むらやん(Kei Murayama)
楽器や作曲、音楽理論などについて書きます。
2016年より定期的に神戸に行っています。パンダのタンタンに会うのと海岸と建造物を拝むのが目的でした。ストリートピアノがそこかしこにあるのも魅力的です。
近所の地域猫と、今は亡き猫のヤンのこと。
目についた好きなものの写真を集めています。
2007年から2011年まで作曲家の先生について和声のレッスンを受け、それを当時ブログに記録していました。 現在ブログは鍵付きにしていますが、いくつかレッスン記録をピックアップしてみました。
まともに弾けるのは1曲だけなんですが、何故かストリートピアノにハマってしまいました。 いつも弾いた記念に動画と写真を残していますので、弾いたピアノをここにアップします。 ***** ここから神戸です。 神戸というか兵庫県は日本で一番ストリートピアノ設置数が多いところです。特に神戸市はさすがジャズの街だけあって多数の地下鉄駅に置かれています。 アップライトはMIKIブランドのものが多いのが特徴です。学校などで使われずに保管されていた楽器を再利用しているそうです。 観ていただ
音楽作ってます。主に映像やイベント向けのやつです。 しかし、劇伴コンペで勝ち抜いたとか依頼が来たとかではなく所謂著作権フリー楽曲なので、通常誰がどこで使ったとか全く知る由はありません。 過去に某レジャーランドのイベントでお使いいただいたのと、通販番組で使っていただいたのと、Youtubeの動画で使っていただいているのをたまたま見つけたことはありましたけども。 さっきTVerでドラマ観ていたら、合間に入るCM(番宣)で一瞬聴き覚えのある音が。 「聞いたことあるなぁ、もしかして
※これから数回に渡り、今まで神戸に行った記録写真を置かせていただきます。 「懐かしい〜!」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。 2016年に急に思い立って数十年ぶりに神戸に行きました。 Twitterで王子動物園のタンタンを見て会いたくなったのと「神戸に空港が出来ていた」というのを知ったのが理由だったと思います。 神戸空港はいい意味でこじんまりとしたところ。奇しくも開港10周年でした。 空港からポートライナーで三宮へ向かいます。 駅を出てまず目についたのがこれでし
最近白猫さんと出会うことが多いので写真置いておきます。
これも年に一度のお楽しみです。 ここに桜の木を植えてくださった昔の方々に本当にありがとうと言いたいです。
陸上自衛隊練馬駐屯地の創立記念祭に行きました。毎年春のこのイベントを楽しみにしています。
3月が激寒だったせいか今になって桜がようやく咲きました。 千鳥ヶ淵の桜が目に入った瞬間、様々な思い出が蘇ってきて涙が滲んできました。 思えば若い頃は桜を見ても何の感慨も無かったんですけどね。 桜を囲んで酒飲みながらどんちゃんやってる花見連中を見ては「ケッ!」と毒づいてました。 しかし10年くらい前から、この季節が待ち遠しくなりました。 「桜の木の下には死体が埋まっている」なんて話もありましたが、それも少し関係あるのでしょうか。もう二度と会えないあの人やあの動物たちのことを思
「神戸のお嬢様」こと王子動物園のパンダ、タンタンが3月31日に亡くなったそうです。 子どもの頃から大のパンダ好きで、タンタンに会いたくて初めて王子動物園に出向いたのは2016年9月22日でした。 思っていたよりも小さめで丸っこくて可愛くて、大ファンになりました。 それ以降、暇を見つけては会いに行くようになりました。 2020年夏、タンタンが年末に中国に返還されることが決まりました。 しかしそれからほどなく心臓病が発覚。返還は見送りとなりました。 以降、飼育員さんと獣医さん
一人っ子ではありますが、母親が流産した「姉貴」と、死産だった「兄貴」がずっと一緒に生きてくれてる感覚があります。 姉貴は仕事(曲を作ってる時)の時に現れては「ダサっ!もうちょっと見直したほうがええんちゃう?この辺りとか。手ぇ抜いたら困るんは自分やで。」とダメだしするだけで普段は沈黙しています。 兄貴は頻繁に出てきますが、特に困ったとき辛いとき悲しいときに出てきては叱咤激励、時に有益なアドバイスをくれます。 でもまぁ、ほとんどおちゃらけの笑かし要員ですけどね。 電車に乗ってると
自分の作曲の師匠、当然かつての弟子は数多くいらっしゃって、「○○に師事」とプロフィールに書いている方のブログやホームページを漁っていたことがあります。 その中の一人は、定期的に師匠にお会いした記録を綴られていました。 どういう話をしたとか、ご飯をご馳走になりましたとか。 「そっかー、いいなぁこういうの。ホント師匠のこと尊敬してるんだなぁ。」 と思いながら読ませていただきました。 「出来ることならば一度お会いして、学生時代の話とかお聞きしたいな」と漠然と思いつつも全く接点は無
と、ちょっと懐かしいネタをタイトルにしてしまいました😆 さっきインスタグラムを眺めていたら、流れてくる広告のBGMのほとんどがAI自動作曲で作られたものっぽい気がするのです。 「なんでそんなの分かるんだ?」 と思われると思いますが、まぁこんな感じです。 全体的にどこかで聴いたことがあるようなメロディーとコード進行、なかなかいい雰囲気ではあるがコードチェンジの時の音の繋がりが明らかにおかしい。 ベロシティが全部100くらい(要するに強弱が無い)でやや平坦でつるんとしたテイ
人間的にも音楽も好きで尊敬している作曲の師匠にお会いしてきました。 お元気そうでなによりです。 いつもそうですが、現状をすごい気にしていただいているのが嬉しいやら恥ずかしいやら…や、でもホント有難いことです。 色々お話させていただきましたが、一番衝撃だったのは 「音大、特に作曲科は志望する人が激減している」 という話。 ちょっと意外ではありましたが、「ひと握りの人間しか食っていけないと分かってるのに敢えて足を踏み入れる」ということが出来かねるほどに皆生活がカツカツになってき
こちらに書いたことがありますが、ヤンが野良時代に産んだ子がずっと心に残っています。 隣のアパートの前で5匹くらい産んだうちの一匹でした。 子猫を産んでしばらく姿を見せなかったヤン、久しぶりにうちの裏庭に現れたと思ったら可愛い子を連れていました。 灰色雲模様の柄に大きな瞳、いつもママにべったりでおどおどしていました。 最初は近づくと「ママ〜!💦」みたいな感じで逃げていたけれど、ある時ヤンが何やら耳元で言ったあと、恐る恐る向こうから近づいてきました。 あれはどう考えても「あの
もう居なくなって7年くらい経ちましょうか。 マキちゃんと勝手に名付けた地域猫がいました。 キジ白のおんにゃの子。いつも見かけるのは決まって夜でした。 毎日、夜にある場所を通ると居ました。一度、立ち去る時に「ニャーー」言いながら走って100メートルくらい追ってきたことがありますが、あれの動画を撮っていないのが悔やまれます。 ほぼ毎日、彼女に会ってひとしきり戯れるのが日々の楽しみとなっていました。 一度、いつもご飯をあげているボラさんと遭遇し、少しだけ話しました。 「犬の餌を
「ドラマや映画の音楽作る人になりたい!」と思ったキッカケが冨田勲さんと大野雄二さんの劇伴でした。要するにいつも観ていた「60〜70年代手塚アニメ+日テレドラマ+初期の角川映画」ですね(笑) 大野雄二さんと言えば世間的には「ルパンの音楽作った人」ということになるでしょうけど、それを認識する以前からドラマの音楽を聴いてずっと気になっていたのです。もう50年近く昔の話です。 大野さんは70年代に(主に日本テレビの)ドラマの劇伴やりまくってました。あと、初期の角川映画と松田優作主
手前味噌ですけど、自分の曲を紹介させていただきます。 猫にまつわるやつを集めてみました。 聴いてくれる人がいらっしゃったら嬉しいです。 これはドラマ『猫侍』観て触発されました。 最後にこれも置いておきます。ヤン(かつて下僕させていただいていた猫)の声で歌ってます。