「弱肉強食社会」を支持する愚か者
前回のスカイプ対談&分離感と社会の諸問題という記事に、あらゆる社会問題の根底には根深い「分離感」の意識があるという話を書きました。現代の資本主義社会は完全な「弱肉強食社会」となっており、「自分さえよければいい」、「とにかく他社(他者)との競争に勝つ!」という思想のもとに構築されている社会です。小さいころから他人と比較され、競争や勝つことを推奨されて育ちます。「弱者は自己責任」という論理が平然とまかり通るおかしな世の中だと思います。
弱肉強食の社会を支持するのは基本的には強者だろうと感じます。今、その人が(どちらかと言えばも含み)強者の立場にいるからこそ、弱肉強食社会推奨派になるだろうし、「弱者は自己責任」と言えるわけですよね。この世の中というのは、どこの家に生まれ育つかというのがその後の人生に決定的な影響を及ぼすので、下克上的なことはなかなか起こりづらく、「自己責任」と言われても…という状況になってしまいます。世界的には日本は強者の国で、私たちの生活は発展途上国などで奴隷のように働かされている低賃金労働者の方々の犠牲の上にあるわけで、そういった状況は巧みに隠され、意図的に表に出ないように、気づきにくくされている現状があります。
日本国内においても、貧困問題は他人事ではなく、いつ自分が「弱者」側の人間になるかはわかりません。会社をクビになるかもしれないし、病気になって働けなくなるかもしれないし、事故に遭って障害を負うかもしれません。今は健康で優良企業に勤めていい生活を送っていたとしても、明日は我が身ということがたくさんあります。いつ自分がそうなってもおかしくないのにもかかわらず、自分は「弱者」側にはならないと思っている人がいて、そういう人が弱肉強食社会を支持し、今の自分さえよければ良いという考えに至るのだと思います。これはなかなか自分が「強者」側にいると気づきにくく、いざ自分が本当に困った時にようやく自分の問題としてとらえるというのが世の大半の愚者の生き方かと思います。
私が好きな賢者論(なんてあるのか知りませんが)の一つに、「賢者は死を自分事と思って生きている、愚者は自分は死なないと思って生きている」という思想があります。この「死」の部分を「弱者になること」とか「貧困」とか「病気」「事故」などそういった単語に置き換えても意味が通ると思います。死や病気・事故のほか、外の世界で起きている社会問題を、自分にも起こり得ることと思って日々を生きている人は賢者だなぁと思いますし、世の中の大半が賢者であれば、今のような世の中にはなっていないだろうと感じます。最近話題にしていた犯罪者についても同様で、自分が犯罪に巻き込まれたり、手を染めてしまったり、冤罪の被害に遭う可能性は絶対にないとは言えません。あらゆることはすべて「想定内」、そういうつもりで生きないといけないなと思います。
世の中の怒りの矛先、問題の焦点の当て方にも疑問を感じることが多いです。あらゆる問題の根本原因はどこにあるのか?何が悪いのか?、そこをしっかりを人々が理解しないと、一般庶民同士で対立してしまうことになり、それこそが根本原因である強欲支配層の思うつぼだったりします。金持ちや成功者を礼賛しすぎる傾向、スポーツでも何でも勝つことを良しとする思想なども、本質から目を背けさせることに一役買っていると思います。資本主義がどんどんジリ貧になってきて、すべての人が弱者になりうる状況が見えつつあるなか、この世の中が、いつまでも「弱肉強食社会」のままで良いわけがありません。これまでとは全く違った世の中の仕組みを考えていく必要があると思います。
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