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INFPという"たった4文字"に気づかされた話

最近、友人の勧めでMBTI診断(16Personalities)なるものに手を出してみた。

診断の結果、僕はINFP(仲介者)だった。



・内向的(I)or外交的(E)。

制空権バカデカ人間のため、これに関しては言うまでもなく前者だろう。

・感覚的(S)or直感的(N)。
前者は「事実や経験から判断」「将来よりも今を重視」「物事をありのままに見る」、
後者は「行き当たりばったり」「継続性に乏しい」「想像力が豊か」らしい。
今は感覚的に振る舞うことも可能ではあるが、理性というリミッターなしに100%本能に従って行動していた幼少期を思い返すと、後者の方がしっくりくる。

・論理型(T)or感情型(F)
合理的か否かよりも、主観的な感情や気持ちを中心に物事を判断しがちである。これも間違いなく後者だろう。

・判断型(J)or知覚型(P)
これに関しては、「後者だ」というよりも「前者ではない」というニュアンスが強い。
前者は「計画性や判断力がある」「仕事を完璧に素早くこなす」「一度下した決断はなかなか変えられない」という特徴があると言われているが
僕は優柔不断な上に仕事は早くもなければ穴だらけ。決断を変えられないどころか飽き性で直感人間なため、計画変更当たり前。
よって後者なのだろう。


本来、正式なMBTI診断は対人で行うものらしく、16Personalitiesにおける診断結果にいかほど信憑性があるかは不明だが
この診断を受けて、気づいたことがある。

「"世間に因ってパッケージ化された幸福"に、実はあまり興味がない事」
「恋愛している時の自分を、好きになれたことがない事(=本物であることを重要視する事)」

「INFPの特性を理解することが、うつ病や不安障害を治す手がかりになりうる事」



大学時代、塾講師のバイト先で仲良くしてくれていた室長に言われたことがある。


「いとそ君て、常に武装するために必死になってるように見える。」


聞けば、衣服や持ち物に異常なほど拘ること、常に新しい友人や恋人を作ろうとすること、常に金を稼ぎたがっていたこと、やたら結婚願望があること、(当時)心理学にのめり込んでいた事など、、、
これらが全て「本当に楽しくてしている」のではないように見えるとのことだった。

当時は全く自覚がなかった。「承認されること」が自身の求めている最大の生き甲斐だと思っていたから。
ただ振り返ってみると、承認欲求が満たされることで一時的に「幸せ」だったことはあっても、自分の事を好きでいられた瞬間が全く思い浮かばない
生まれてから高校を卒業するまでにブクブクと育ったコンプレックスや劣等感をかき消すことに全てを注いでいたように思う。

より多くの他人に承認されるために、本来はぐれ者気質の自分を押し殺して振る舞う。別人格の自分を演じ続けることで、自分を見失い、いつしか他人を介在した先にしか幸福を見出せなくなっていた

そして、そんなまやかしの幸せは、喉元を過ぎれば冷め切るのも早い。
「幸せを感じている時間」と「自己嫌悪や不安に飲まれている時間」の総量を比べると、圧倒的に後者の割合が多くなる。
(体感的に1:9くらい。これマジ。)


じゃあ今はどうなのか。
世間に因ってパッケージングされたそれとは違うかもしれないが、幸せだ。

ファッションへの拘りは(以前の病的なものと比べたら)なくなったし、恋人もいない。
交友関係も精神疾患を患う前より相当狭まったし、(生涯独り身が全く寂しくないと言ったら嘘になるが)結婚願望ももうない。
心理学も、学術的なものに興味を持つことはあっても、「他人の心を読みとるテクニック」的なものには全く興味がなくなった。

絵やものづくりを通じて自己表現をし、テニスや筋トレを通じて自分自身と向き合い、気が向いたら適度に外界の人間と交流をする。
派手さはなく穏やかだが、幸せだ。
日頃メンタル疾患によって振り回されているしんどさを差し引いたとしても、だ。

以前と何が変わったか。それは
「本来の自分らしくいられる時間の総量」が圧倒的に増えたこと。


(INFPに限った話ではないのかもしれないが)
INFPは、自分のすることにオリジナリティがあり、個性的でありたいという思いが強く、自分を表現することに喜びや生き甲斐を感じるという。
何が正しいことなのか、自分で決めることを大切にしており
周りや世間にあわせて集団に溶け込もうとするよりも、自分らしく、自分自身に正直であろうとするらしい。


自分の不安障害やうつ病の症状を観察し、原因を掘り下げていくと
そこには必ず「他人」がいる
他人の気持ちや目線に敏感なINFPは、特に精神が揺らいでいる時ほど
この「他人」に囚われがちである。

発作が起きて、周りから変な目で見られたらどうしよう。
このまま社会復帰ができず、バカにされたらどうしよう。
周りから「甘えているだけだ」と見下されたらどうしよう。
「普通の生活」が出来ず、人が離れていったらどうしよう。

さらに僕は、行動の動機やモチベーションの中に「他人」が含まれると、高確率で病む。
それはすなわち、自分らしさを押し殺すことに繋がるからだと僕は考える。

上記の問題を解決するためには、「他者を介在しない幸せを見つける」必要がある。(ちなみに僕の場合は、「絵やものづくりを通じて自分の生きた証を形にすること」がこれに該当する。)
またそれを実現するために、以前「うつ病でも恋愛はしていいの?」にも書いたように「独りでも生きていける覚悟」を決めることがいかに重要かが改めて分かった。


思いついたまま長々と書いてしまったが、要するに

「他者を介在しなくても実現可能な幸せを見つける」
「パッケージングされた幸福に惑わされない」
「自分らしくいられる時間の総量を増やす」
「大事な人との縁は大事にしつつ、独りになっても生きていける覚悟を常に身につけておく」

これらが僕の今後の課題であり、メンタル疾患の治療および再発防止のカギとなるのかも。
なんてことを考えていた今日この頃。


独り言も書き終わったし筋トレしよ。








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