「村の駄菓子屋」昭和からの絵手紙
僕の昭和スケッチ番外短編集2
「村の駄菓子屋」
岐阜市の北に黒野と言う所があり、揖斐線で市内と結ばれていた。揖斐線は二両編成の列車で、今は廃線になっている。
太一はちっちゃな頃から母親に手を引かれてこの二両編成の電車で黒野を何度か訪れていた。黒野には母親の妹が住んでいたからだ。
ある夏の事、一緒に来た母親は夕方になると先に帰り、太一はそのまま叔母の所に泊まって夏休みを過ごす事になった。 黒野で泊まって夏を過すのは初めての事だった。
黒野の自然は素晴らしいものだった。
田畑の中を縫って流れる小川、そこを涼しげに泳ぐ魚達。 森の中に潜むクワガタやカミキリ、名も知らぬ美しい紋様の甲虫達。 友だちもいた。従兄弟のマサで、太一より一つ下だった。 そのマサと共に夢中で魚釣りや昆虫採集をして遊び暮らし、三日、四日はあっという間に過ぎていった。 村の子ども達ともマサを通して知り合い、遊び仲間になっていった。
そんな或る日の事…
太一は子供らと村の外れにある駄菓子屋に行った。
駄菓子屋には、メンコや風船、スルメ、ゴムボールなど子供達の喜びそうなありとあらゆる物が置いてあった。 だが、村の子供達は色々と物色するものの、買いはしなかった。マサも同様だった。 太一の方は、チョコレートの菓子を一つ手に取った。 その時、村の子どもらが驚いたように太一に言った。
「それ、太一君、買うんか? ほんとに買うんか?」
マサも、そう言った。
太一は、みなが何を驚いているのか最初は判らなかった。
そのお菓子の値段は三十円。
太一にとっては三十円というのは、確かに少し奮発したという金額だったが、大騒ぎする程の金額でもなかった。 けれど、村の子ども達にとって、三十円のチョコレート菓子は、太一の思っているよりも、遥かに高価なものだった…。
「買うのか、買わないのか」
とでも言いたげに店の奥から店主の老婆が、チョコレートを手にする太一を首を伸ばして覗いていた。
太一の家は、街なかで商売をしていたが、特に裕福な家というわけでもなかった。 むしろ暮らし向きは慎ましやかなほうと言って良い。 その太一が、在所の子ども達の目には街から来た贅沢な子どもに写ったのだった。 太一は、今まで経験した事の無い立場に戸惑った。
同時に、村の子ども達の貧しさを初めて思った。 思えば、泊まっているマサの家での食事は、自分の家の食卓に並ぶものと比べると粗末な物ではなかったか… 。飯も白米ではなく、麦飯だったではないか。肉も魚も一片たりとも食卓に並びはしなかったではないか。自分が泊まっている事は、マサの家の負担になっていたのではないかのか… 。太一は遊び暮らす事にただ夢中で、今日までそんな事を考えてもみなかったのだった。
太一は菓子を棚に戻すと、何も買わずに店を出た。
店先で待っていた子供らが言った。
「太一君、買わへんの?」
「買わんっ」
そして、太一は駆け出しながら皆に言った。
「大川へ行こっ、泳ごうやっ。」
「わーっつ!」
と、みんな歓声を上げながら大川に向かって走って行った。
大川というのは、木曽三川の一つである揖斐川の事であった。
梨園の間を駆け抜け、小川に掛かる小さな橋を幾つも踏み越えると、大きな堤防に出た。
「ラストスパートや」
と誰かが映画のセリフのように言った。
皆、堤防の草むらを駆け上がった。
目の前に、とうとうと流れる夏の川が現れた。
空は抜けるように青く、真っ白な夏雲が輝いていた。
マサが、言った。
「太一君もわしらも、何も買わんかったから駄菓子屋のオババ、きっと怒っとるぞ!」
と。
みんな大声で笑った。
その笑い声は夏空に高くのぼっていった。
その二 村の駄菓子屋(了)
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