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続僕らはみんな漫画が好きだった/貸本漫画は現代漫画の黎明期

 イラストエッセイ「僕の昭和スケッチ」79枚目

80貸本漫画

<画/もりおゆう©  原画/水彩/ガッシュ サイズF5>

1950年頃から始まり1960年頃に最盛期を迎えた貸本漫画。
僕らを楽しませてくれた昭和文化でした。
町内の仲間数人と小遣いを出し合って借りて来ると回し読みが出来、半日遊べたものです。まだTVは一般に普及しておらず、中卒で働く若者達にとっても廉価な娯楽ということで貸本漫画は一大ブームとなりました。
<昨日の「僕らはみんな漫画が好きだった/貸本漫画」参照>

さて、今日は貸本漫画の送り手だった漫画家達に注目してみましょう。

低俗と誹られた貸本漫画でしたが、ここから後の名立たる漫画人が育っていきました。下は彼らが後に発表した大ヒット漫画です。
あなたもご存知の漫画がきっとあるはずです。如何ですか?

79貸本漫画3

水木しげる(ゲゲゲの鬼太郎、悪魔君等)
ちばてつや(あしたのジョー、ユカを呼ぶ海)
さいとうたかお(ゴルゴ13)
梅図かずお(半魚人、ヘビ少女等一連の恐怖漫画)
川崎のぼる(巨人の星)
白土三平(カムイ伝)
水島新司(ドカベン)
永島慎二(漫画家残酷物語/貸本時代に描かれ後に単行本化され大ヒット)
モンキー・パンチ(ルパン三世)
池田理代子(ベルサイユの薔薇)
矢代まさ子(ノアとシャボン玉、他珠玉の少女短編漫画)
赤塚不二夫(おそまつ君、天才バカボン)
浦野 千賀子(アタックNo.1)
等々です(*各タイトルの出版が複数出版社に渡るケースがあるため出版社名は明記致しません)。

一方で、こうした後に成功を勝ち取った前述の有名漫画家達の影には時流に乗れず忘れられていった多数の無名漫画家がいました。

79貸本漫画2

左/「濁った血」いばら美喜(トップ社)
中/「お化け寺の美女」森由岐子(東京漫画出版社)
右/「ヘビになった女の怨み」さがみゆき(ひばり書房)

ある意味では彼らこそ間違いなく貸本漫画文化の一翼を担っていたのです。(俗悪の誹りを最も受けた怪奇漫画は点数も多く、読者の根強い支持を受けていたのです。怪奇漫画に何故か少女物が多いのも興味深い点です。)

原稿料に目を向けると…
まだ殆どが十代から二十歳そこそこだった彼らの原稿料は大抵1p300円前後の低画料(一部売れっ子作家を除く)で、これは月刊漫画雑誌の10分の1とも言われています。原稿料が支払われないケースさえあったのです。彼らの中には喰うや喰わずの貧困にあえぎ、それでも夢を失わず漫画を描き続けた漫画青年も数多(あまた)いました。

けれど、孤軍奮闘する漫画家達をよそにやがてブームは去っていきます。

「漫画を読むと馬鹿になる!」
余りにも子ども達が夢中になったせいか、そんな風にも言われるようになり、PTAの不買運動が高まっていきました。さらに、テレビの普及と週刊漫画雑誌の登場によって急速に貸本漫画は衰退してゆくのでした。
下は、永島慎二作「漫画家残酷物語」(昭和42年単行本初版)のワンシーン。小さな出版社を訪れた主人公の漫画家と編集者のやり取りが描かれており、当時の様子を窺い知る事が出来ます(書籍をスキャンしたため右端が歪んでいます、ご容赦を)。

79貸本漫画4

<シリーズ黄色い涙「漫画家残酷物語」嘔吐 サンコミックスより転載>

しかし、この貸本漫画ブームこそ、以後令和の現在まで大発展する日本漫画の黎明期であり、昭和文化の一翼を担ったものと言っても過言ではありません。

以上、日本中の子供や若者達を楽しませてくれた有名無名の漫画家達に感謝の意を評したく記事としました。

*上の「これが昭和の貸本漫画」という私の絵は実際の貸本漫画の再現ではありません。僕らの子供時代を楽しませてくれた事に感謝しつつ著作権上の問題を配慮しパロディ化させて頂きました。又、この絵では、子ども達が「水木しげる」、「梅図かずお」、と口にしていますが、実際にはご両人が有名になるのはもう少し後の事です。(手塚治虫さんだけは、すでに頭角を現しており、子ども達にも圧倒的な人気を博していました。)


<この絵と文は著作権によって守られています>
(This picture and text are protected by copyright.)


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