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「昆虫のいる風景」 三木卓

【読書記録】

「生きていく過程のなかで出会った、そして横をすれちがっていった虫たちのことを、自分の生とのかかわりのなかで書きとめておくことはできないだろうか。自分の生のみちすじというものを他の人間や社会とのかかわりでばかり考えるのではなく、昆虫を媒介にして、自然の相のなかにあるものとしてつかんでみることも、おもしろいのではないか、と思った。」

詩人三木卓の満洲引き揚げ者としての辛い生活や、生まれ持った不自由な肢体、人の生活を自然や虫を通して見つめた27篇のエッセイ。


7月のある日。

曇天の空と同じように私の心は暗く沈んでいた。
何がそんなに私を悲しくさせたているのか自分でもよくわからなかったけど、虫でも見れば気分が良くなるような気がして、いつもの河原をぶらぶらと歩いた。

以前ならただ通り過ぎていた平凡な葉の上には、メタリックブルーに輝くハンノアオカミキリが風に揺れる葉にしっかりと脚を踏ん張らせ、長い触覚をゆらゆらとさせている。

ハンノアオカミキリ

滑り落ちそうなほどギリギリまで川に近づくと、柳の木の葉先には、葉と同じ黄緑色をした不思議な顔つきの蜂が逃げるでも隠れるでもなく我関せずの表情でただただじっとしている。

セマダラハバチ

私がどこで何をしていようと、何を見て、若しくは何も見ていなかったとしても、変わらずそこにいるものたち。
それに気づいた時のハッとする瞬間。
それがたまらなく嬉しい。

ヒルガオの花が咲いているのを見つけて、花と蔓の行く先を目で追ってみると、きらりと光るものが目にとまった。

ジンガサハムシ

向こう側が透けて見える透明な円盤の真ん中に、胴金色の模様が光る。
短い足をちょこまかと動かし、人目を避けるようにして葉の上を歩いている。

時間も、淀んでいた気持ちのことも忘れて夢中で見つめた。
帰り道、気分はすっかり晴れていた。

❝季節がめぐってきて、去年と同じ蝶が現れると旧友にめくりあったような気がする。新しい蝶は去年のことなど知るはずはないし、去年の蝶も今年の蝶が出てくる今までまず生きているはずもないのに、同じものだと思っているのである。ヒメウラナミジャノメは、人里ではごくありふれた、地味な蝶である。あ、こんにちは、と思った。何故か心強いものを感じてうれしかった。美女でもないし派手なふるまいをしないところが、わたしごのみでもあるのだ。❞

「昆虫のいる風景」より①

❝われわれは自分に意識があって、他の物体にない、と思っているせいか、自分が物体同士の関係のなかでは、対等であることを忘れてしまっている。しかし、われわれは、もちろん、あるときある場所を具体的に占めている存在なのであり、蟻をふみつぶし、象にふみつぶされる関係にあるのだ。❞

「昆虫のいる風景」より②


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