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「石焼き芋がリヤカーで街へやって来た日々」昭和の風物詩

イラストエッセイ「僕の昭和スケッチ」98枚目

97焼き芋
<「焼き芋売り」画/© 2021 もりおゆう 水彩/ガッシュ>

昔は、焼き芋屋がリヤカーを引いて町にやって来た。

調べてみると、移動販売の石焼き芋売りが現れたのは戦後の事で、歴史的には意外に新しい。終戦後の1950年にサツマイモが統制の対象外になった事がきっかけだったようだ(Wikipediaによる)。統制なんて言葉を聞くといかにも戦後感がある。

最盛期は昭和30年代から40年代といわれている。

さて、お値段の話しだが、、、

戦後当初は、安くてまさに庶民の友だった石焼き芋。
東京では30年代に入ると価格が高騰し始めたという記録がある。
だが、僕の記憶では岐阜のような地方都市では昭和30年前半までは安かったように思う。残念ながら値段までは覚えていないが、当時うちの実家は貧乏暮しだったので、それでも買っていたからにはきっと(間違いなく😅💦)安かったのだと思う。

その後、岐阜でも急激に値段が上がった。
お袋が「高こうなったね〜、もぅ焼き芋も買えんね〜」と嘆いていた記憶がある。

こうして、どんどん値段が高くなり、庶民には買いづらいものになってしまう、、、。だが、それでも焼き芋はやはりダントツに人気のあるオヤツだった。

しかし!

焼き芋の凋落は思いもかけぬ事で訪れる。

それは、昭和45年の大阪万博をきっかけに起こった。僕らの学生時代だ。

何故、万博がきっかけになったのか???

その理由はなんと、、、


外国資本のファーストフードの日本上陸!! 

日本人がそれまで口にした事のない、美味しいジャンクフードが万博をきっかけに外国からドンと押し寄せて来たのだ。

アメリカンホットドッグしかり、ミスタードーナッツしかり、フライドチキンしかり、ハンバーガーしかり、、、、
まさに栄枯盛衰は世の習い、、、

万博は焼き芋にとっては、とんだ黒船来航という訳だったようだ(笑)。


*サツマイモ(かんしょ)は中南米原産。江戸中期に日本に伝わり、飢饉や食糧難から多くの命を救いました。正に庶民の食べ物だったのです。
*参考資料 日本いも類研究会

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