恋愛ができなくなった時に気付いた、その先にあるもうひとつの恋愛【読書記録】マチネの終わりに
なぜか何度も手にとってしまう、そんな本はありますか?
ストーリーも、結末も知っている。それが変わることもない。でもなぜか何度も手にとってしまう。
私にとってはそういった1冊がこの平野啓一郎の「マチネの終わりに」です。
今回はこちらを改めて読み、感じたことを整理しながらそれを記事にまとめて発信していきます。
このnoteでは、書評を中心に読書に関する記事を発信しています。
ぐちゃぐちゃになった頭の中を読書で整理してみると、それだけで人生がラクになります。
40歳、その年齢の恋愛
この物語の主人公はアラフォーの2人の男女。
運命とは?幸せとは?孤独とは?
そういったことをじっくり考えたい時に読みたい男女の大人の恋愛の物語。
主人公の1人の蒔野聡史は38歳の天才クラシックギタリスト。ギターの演奏技術も、弾く曲の解釈も、どれを取っても最高レベル。しかも社交的でウィットに富む会話でコミュニケーションも完璧。
もう1人の小峰洋子は40 歳。パリを拠点にバリバリに働く国際ジャーナリスト。語学は堪能。使命感に突き動かされ戦場と化しているイラクに長期滞在し取材を続ける。
実は洋子には婚約者がいます。
それでも2人は一言会話を交わせば、息はぴったりあい、少しづつでも確実にひかれていく。
そういう展開。
遠距離、三角関係、その2人の邪魔をする人物の登場、さまざまなすれ違いがおきる。その上さらに蒔野にはギターが弾けなくなるというキャリア上最大のスランプに陥り、洋子はイラクでテロの被害に合い心に大きな深い傷を負う。
そんな2人の運命はいかに?
アラフォーの深い恋愛小説です。
40歳、昔できていたことがなぜかできなくなる年齢
ストーリーはわかりやすく超シンプル、でもそのストーリーに潜んでいるテーマはものすごく複雑です。
40歳、もう衝動では走れない年齢。
自分の中にはもう恋愛以外のものもたくさんあって、それが自分が思った以上に大きくなってしまった。
どこまで相手に踏み込んでいいのか?
デリケートなところはあえて触れずに気遣ったり、愛しているからこそ身を引く、そういったことを考えてしまう。いや考えれるようになってしまった。
昔できなかったことが、できるようになってしまった。
自分の内面と正面から向き合い、それと同時に外部のものとどう折り合っていくか?
その結果として結局は具体的な行動には移れない。
誰かを愛するための情熱がなくなったわけじゃない。
それよりも誰かに愛されるために必要だった、若い頃の自分に"欠けていたもの"、それがなくなった。
そういう感じ。
若い頃、昔はあまり考えずに当たり前にできていたことができなくなっていく、それが40歳という年齢。
40歳、その本当の意味
当たり前にできていたこと。
それは本当に自分でやっていたことと言えるのか?
無意識にただできていたものを自分でやっていたと思い込んでいるようなもので、40歳とはそれを意識的にやっていく時期が来たということじゃないのか?
無意識でしていた恋愛から、意識的にする恋愛に変わっていく。40歳という年齢はその途中にいるようなもの。
午前に行われるマチネの演奏が終わり、その次は日が暮れてからの午後のソワレの演奏が始まる。まだまだこれからだ。40歳はちょうどそのマチネとソワレの間の時間<ジュルネ>のようなもの。
人生のラ・フォル・ジュルネ、本当の意味で熱狂する年齢になったということ。
そう考えると人生がラクになる。
オススメです👍
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