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ちょっと、奥さん…書きたい気持ちに火を付ける村上春樹「夜のくもざる」

【創作ときどき読書記録】

「ちょっと、奥さん」
「ねぇ、奥さんってばぁ」

月曜の朝8時15分。
いつものように台所に立ちマサシの弁当を作っていると、どこからか声がした。

それはまるで伸び切ったゴムのように、今にも切れそうな、耳にしつこさの残る声だった。

コンコンコン。

「ここですよぉ、奥さん。ちょっと開けてくださいな。お話…ちょっと交渉したいことがありまして。」

音と声は、冷蔵庫の中段…冷凍室から聞こえてきているらしい。

「やれやれ、またマサシが冷蔵庫イチおしゃべりなお弁当の脇役シャウエッセンさんと喧嘩して、冷凍室にでも閉じ込めたのかしら。でも、シャウエッセンさんって、あんな声だったかしら。」

冷凍庫を開けると、冷気とともに刺すようないくつもの視線を感じた。

そこにシャウエッセンさんの姿はなく、一昨日炊いたご飯の歪な塊や、お弁当用のハンバーグ、アイスノンなどが雑然と放り込まれている。

先程までの声はピタリと止んでいた。

「やぁねぇ、一体誰なの?マサシのお弁当がまだなのよ。話がないなら閉めるわよ。」

「奥さん、ちょっと待ってくださいよぉ。私もね、好きでここにいるわけじゃないんです。むしろここから出してもらいたくて…。今日は折り入ってご相談があるんです。」

声の主は、冷凍いんげんの袋…に掛けられた輪ゴムだった。

「ちょうどよかったわ。お弁当にいんげんの胡麻和えを入れようと思ってたの。忙しいから手短に話してちょうだい。」

一週間前に買った冷凍いんげんは、まだ9割方残っており、パンパンの袋に二重に掛けられ、ピンッと張りつめた輪ゴムに指をかけた瞬間、輪ゴムは悲鳴にも似た切実な声を上げた。

「ちょ、ちょ、ちょっと!奥さん!もう少しそっと、優しく外してくださいよぉ!まさにこれが問題の核心なんです!」

「どういうことかしら?」

「奥さんはご存知ないかもしれませんが、分子鎖の絡み合いによる架橋からなる私達ゴムは、高温から低温になるに従って、液体、ゴム状態、ガラス状態、という具合に変化するんです。冷凍庫の中にいると次第に硬く脆くなり、しまいには事切れてしまうんです。おわかりですか?」

私はうなずく。たぶん…わかると思う。

「それって、あれよね。冷凍庫に長くしまっていたゴムがすぐに切れてしまうという事でしょう?」

「使われて、使われて、切れてしまうのがあなた達ゴムの宿命でしょう、と言われればそれまでですが、私はなにも冷凍庫で寿命をやすやすと縮めたくはない、と言いたいんですよ。ゴムだってねぇ、長生きしたいんですよ。」

「交渉…と言うからには、もちろん代替案はあるのよね?」

「えぇ、まぁ。昭和生まれの奥さんはご存知ないかもしれませんが、令和の時代には、耐寒性に優れた冷凍庫でも生き抜ける進化系のゴムがちゃぁんといるんですよ。ガラス点移転が低いシリコーン・ゴムってやつを準備してもらえたら、ここにいる私達輪ゴムみんなが幸せに生きられるんですけどねぇ。」

「なんだか嫌味に聞こえるのは気のせいかしら。…わかったわ。それはどこで手に入るの?」

「それは私共の知るところではありませんよ。奥さん、調べるの得意じゃないですか。いつも、虫とか色々調べまくってる検索魔だって、有名ですよ。それでは、シリコーン・ゴムと交代できるのを待っていますよ。」

口数の多い伸び切った輪ゴムはすぐには使い物にならなそうだったので、蛇口のレバー・ハンドルに引っ掛け、弾力のある新しい輪ゴムを箱から取り出し冷凍いんげんに封をした。

マサシにお弁当箱を渡しながら、シリコーン・ゴムはどこで売っているのかしら…と考えた。

なんのはなしですか 

私の脳内で日々繰り広げられている無機物との対話、のはなし。
物の気持ちを想像して喋らせてみると、それぞれに性格があって面白い。

Instagramの読書界隈でインド屋さんが話題になったとき、一人のハルキストがインド屋さんとはなんたるか、を懇切丁寧に教えてくれた。

聞いても何のことなのかさっぱりだったけど。
さっぱりだったので、「夜のくもざる」を読んでみた。

一話読み終わるごと全てのストーリーに「なんのはなしですか」 と言いたくなる、超短編小説が36本。

恐るべし、村上春樹の想像力・妄想力。

私は妄想家なので、頭の中は常に様々な妄想でいっぱいだけど、こんな風に文字にできる才能はやはりすごい、とただただ感心した。

My second 村上春樹が「夜のくもざる」になるとは。
心に余裕がほしい時、心に余裕のある時、どんなシチュエーションでも楽しめそうな気がしたので、そのまま本棚へねじ込んだ。
心のスパイスが必要なとき、また読み返そう。

ちなみにMy first 村上春樹はこれ。

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