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「ラジオからPPMが流れていた頃」 昭和ミュージック

  「僕の昭和スケッチ」97枚目

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<「PPMが好きだった」画/© 2021 もりおゆう 水彩/ガッシュ>

ピーター・ポール&マリーが、好きでした。

PPMは 1960年代のアメリカの伝説のフォークグループ。
上のイラストは、僕が好きだった彼ら3人を描いたものです。

反戦歌を唄っても大上段に振りかぶらず、美しいハーモニーで平和を訴える彼らの歌声はそれまでの古いフォークソングと一線を画し、僕ら日本のティーンエイジャーも夢中にさせました。

初めて聞いたのは、高校の頃。

僕の家に夜遅くに遊びに来たS君が、ギターを手に取って口ずさんだ曲が「The Cruel War(悲惨な戦争)」でした。
S君は、僕と同じように勉強そっちのけで遊び惚けている高校のクラスメイトでしたが、ギター1本で郷愁を誘うフォークソングを静かに歌う彼の思わぬ一面を観て、僕はすっかり彼を見直し、驚きと共にPPMにも魅了されました。

その当時、僕はビートルズばかり聞いていたのですが、PPMの曲は郷愁と共に新しい時代感覚があり、「花はどこへ行った」や「500マイル」、「パフ」等を次々に好きになっていきました。例えば、ビートルズが昼間の太陽の下で咲き誇る大輪の花々だとすれば、PPMは月下に咲く一輪の花のようでした。彼らの曲は夜更けのラジオから流れて来ると、何故かひときわその魅力を増すのです。

「Gone The Rainbow(虹に消えた恋)」
特に好きだった曲です。

深夜放送のラジオから流れて来るマリー・トラヴァースの甘く切ない声に心が震えたものです。

PPMのヒット曲は、ギターさへあれば誰でも唄える(上手い下手はともあれ)事も手伝って当時のフォーク好きの高校生や大学生のマストアイテムでした。僕もご多分に漏れず仲間と俄(にわか)フォークグループをつくって文化祭で唄ったものです。

「Hush-A-Bye(ハッシャバイ)」
文化祭で歌った一曲

彼らのモダンフォークに心が震えた時代でした。

僕の中では、PPMの曲が内包していたソフィスティケートされた感覚は少し後の「サイモンとガーファンクル」に繋がっていきました。

それから、随分長い時間が流れ、僕にPPMを教えてくれたS君もガンで逝き、彼と唄った「虹に消えた恋」のコードも忘れてしまいましたが、ラジオから流れて来たあのPPMのメロディは今も変わらず僕の胸の奥で鳴っています。


*PPM 1962年「レモンツリー」でデビュー
 2009年 マリー・トラヴァースが白血病のため死去. 72歳没.

ありがとう、マリー

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