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おはようございます!たろちゃんです!
マイノベルの詳細は最後に書いてます!

20個目の質問はズバリ!

『部活動でどんな苦しみを、そしてどんな喜びを味わいましたか?』

僕の場合だと・・・

中学の部活は僕の人生でもベスト3に入るくらい濃く、大切な思い出です。長文になりますがお付き合いください

陸上に費やす日々

僕は陸上部に入りました。最初は全員走り幅跳びをやるのですが、僕は走るのも好きじゃないし、なんせ苦手で嫌でした。

僕は砲丸投げがやりたかったです。

体格的には細く、砲丸向きの体つきではなかったのですが、いつも憧れる大好きな1個上の友達がいて、その人が砲丸投げをやっていたから、僕もやりたいと思いました。

最初は声も大きく張らなきゃいけないし、なんせ体力ないからキツいし、手を抜けばメチャクチャ厳しい先生に怒られるし、でめっちゃ辛かったです。
でも、その先生は後々恩師と呼べる存在になりました。
多分その先生がいなければ、今の僕は何の意欲も無く、ただ平凡な毎日を淡々と過ごしていたと思います。
中学2年生から市内の大会は大体1位を取るほどに成長しました。先輩が引退し、僕は部長になりました。

冬場の耐える時間

冬場のトレーニングはすごいきついし、何より雪でグランドが使えないので、砲丸投げもできません。さらに、他の人はスキーのクラブに所属していて、練習はいつも1人でしていました。
体育館もなかったので、ただひたすら校舎の廊下で大声を出しながら、走り込み、ボール投げ、筋トレを繰り返していました。寂しかったし、何度も何度も挫けそうになりました。でも、絶対報われると思ってたし、なにより、自分に嘘はつきたくなかったので孤独と戦いながら全力でやっていました。

そんな冬を超え、春になり、みんなとの外での練習が始まりました。その頃には恩師の先生は転任してしまい、新しい顧問の人は若く、フレンドリーではありましたが、元々が厳しい中で育った僕は少し物足りなさを感じました。
恩師の先生がいなくなり、だんだん部が緩くなってきました。そんな部が嫌いで、僕が部を引っ張っていかなくてはと、心に決め、真剣に取り組みました。

母に協力してもらい食事の改善をしたり、フォームの動画を撮ってもらいスロー再生での精密な確認、休みの日もずっと考えていました。

集大成のとき

そして、時は過ぎ、あっという間に3年生の最後の大会の日になりました。僕の陸上人生の集大成の日になります。

砲丸投げの大会は予選が2回あり、それぞれ3回ずつしか投げれません。そこから選ばれた上位8名が決勝に進め、さらに3回投げる事ができます

大会が始まりました。

真夏の熱い日に、慣れない環境でアップ(準備体操や最後の調整)をし、ついに予選の時間になりました。
僕はその日の1回目の予選は調子が悪く、3回とも自己ベストから程遠い記録しか出ませんでした。

予選の結果を待ってる間はすごく不安でした。しかしなんとか予選を通り、1時間後に行われる2回目の予選に出場する事ができました。

再度アップをして、予選に挑みました。
ここからは予選で3回投げ、その場で上位8名の名前が呼ばれます。そして、すぐに決勝がスタートします。

その予選の3回すらも、1球だけ手応えはあったものの、他は全滅。

もしかしたら、このまま僕の最後の大会は終わってしまうのかもしれない。そんな抱えきれない不安と恐怖が僕を襲いました。
そんな時、僕の名前が呼ばれました。

緊張の中でも、心が少し落ち着きました。

決勝、最後の3球です。

そう、この3球が僕の中学最後の3球です。
努力の集大成、辛い練習、孤独に耐えた時、仲間の支え、部長としての最後姿、色んな想いが走馬灯のように流れました。

もちろん今までにない以上の緊張です。
なぜなら、満足できる記録を残せてないのですから。

2球投げ終わりました。

結果は最悪。全然うまくいきません。

想像してみてください。
3年間ただひたすらに努力し、孤独にも耐え、仲間や恩師に恵まれ、家族にも協力してもらった最後の大会が、自己ベストも更新できず、納得のいかない最後だったら。

恐ろしすぎて考えることすら苦しいです。

そして最後の1球を投げる番がやってきました。

どんな思いで投げればいいと思いますか?

正解なんてわからないし、考えてる時間なんてなかった。
だから僕は、ただただ今までのことに感謝をして、1人1人のことを思い出し、自分のやった3年間を振り返りました。
投げる時はここを意識しようとか、そんなのは一切考えなかったです。
そして、それを全て飲み込み、

『思いっきり楽しもう』

そう心に誓いました。

サークルの中に立ち、目の前には仲間の姿が見えた。

「いきます!」投げる前の掛け声を思いっきり出し、何も考えずただただ楽しんだ。

助走に入ってから、球が手から離れるまで3秒ほどしかないのに、その時間だけはすごく長く感じました。ただただ感謝し、楽しむ。

そして、一気に没入し、『無』の感覚に。
今思えばゾーンに入った感じでした。

ボールが手から離れた瞬間からスロー再生が始まります。

なんと足がふらつきました。
サークルの外に足が出てしまったら、ファール。つまり、記録なしです。

投げ切った快感を得る間も無く、脳内が全てを黒く塗りつぶされました。

「最後の一球が『記録なし』になってしまう」

そんな時、中学1年生の初めての大会で、砲丸投げの記録をしていた全く知らない先生から教えてもらったことが頭の中をよぎりました。

『サークル内であれば、手をついてもいい場所がある』

黒く塗りつぶされた脳内に光が刺しました。
すぐにそこに手をつき、体制を立て直し、見事ファールを逃れ、サークルを出ました。

そして、記録発表

記録は・・・

今までの自己ベストを遥かに上回る、自己ベスト更新の記録でした!

全ての力が抜け落ち、全身に鳥肌、笑みが溢れ、考えるまもなく、ガッツポーズをしてました。
顔を見上げると、仲間たちもこっちをみて祝福してくれてました。

本当によかった。心から感謝をしました。

その後、まだ投げてる人がいたので、敵ではあるものの、最後までちゃんと応援しようと、見届けました。

最後の大会で僕は、県内6位入賞を勝ち取り、加えて、自己ベストの更新、仲間や後輩たちに、夢を与える事ができました。

学んだことは、数えきれないほどありますが、厳選して3つお話しすると・・・

1、努力は必ず報われるということ。
報われなかったら、努力が足りないです。
それは心から言えることです。

2、いつどこで、大事なことを学ぶかはわからない。
そんな中1の時にただ教えてもらった事が、最後の最後で役に立つなんて誰が考えつくのでしょうか。
それでも僕は真摯に受け止め、念のためその練習もしていました。
その出来事が無ければ、最後の大会は『記録なし』てわ終わっていたでしょう。
だからこそ、全ての人に感謝したし、全ての出来事がかけがえのない時間だったんだなと思います。

3、どんな事も楽しんだもん勝ち
これは今の僕のモットー(迷った時は心がワクワクした方を選ぶ)にも繋がっています。
最後の1球を緊張して、不安を抱えて、フォームを気にして投げていたら、最後も満足できる記録ではなかったでしょう。
考えても無駄だし、心から楽しもうと誓い、投げ切ると決めたからこそ、できたのです。
本気の努力をしたのであれば、後は楽しむだけで最高の結果になるでしょう。

この章はここまで。熱く、今までのより長くなりましたが、大切な僕の思い出です。
これを書きながら、鳥肌がたち、心が苦しくなり、そして安堵する事を何度も、その時の体験を繰り返し体験していました。

やはり過去を振り返ることはすごくいい事だなとおもいます。

楽しんでいただけたでしょうか?

最後まで読んでいただきありがとうございます!
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2、保育園、幼稚園編

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4、中学校編

5、高校編

6、専門、大学編

7、社会人

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