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1994年の猛暑の中、上京しました

1994年の夏は、記憶に残る中で一番暑かった。
夏が大好きで暑さに人並外れて強い(その代わり寒さには劇的に弱い)人間ですが、それでもあの夏を思い出すと「あれはマジでヤバかったな」と思います。

その暑い最中の8月半ば、ようやく上京する目処が立ったので荷物をまとめて2トントラックをレンタカー屋で借りてきました。
車の免許を持っていないので「運んでやるわ」と親父が言ってくれました。

当日、母親に「ほな行くから」と雑な別れを告げ、昼間は混むからということで夕方に出発。

阪神高速-名神高速-中央自動車道-高井戸ICというルートを辿ったと思います。
後に親父から「中央道は山の上を通っているだけあって勾配が激しいので出来れば東名を走りたいが、そっちが混んでいるときは中央道から迂回するしかない」と聞きました。
この時は恐らく帰省ラッシュで東名が混んでいたため急遽中央道を選択したのでしょう。

彼は1970年代に長距離トラック運転手をやっていたので、日本中の高速道路と下道、インターチェンジやサービスエリアなどを完璧に把握していました。歩く日本地図と言ってもいいくらいです。
その上、今まで生きてきて彼以上に車の運転が上手い人を見たことがないというくらい、スムースで優しい安全運転をする人でした。
彼から「車の運転の上手い下手って、スピード出せるとか急激にコーナリングできるとかそういうことではなく、同乗者や周囲の車や歩行者を不安にさせない運転が出来るかどうかなんだ」というのを学んだのでした。

そんな訳で、高井戸で下道に降りるまでほぼ寝ていました。
ほとんど揺れないし発進と停止で「ガクッ!」となることもないし、まるでベッドがそのまま移動してるかのような安定した走りなので「寝てしまったら申し訳ないなぁ」と思いつつもウトウト。
親父は無言で10時間近く俺とその荷物を運びました。「あぁいつもこんな感じで仕事してたんだな」と思ったり。

夜が明け、親父が
「そろそろ練馬区に着くぞ」
と起こしてくれました。
その時に視界に入った案内板の「高井戸」の文字をずっと覚えていて、それで東名道ではなく中央道を通って来たのだ、ということが判ったのはだいぶ最近のことです。何せずっと寝てましたからね(笑

そこから環八(環状8号線)を通って新たな生活が始まる我が家へ。
途中で、地元の人間しか知らないような細い抜け道通ったなそういえば。さすがやなぁとまたも尊敬の念。

アパートに到着。横にはキャベツ畑があります。
トラックのドアを開けた瞬間猛烈な熱気、畑の水分がひっきりなしに蒸発しているのか視界がゆらゆらしています。
親父と一緒に2階の部屋へ荷物を運び、その後「ほな帰るわ。なんかあったら電話せえよ。」と言い残して親父は帰っていきました(ちなみにこのアパートもキャベツ畑も現存しません)。
次の日に電話したら母親が出て、親父は帰ってすぐにまたパチンコ屋へ直行したとか。さすがギャンブル狂(笑

あれから30年経ちます。自分自身あの頃の親父の年齢に近づいてきました。
「劇伴(映画音楽)やるんだ!」
と意気込んで上京したけれど、結局目標は叶わなかった。最初からうすうす分かってはいましたけどもね。

そして8月の終わりは彼の命日です。
まあそんなこんなで、夏になるといつもあの年の出来事と親父のことを思い出すのです。
この話を(自分の生い立ちを全て把握している)友人にしたときに、
「親父さん、罪滅ぼしの意味で荷物運んでくれたんじゃないかな」
と言っていたのが印象に残っています。うん、そうなのかも知れないな。

追記:
よく親父から「池袋って、あの頃(1950年代)はクソ田舎で牛がいっぱいおったぞwww」と聞かされました。
ホントに牧場があったようです。