「誰もがのれんをくぐった大衆食堂」
「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ160枚目
昭和の頃はどこに行ってもあったのが「大衆食堂」。
ファーストフードやファミレスができるのは、昭和45年の大阪万博以降。
今のような弁当屋もコンビニもまだない時代に庶民のお腹を満たしていた代表格がこの大衆食堂。
その入り口に掛かっていたのが、上の絵のような暖簾(のれん)。
経済が右肩上がりの時代、働く庶民の汗と手垢に汚れたもので、中には相当年季の入ったものもあった(笑) だが、よく潜ったものだ。
中華そばから、日本そば、オムライスに焼き飯、トンカツ、ビフテキ、煮魚焼き魚、おでんに焼きそば、丼ものと何でもおいてあった庶民食堂(笑)
これは、僕の町内にあった店の記憶。
貧乏、びだらけ(^。^)💧の我が実家では、中華そばが定番だった。
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