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ルーツへの旅

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1994年の猛暑の中、上京しました

1994年の猛暑の中、上京しました

1994年の夏は、記憶に残る中で一番暑かった。
夏が大好きで暑さに人並外れて強い(その代わり寒さには劇的に弱い)人間ですが、それでもあの夏を思い出すと「あれはマジでヤバかったな」と思います。

その暑い最中の8月半ば、ようやく上京する目処が立ったので荷物をまとめて2トントラックをレンタカー屋で借りてきました。
車の免許を持っていないので「運んでやるわ」と親父が言ってくれました。

当日、母親に「ほ

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20030612 あの人は今

20030612 あの人は今

色んな人に恩があるというのは書いたが、この間ある人の事を思い出した。

子どもの頃、近所に音楽一家が住んでいた。女二人男二人の四人兄弟と両親という結構大人数な家族だったが、子どもはそれぞれ自分とさほど歳も離れてなくて、よく一緒に遊んだ。
両親が音楽好きらしく、四人とも何かしら音楽をやっていた。
長女はピアノを習っていて、既に合唱の伴奏等を学校の先生から頼まれる程の腕前だった。
長男は後に中学のブラ

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20150405 虚しい妄想

20150405 虚しい妄想

うちの母親は、あくまで彼女の言を頼りにした推測ではあるが、どうやら育ての母と産みの母が異なっているらしい。「親が違う」と断言したワケではないのだが、聞いた話を紡いでいくと、どうもそうとしか思えない。確かに他の兄弟と顔があまり似ていない。

5人兄弟であったが自分だけ幼少時より母親から酷い仕打ちを受けていて、優しかった父親の存在だけが救いだった、という話をよく聞かされていた。確かに、オレが5歳の時に

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親父の話なぞしてみる

親父の話なぞしてみる


◆ざっくりと概要2019年に亡くなったうちの親父、だいぶ変わった人ではありました。「顔と人当たりの良さ」だけでどうにか生き延びてきた男です。
今で言う「知的ボーダーライン」だったと思います。若い頃に覚えたギャンブル癖が20歳から老年期に差し掛かるまで治らず、仕事は人一倍真面目にやっていたものの稼いだ金を全てあらゆるギャンブルに注ぎ込む人でした。
あれはやはり、ある種の病気だったのかも知れません。

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兄貴と姉貴の話

兄貴と姉貴の話

一人っ子ではありますが、母親が流産した「姉貴」と、死産だった「兄貴」がずっと一緒に生きてくれてる感覚があります。
姉貴は仕事(曲を作ってる時)の時に現れては「ダサっ!もうちょっと見直したほうがええんちゃう?この辺りとか。手ぇ抜いたら困るんは自分やで。」とダメだしするだけで普段は沈黙しています。
兄貴は頻繁に出てきますが、特に困ったとき辛いとき悲しいときに出てきては叱咤激励、時に有益なアドバイスをく

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カイゼルの焼肉定食とコトデンのエビピラフ

カイゼルの焼肉定食とコトデンのエビピラフ

X(Twitter)で昭和な純喫茶の写真を見ていたら急に思い出しました。

小学生時代、住んでいたアパートの近所に『カイゼル』という名前の喫茶店がありました。もちろん当時はこの名前がドイツの皇帝のことだとか当然知らず「なんか面白い名前の店」くらいに思ってました。

店のドアを開けるたびに「カランカランカラン」と鳴るベルの音、さほど広くないこじんまりとした店内は壁も天井もテーブルも椅子も木目調で、い

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