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20090824 人生悲喜こもごも

(39の時に書いたブログからの転記です。)

テレビが壊れたが、何故かたまに復活することがあり、昨日そのタイミングを見計らって録画しておいたNHKアーカイブスを観た。

「集団就職」について。

何より驚いたのが、昭和50年まで集団就職というシステムがあったということ。
この時に中学卒業して都会に出た人は今50くらい。自分とさほど違わない。

最初に集団就職列車が運行されたのが、昭和29年。
その時に田舎から都会へ出向いた少年少女は、ちょうど自分の親父の世代。
最初の就職先で修行を積み、やがて自分で店を開き次第に店を大きくしていった人、職を転々とした末に故郷に帰った人、すぐに都会に見切りをつけ故郷へ戻り、家庭を持って穏やかに暮らしている人、様々な人達の人生模様を拝見出来た。

人生の分岐点ごとに、決断を迫られ、色んなものを捨て、出会いと別れに涙したであろう。

一番気になったのは、こんなに最近まで「中卒で働かざるを得ない人達が居た」ということ。
その就職先のほとんどは、単純労働。ステップアップする機会はほぼ与えられないに等しい。
「人類みな平等」というのは大嘘だというのはとっくに知ってたけども、この時点でほとんど人生決まってしまうなんて、酷な話。
大枠が決められてしまえば、あとはいくら努力しようがさほど変えられないものだ。
「あくまでその中で」どうなるかだけの話。あとは「如何にその状態に満足出来るか」という本人の気の持ちようか。

しかし、物質的・金銭的に満たされあまりに自由があり過ぎて、その代償として自分が何者なのか分からず途方に暮れている人達が最近多いのも気になる。
そういう方からよく言われるのが、
「子どもの頃からやりたいことがハッキリしてたなんて羨ましい。いいな~。」
という言葉。

自分からすれば、ほとんどすがる思いで音楽を拠り所にしてきたようなものなのに、それのどこが羨ましいの?という気はするのだが、確かに彼らからすればそうなんだろうな、というのは解る。
成功もしていなければ誰にも認められていない状態でも、とりあえずこれを「心の糧」に出来るから。
以前は「そんなこと言うんなら自分も何か見つければいいんじゃない?」と返すことが多かったが、最近その言葉は封印した。
彼らのほとんどは、その「何か」を必死で模索しつつもやはり落としどころが見つからずに苦しんでいる、ように見える。
でも、何故かそういう人に限って高学歴だったりする。
自分からすると「…なんで?」と不思議なんだけどね。

人間は、「ある程度」不自由じゃないと自由には生きられないもんなんだろな、と思う。
自由とは責任が伴う。決して自由じゃないのだ。

「自分は器用じゃないですから、これ一本で生きていこうと思ってます。」
とインタビューで言っていた若き日のケーキ職人の言葉が印象に残った。
与えられた境遇の中で自分の生きる道を決め、信じて突き進む決意をしたその潔さが胸を打つ。
自分の人生の課題は、自分自身の中にしかない。

追記というか補足:
敢えて言う。
「何かしなくてはいけない!」「何者かにならなくてはいけない!」
と思い込まされている若者たち。それは違うよと。
何者でもなくてもいいじゃない。人生成るようにしかならんのだし。
何かに向かって突き進むも良し、何も無くても良し。大きな仕事を成し遂げようが、社会の底辺でボロ雑巾のように使い果たされようが、どう転んでも自分は自分。探しても見つからない訳さ。

夢を持つことが偉い訳でもない(「夢を持つ」って言葉、好きではないが)。
所詮生まれながらの「大枠」からはみ出ることは無いのだ。ケ・セラ・セラ。
だから自分は、ありのままを受け入れて風にふかれながら生きているバカボンのパパが好き。これでいいのだ☆
ちなみにうちの親父は、バカボンのパパに似ている。

そのまた補足:
というか・・・俺的には「就職して結婚して家庭を持って・・・」っつーごく一般的な人生(それはそれで色々大変なのは百も承知だ)を歩める人のほうが羨ましかったりする訳よ(愚痴ですすいません)。
「次生まれてきたら・・・」なんてアホなことは云わない。次は無いぞなもし!!

20240715追記:
「子どもの頃からやりたいことがハッキリしてたなんて羨ましい。いいな~。」
というのは「相手を上げるための社交辞令」として言っている場合もある、というのはこの歳になってよく分かりました。
それに「あなたも見つければいいじゃない?」などと返すのが愚の骨頂なのは言わずもがな。