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【カウンセリング体験①】生き抜いてきた勇者

「いのちの電話」の次は…

 そのうち勇気が出たら書こうと思うが、昔、本当に苦しかった時、「いのちの電話」に電話したことがある。自殺等は全く考えてはいなかったが、死んだ方がましだと思うくらい苦しくはあったし、匿名で洗いざらい話を傾聴してくれるからだ。変なプライドで凝り固めて武装して装って生きてきたけれど、そのことで大切な人を傷つけて別れてしまったり、いろんなことが取り繕えなく、苦しくなってきた。傾聴は、助言は絶対にしない。

 やはりこれはきちんとプロに見てもらうのが良いだろうと決断し、福利厚生で用意されている電話サービスに電話した。優しい臨床心理士のお姉さんに話を聞いてもらった。なんて事はなかった。因果関係のない人に、自分のどす黒い心の中を話せるのは、すがすがしかった。

 そこで、面接カウンセリングのサービスにもチャレンジしてみることにしたのだ。これからの自分が、新しく生まれ変われるかもしれない。こんなところに来るなんて、知り合いに見られたらどうしようなどと相変わらず変なプライドが私をビクビクさせる。古臭いビルに入ってみると、私よりも明らかに年下の頼りない感じの男性が出てきた。正直、成功しそうなオーラはない(ごめんなさい)。その人がオーナーと思われた。部屋に通され、その人が私の担当かと思いきや、別のさらに若いお兄さんが出てきた。私の息子でもおかしくない、とはいくらなんでも言い過ぎだが、私よりも人生経験が少ないこんな若造に(ごめんなさい)、私の苦しみがわかるものかと内心がっかっりした。でも、誰かに思う存分、どす黒いことを話せるだけでも、デトックスになるだろうと割り切ってカウンセリングを体験することにした。 

「初カウンセリング」はいかに?

 コロナ過のスタイルで、1つだけ私に都合の良いことがある。常にマスクをしていることだ。顔の表情がばれにくいし、いろんな人と話したりするときに、とても気が楽だ。覆面効果で大胆になれる気がする(おまけに美女に見える笑)。黒ずくめのひょろっとしたお兄さんに、私の人生のどす黒い苦悩を思う存分話した。時折、不覚にも感極まって涙ぐみながら。昔「いのちの電話」に電話した時ともまた違う感覚だった。実は最近、電話占いも時々使ったりしていた。占いを全て信じているわけではないが、後腐れなく知らない人に言いたいことを話せるからだ。そんなことにお金を使ってストレス解消をするのは、さすがにやばいなと思い、正真正銘のカウンセリングサービスを真っ向から受けることにしたというわけだ。

 私が生き抜いてきたどす黒い背景は、もう少し心の整理ができたら、そのうち文章化したいと思う。自分の自浄作用もあるかもだけど、もしかしたら、誰かの共感や勇気にもなるかもしれないと、僭越ながら思うからだ。

 結果的に、カウンセリングはとてもとても良かった。若い兄ちゃんなんて、なめてかかってごめんね。1時間のうち45分ぐらいは、私がひたすら話し続けた。子供の頃から恋愛の事から今現在の事まで、怒りや憎しみや悲しみや後悔や不安や。時折ティッシュで涙を拭うほどだった。
 一通り話した後、お兄さんの意見を聞いていないことにふと気づき、私は黙った。

 常に「120」

 お兄さんが見解を述べ始めた。私の話を聞いていて、1つだけ思ったことがあると。悩んでいるように、毒親だったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。アダルトチルドレンかもしれないし、そうでないかもしれない。愛着障害かもしれないし、そうでないかもしれない。発達障害なのかもしれないし、そうでないかもしれない。でも、そのようなことを追求するのは得策ではないと。今の苦しみの原因を追求することは、私が今後自分らしく生きていくことに決してプラスには働かないと。そういった境遇や障害をカテゴリする行為は、自分のマイナスポイントをつくりあげていくことだと。とてもとても納得した。
 『確かにあなたは、どうやら普通ではない環境で生まれ育ったかもしれない。でも、あなたはそこから自力で飛び出して、社会に出ていらっしゃる。そして、こうやって今まで生き抜いてきている「勇者」なのです。だから、マイナスの部分に目を向けるのは得策ではない。ただ、そういった特殊な環境で育った人には、ある特徴がある。』
 一言、ズバリ、言い当てられた。
 『何事も適度ができないでしょう』と。
 そう、私はほどほどができない。100か0か。全か無か。私がそう言ったら、カウンセラーは、『いやむしろ常に120でしょ。』と言い放った。ブラボー!お兄さんなめてかかってごめんね、まさにその通り。
 『でもその120は生き抜くためにどうしても必要だったもの。逆に仕事ではその120はとても良いパフォーマンスになっていたはず。』ブラボー!その通り。『問題はプライベート。プライベートも全て120でいこうとするから、うまくいかない。プライベートは相手があるものであり、人と人とが併せ持ってつくりあげていくもの。相手が50、自分も50、もしくは、最初は30から徐々にお互いに積み上げていくもの。だけど、あなたのような特殊な環境で生き抜いてきた人は、プライベートも最初から120マックスであろうとする。そうすると下がっていくばかりで、こんなはずではなかったとなってしまう。』

人生で最も救われた言葉

 お兄さんのアドバイスは、次回からは、100、70、50、30、何にどのくらいのパーセンテージで、取り組んでいくのがよいか一緒に考えていきましょうというものだった。でも、決して、私のこれまでの生き方は否定せず、『特殊な環境の中で、なにくそと勇者として生き抜くためには、全て120でなければならなかったのだ』と肯定してくれた。
 これまで、様々な人に相談したり、一人悶々と悩んだりしてきたが、今回のこの言葉が人生で最も救われた。まず1つは、私はダメな人間でも、弱い人間でもなく、『勇者』だったのだ。その事は、自分に誇りを持とう。そして、過ぎてしまったこと、傷つけてしまった人のことは、取り返しはつかないけれど、これからの生き方で挽回しよう。ほどほどに、適当にということを覚えていこう。

 特に、大切に思う人には、120の全力の戦いではなく、2人で0から徐々に積み上げてつくりあげていくような、そんな力を抜いた関係性を築けるようになれたらいいなと思う。「ならなければ」という義務ではなく、「そうありたい」。そう考えただけで、とても肩の力が抜けた。また、来週、あのお兄さんに会うのが楽しみだ。
 ただ1つ、プライベートも120全力の私を受け止めきれず、苦しみながら去っていったあの人のことが、心に残る。苦しめて申し訳なかったと時計を巻き戻せるなら巻き戻して償いたい。もっと早くカウンセリングなどに行って自分を見つめ直し、まっとうな精神状態でつきあっていたら、2人の未来は違うものになったのかもしれない。まぁ、それもこれからカウンセリングで心を解いていこう。少なくとも、自分を責める事はやめよう。そしてまずは勇者として闘ってきた自分を抱きしめることだ。

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