあんたたち許さない!許さないんだから!!おばあちゃんに言いつけてやる!あんたたちなんてもう全員許さないんだから!」
「アハハハハ」
男の子たちは笑った。りこちゃんがムキになるほど笑うのだった。
「ぜったい許さないんだから!」
怒るりこちゃん…。「おばあちゃんに言いつける」という仕返し方法が、僕はなんだか切なくなってしまった。しかし今考えてみると、小学生の男児たちを睨みつけてそう言い切る未就学女児のりこちゃんには、胆力というか強さがある。あるいはそれがやけくそだったとしても、おじけづかずに涙をこらえ、ずっと年上の多勢に言い返すなんて大したものだ。向こう見ずなのは危ないけれど、すごいしえらいとも思う。そしてこのあとに続けて、りこちゃんは驚きの発言をした。
「みんなみんな許さない!・・・だけどあたるくんだけは許す!!!」
『えっ?!』
りこちゃんは大声でそう言うと、クルッと背を向けて走って行ってしまった。
『あたるくんだけは許す!!!』
りこちゃんの勇気に比べオロオロするばかりだった僕は、いきなり一人だけ名前を挙げられてとてもびっくりした。他の男の子たちもまた、僕とは少し違う感情でビックリしたのだろう。場は一瞬シンと固まって、その後にわかに盛り上がった。
「おいあたる!おまえだけ許すってよ!」
「すげぇなお前モテモテじゃん!」
「あたるも好きなんだろ、いつも優しいもんなぁ!」
「あたるちゃん、りこと結婚しろよ~!」
「わははははは~!!」
年上の子たちを中心に、嬉しそうに僕を囃してからかった。
「いや、あ、あぁ…」
僕は何とも言えない気持ちでいた。走っていくりこちゃんを追うこともできず、『あぁ…』と思ってその背中を眺めていた。背を向けて走り去ったりこちゃんは僕らの前では涙を見せなかったが、いまそれがあふれてしまっているだろう。家に帰っておばあさんに頭をなでて抱きしめてもらい、慰めてもらえるのだろうか。僕は『かわいそうなことをしたな・・・』と思い、その後はあまり元気が出なかった。
それからの日々も僕らはその広場で遊んでおり、その輪には何だかんだでりこちゃんが加わることもよくあったと思う。僕は多分同じように彼女を仲間にいれてあげて、皆も文句を言いながらそれを受け入れていただろう。りこちゃんは多分うれしそうに笑ったり、邪険にされて怒ったりしていたはずだ。もうよく覚えていない。ただ、歳が上がるにつれ広場のグループもうやむやになっていき、また、男女が一緒に遊ぶこともあまりなくなっていく。僕は同じクラスの友達たちとグラウンドで野球をしたり児童館へ行って遊んだり、仲の良い同級生と自転車で出かけたりするようになり、りこちゃんも当然小学校へ上がっただろう。そして多分そこでお友達もできたはずだ。僕はいつとも覚えていないが、りこちゃんと関わることもなくなった。いま僕はそのころ住んでいた街からも引っ越している。
僕はりこちゃんのことを特別な思いで好きだったとか、幼いながらに恋していたとか、そういう感情は別になかった。幼少の子を優先し慈しむような思いや、純粋にかわいいな、という思いはあったが、彼女に対する気持ちはそういうものだった。顔も覚えておらず、ひろばのそばに住んでいたことと、痩せがちの少し貧しそうな女の子だったような気がするという、そのぐらいしか記憶にない。便宜上りこちゃんと書いているが、本当は名前も覚えていないのだ。そしてそういうのは多分向こうも同じだろう。りこちゃんが突拍子なく言った言葉とその時の状況にインパクトがあり、それで僕はそのことをやけに覚えていた。さらに言えば、覚えている気がするけど、こう詳細に書き出していると、そういうことが本当にあったのかも自信がなくなってくる。そういうのは多分向こうも同じで、彼女も僕のことなど覚えていないだろう。ここに書いたようなことなど全く覚えていないと思う。それなのに、僕にこんなことを書かれていると知ったら、さぞ驚くだろうし、嫌な気持ちがするかも知れない。そうだったらごめん、と言う気持ちだ。
また、あそこにいた他の子も決して悪い子たちではなかった。実際優しい所も大いにあり、気もよくて、良くしてもらったし仲も良かった。ただ、世の中にはあんな感じの『ちょっとした意地悪やからかい』みたいなことがままあり、僕はその類のことはあまりしないようにしようとは思っていた。突き詰めると、ことさら嫌いでない人間にそういうことをする意味や理由も自分にはないのだった。だからなるべくしない。それは僕が恵まれた家庭の子どもだったからそう思えた、と言うことなのだろうか。僕の母は昔からよく人の心に思いをはせる優しい人だったので、それが影響しているのはあるだろう。確かにりこちゃんは直情的で不器用と言うか、良くも悪くも人にスッと取り入ってうまくやるような『あいまいな人間関係』を築くのが苦手のようだった。保育園や幼稚園に行っていなかったことを含め、遊び相手や人間関係が少なかったこと等も影響していたのだろう。しかし全然嫌な子ではなかったし、なにか意地らしく、それが時にかわいそうげな、と言っては失礼なのだが、僕としてはなるべく優しくしてあげたくなるような子だった。何らかの事情からか、小さいのに、目いっぱい甘えたりして人に迷惑をかけたりはしないようにと我慢をしてがんばっていそうな、自分を抑えて一生懸命な感じが何か気になるというか、力になれたらと思うこともあった。
明確に嫌なやつに対してだって、受け流したり許せたりしたらそれが一番いい。しかしそういうやつが相手なら、時間の無駄でありながらも敵意を持ってしまうことも一応道理ではある。だが、寂し気な幼少の子に意地悪をする理由が僕にはない。そう思えるのは僕が恵まれていたからかもしれない。だが、このことに限らず、なぜ弱い者いじめをしたり、からかったりするのかもやはり突き詰めるほどに当時の僕には良く判らなかった。今はそれをする理由が全く想像できないわけではないが、自分はしたくないし、知らぬ間にしないように気を付けたいものだ…。
あの子は元気にしているのだろうか、と単純に思った。そして、まぁ自分よりはマトモにやっているだろうと思った。現状の僕より酷いのは悪辣な犯罪者ぐらいだろう。
なぜこんな話を書いたかと言うと、この先に綴っていく予定だった僕の変人にも思える『キナリ』な行いにおける、元来の自分の性質について書き出しておきたかったからだ。僕の心的な面はこのあと年を取るにつれ、苦しみ捻くれ歪んでもいくのだが、根っこにあるところはこの頃と変わらない気もするのだ。少なくてもこの頃のこういう感じは残っていると思う。僕はこの先もただただクソ真面目に生きて、それが高じる程に正義や思いやりについて思い悩むようになる。真面目さが仇となり、何につけ悩み自分を責め、何をしていても自分が罪深いと感じるようになった。極端なところを言えば、人を思いやる等と言うのならまず自分が今すぐに死ぬべきではないか、のうのうと生きているくせにと自らに追い詰められ暗い気分になったりもした。一事が万事そんな具合の自縄自縛、がんじがらめ状態となって、ありもしない罪の意識に常々後ろめたく身動き取れなくなる。そしてメンヘラの公認をいただくことになるのだった。大したこともない程度のメンヘラに。
りこちゃんをはじめ、僕が共感を持った人たちが幸せに楽しく過ごしているといいなと思う。本当は『誰もが』そうならいいと言うべきだが、もはや僕にはそこまでの寛容さも気概もない。
僕はこの短編の先に年だけは大人になるが、そのとき、強さのない多少の優しさを持ち、また責任感を不必要なほどに背負い込み、それにより苦しみ、生活を打開できずドン詰まりの日々を過ごすことになる。そして、もうこれ以上、表社会が強要してくるマトモな世界に沿うよう無理をして生きていっても先はないと心底思い、もうどうにもならないし嫌で仕方ないと感じていた時に、趣味であり心の支えでもあったアングラサブカル世界の募集広告を見つけ、自らもそこへ飛び込んだのだった。とは言えそこで生活の糧を得たわけでは全くなく、なおかつ今そのつながりも薄れつつあり、現在もまるっきり闇の中だ。むしろ年と共に闇は深くなっていく。しかしその非常識なアングラ世界は僕にとってとても暖かく、そして何より『自由』であり、居心地が良かった。
突き詰めた思いやりや優しさ、あるいはこれは僕のことではないがたくさんの傷ついた心や辛かったこと、そういうものを背負った先に、そういったものを抱えた人たちもたくさん集う、常人には理解しづらい特殊の世界がある。一般的には否とされる非常識なその世界にこそ、一般には理解しがたい優しさや自由や温かさがあるのも事実なのだ・・・。
この章で僕の純粋な優しい気持ちについてひとつは書き終えたので、この先はそういう部分も持っていた自分が、きっとそれゆえにメンヘラとなり苦しみ憎んだこと、その泣き言を書き、そしてその後に、特殊なアングラ表現の世界へ行くために自分がとった行動を書いていきたい。そして、ほんの少しだが身をもって知ることもできたそういう非常識で自由な表現者の世界の、その内側にある正しさや楽しさや美しさ等について書いてみたい。
この章の最後に、このプロローグを書くことができた原因である、りこちゃんと名付けさせてもらったあの子にありがとうと言いたいです。あなたとのこんな記憶があったから、この文章が書けました。読むはずないけど、ありがとう!笑顔の日々を元気で!
本当はここまでがプロローグで、この先、脆弱な『僕』の性格が歪み出し、日々これ誠意を仇にされたと世の中を憎んでいく(世間的には逆恨みとも言う)話や、そういった状態を社会的に許される形、つまり犯罪以外の形で昇華するためにアングラ芸術に傾向し、表現者として0.1旗上げた話を書く予定でした。そちらがメインとなり、ここから話は長く続いていくはずでしたが、気力と時間が足らなかったので今回はここまでとなりました。
しかし書いているうちに、実は終盤についてはなくし、りこちゃんとの思い出だけにして『元気にしているといいな』と言う形で話を終わらせようかとすごく迷い出しました。僕の話はいつもだんだんと面倒くさく、またクドくなり、商業性や社会性を失っていきます。そして自分でも手に負えなくなる。だから終盤はもうなくした方がいいか、と悩みました。でも自分の性なのかどうにも書いてしまい、そしてへズれないのでした。アドバイスしてくれる人がいればいいのだけど、一人でやっているとどうにも…。切りがないので、もうここでやめます。これ以上読み返すのもよそう。
もしこの先を書くとしても、もう暗い話は書きたくないのでひたすら馬鹿らしく書きたいものです。でないと書けないだろうから。適当にたのしくやりたいものです…。
プロフィール
野村 航(のむらわたる)
2017年 第7回うんこ映画祭 特別賞受賞
2018年 第8回うんこ映画祭 特別賞受賞
2019年 音楽誌(レコードコレクターズ)に3000文字程度の寄稿文が掲載
2020年公開予定映画『許された子どもたち』のオーディションに通過してちょっぴり出演
その他
Twitter → 野村航@Myuwzikku7
終わりに、今回このような機会をいただいた岸田さんに感謝を伝えたく思います。ありがとうございます。また、読んでくださりありがとうございました。他のかたで読んでくださった方も本当にありがとうございました。
加えて、この機会にnoteのことを知り、このサービスを使うことができるようになったことも自分にとってプラスになりました。その点もありがとうございました。
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