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感想 ベルリンは晴れているか 深緑野分 戦争の悲惨さ、人間性をも喪失させる出来事の数々。読み応えのある秀作でした。

戦後まもないベルリンが舞台。
ドイツ人の少女が、戦時中にお世話になった人が毒殺されたことを聞かされる。
ソ連の人たちは、毒がアメリカ製の歯磨き粉に入っていたことで、アメリカの経営する店で働く少女を疑う。
幼い頃に、被害者の家を出て行った甥の存在が明らかになる。殺された音楽家は「懐かしい人に会った」と生前言っていた。ソ連兵たちは、少女に容疑者である彼の甥を探せと命令する。
その相棒となるのが、ユダヤ人顔のカフカという俳優だった。

犯人探しの旅だし、最後に犯人とその犯行動機が明らかになることから、この作品はミステリーなのかと思いきや、もし、そう捉えるなら、この作品は今いちである。
そうではなく、その犯人探しの旅の中に散りばめられた戦争の匂い。これを嗅ぎ取るための手段だとしたら、この小説は歴史小説として素晴らしいと思えるのだと思います。

読み終わると、今、自分が着ている服に戦争という嫌な匂いのするタバコに似た腐臭がこびりついているかのような錯覚に陥ります。

本書の特徴は、今と戦前の2つのパートに分かれていることにあります。まるで、二重奏のように戦争の悲惨さが鳴り響きます。

ナチスと言えば、ユダヤ人差別と身体障害者への迫害でした。
子供の頃のエピソードが印象に残った。ギゼラという身体障害者の子が近所にいる。みんな彼女を嫌っている。

そんなギゼラを彼女の父がこう表現します。
ここが好きです。

「怖がること自体は悪いものじゃない。突然、大きな声を出されれば、お父さんだってびっくりするよ。でもね、それがギゼラなんだ。たとえばアウグステがくしゃみのない国に行って、くしゃみをしたら、くしゃみを知らない人たちはぎょっとして、アウグステを怖がることになるだろうね」
「くしゃみのない国、変なの」
「変だね、でもギゼラにとっては僕らのほうが変なんだよ」

ギゼラは、この後、どこかに連れて行かれる。

障害者を差別する世の中を嘆き、父は娘にはそんな人になっちゃいけないよと諭すシーンです。

ナチスには、命に優劣をつけ選別する「優生思想」ってのがあります。障害のある人に対し「断種法」って言って強制的な不妊手術や、「T4作戦」と呼ばれる計画的な大量殺りくが行われていました。 それに対して、婉曲的におかしいと言っているのです。


ソビエトの大尉に対し、少女は自分が戦争のどさくさにレイプされたことを語るシーンがあります。
しかし、それはドイツ人が悪いと大尉は言う。

自分の国が悪に暴走するのを止められなかったのは、あなた方全員の責任です。

これは戦争責任の議論だ。
ソ連兵にレイプされたのは、ドイツが悪いという話しは極論だが、大尉の本意は理解できる。
悪い戦争をはじめた場合、やはり、それを止めなかった国民全員にも責任がある。
これは正論だと思う。
それをロシア人が言うのが、何か皮肉に思えなくもないですけど・・・。

少女の相棒のカフカ氏は興味深い男だ。
この人がいなければ、この冒険は成立しなかっただろう。
彼は、アーリア人なのに、顔がユダヤ人なのだ。元俳優で、戦争中はユダヤ人役をやって人気があった。
所謂、悪い吝嗇なユダヤ人を演じて、ドイツ民族にユダヤがいかに卑劣かをプロパガンダした役者だった。
ユダヤ人にしたら、クズである。敵の中の敵だ。

ある女性にこんなことを言われる。

「あんたは安全な場所であの人たちを演じ、あの人たちを追い詰めている」


そんな彼が役者を辞めたエピソードが印象に残った。
あるユダヤの地域に迷い込んだ時、ちょうど住民をナチの兵が移送するところだった。
赤ちゃんが泣いた。兵は怒った。脇に連れて行く、そこにカフカの友人のユダヤ人がやってきた。彼はユダヤ顔のカフカをいじめなかった唯一の男だった。その母子は彼の妻子だった。謝る母親、しかし、兵は無情にも母に裸になることを要求、そして、裸になると母子ともに射殺、その夫も殺したのだった。

ナチは、ユダヤ人をモノのように扱った。殺した。それを見て彼は絶望した。カフカは、その後、二度と芝居をしなくなった。

たぶん、カフカは自分が無意識に加担していたモノの正体に気づいたのだと思う。
強欲なユダヤを演じて、彼らをドイツ国民から憎ませる行為と
ナチの兵が彼らを殺すこと。
それは1つのことだと思ったんだと思います。

だから彼は役者を辞めた。
戦争の怖さは、何か実態のない不気味なものに知らぬ間に飲み込まれてしまうことのような気がしました。知らぬ間に大変なことをしでかしてしまっている。

対立する者からすると、無辜の市民なんて存在しない。
ここで、あのソ連の大尉の言葉が蘇ります。

自分の国が悪に暴走するのを止められなかったのは、あなた方全員の責任です。

だからレイプしていいとは思いませんが。
戦争の悲惨さを考えさせられるという意味では、この小説は素晴らしい読み物であると思います。


2022 7 23
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