娘と自宅で、今まで食べたことのない三ツ星シェフによる最高級スイーツを堪能している。もちろん、食べ放題だ。 フォークで一切れを切り分けるたびに、記憶の中の一番美味しいケーキを頭に思い浮かべる。濃厚で口どけが滑らかなホイップクリーム、その中に隠れるイチゴの酸味が絶妙なショートケーキ。二口目には、スポンジケーキの奥深くに広がる卵のまろやかさと、じわりと広がるコクを想像する。 娘が半分に割ったシュークリームを私のほうに差し出す。次は少し趣向を変えて、ジャンキーな味わいを想像
騎士竜戦隊リュウソウジャー。王道のキラキラギラギラとしたOPに対して、ほろ苦いエピローグが印象的だった。 この物語には、リュウソウジャーになれなかった、ナダという男が登場する。この人物の境遇が切なく、そして大人の心に深く訴えかける。 ナダは主人公コウ以上に剣技に長けており、リュウソウジャーの候補であった。しかし選ばれず、夢は打ち砕かれることになる。そして選ばれた者たちを横目に失踪する。その後、物語が進む中で、彼はリュウソウジャーと敵組織ドルイドンの戦いに駆けつけ、彼
生き物の体内を冒険する。現実では不可能だからこそ、フィクションでは定番のストーリーだ。しかし、子供の頃、体内や内臓は本当に嫌いだった。以前に書いたように、ゲームでもこのストーリーが頻繁に登場し、そのたびに不快感と恐怖に苛まれていた。 『女神転生Ⅱ』は、古いファミコンのゲームで、神と悪魔と人が織り成す世紀末感あふれるストーリーが魅力的だった。乾いた世界観と8ビットで表現されたハードロック音楽の組み合わせがとても良かった。当時のサウンドトラックがプレミア価格で池袋のBOOK
渋谷は本当はどんな場所なのだろう。 街は、目的を持って訪れるだけでなく、目的もなく散策することで初めてその姿が見えてくるものだ。だが、渋谷はニュースやバラエティ番組でよく目にするだけで、散策したことはなく、その全貌を知らない。 先日、NHKホールで行われた『ワンワンわんだーらんど』を観に行った。そのとき、渋谷の象徴ともいえるスクランブル交差点をこの目で確かめた。朝のニュースで何度も目にした、あの賑わい。歩行者が四方八方から溢れ出し、交差点の中央で絡み合うように行き交う
最近、電車の中で密かに笑う機会が増えた。電光掲示板に表示される運行情報とは別に、ニュースや天気予報が流れるパネルで、いつの間にか始まっていた「TRAIN TV」。音声はなく、ただ映像が流れているだけだが、そこで毎週楽しみにしているのが『チョコプラEX』というお笑い番組だ。 『チョコプラEX』は、チョコレートプラネットというお笑いコンビが繰り広げる、シュールな企画が魅力の番組だ。音声なしでも笑えるのは、彼らの顔芸やリアクションがひたすら面白いからだ。特に印象的だったのは「
小学生の頃、健康診断で視力の低下を指摘され、初めて眼鏡を掛けることになった。向かったのは最寄りの眼科。今では街中にお洒落な眼鏡屋があふれ、カジュアルに視力や乱視の度数を測ってくれるが、あの頃はまだそんな便利な店はなかったのかもしれない。 その眼科は、私が生まれた産院も併設している病院だった。古くからある病院らしく、建物にはかなりの歴史を感じた。何度か訪れたことはあったが、特に印象に残っているのは待合室だ。木製の椅子やテーブル、アンティーク風のランプが並び、どこか大正浪漫
仕事帰りのスーパーは戦場だ。 無数の惣菜が棚に並び、静かにその瞬間を待っている。値引きシールが貼られたそれらは、狩られる運命だ。俺は一歩一歩、冷徹に進む。狙いは、日持ちしない加工品。勝機はそこにある。 ローストポーク。 見ただけでわかる上等品だ。脂にはアラキドン酸がたっぷり含まれている。食えばアナンダミドの多幸感が体を満たす。わさびソースが脂の甘さを引き締める。間違いない。 チャーシュー。 分厚く、歯ごたえも申し分ない。甘辛のタレが肉に絡み、重量感を感じさせる。だ
NINTENDO64が現役だった頃は、まだ3D表現やゲーム性が手探りの時代だったが、『ゼルダの伝説』シリーズはその中でもひときわ輝いていた。 特に『ムジュラの仮面』は、美しい箱庭の中に強烈なホラー要素が光り、異彩を放っていた。そこに生きる人々は皆、どこかで死を受け入れているような、暗い影を帯びていた。町の外はモンスターがひしめき、3日後に世界は滅びる。その象徴が、空からじわじわと迫りくる不気味な月だった。 その不穏な世界に私は強く惹かれ、発売日にさくらやへ駆け込んだ。
今日も家の近くを、黄色と黒の特徴的なQマークの車が走り抜けていく。マツキヨココカラの配送車だ。少し小さめのその車が角を曲がるとき、軽快に揺れるのが見えた。 オンラインで注文された商品を、店舗から住宅に運び入れているらしい。私は店頭で頭痛薬や生活雑貨を買うだけだが、この配送車はきっと、多くの人々にとって不可欠な品を運んでいるのだろう。もしかしたら、その中の一つが、どこかで誰かの痛みを和らげ、日々の暮らしを支えているのかもしれない。 最近、近所のスーパーからお米が消えてい
子供の頃、私にはクラスのみんなから慕われる、人気者の友達がいた。彼はいつも、私の誘いを「嫌だ」と断ることなく、よく一緒に遊んでくれた。彼のお母さんも気さくで優しく、彼らが引っ越して遠くへ行ってしまうまで、本当に親切にしてくれた。 彼の優しさは数え切れないほどで、まるで光のようにまぶしかった。というのも、私は今振り返ると、子どもらしい非情なところがあったからだ。 私たちがよく遊んだゲームのひとつが「爆ボンバーマン」だった。このゲームには「ためボム」というテクニックがあって
夜、なぜか眠れない。疲労感が感じられないどころか、妙に気力がみなぎっている。この時間にどうしてだろうか。 そうだ、数時間前、温かい飲み物を探して飲んでしまった緑茶のせいだ。緑茶には多量のカフェインが含まれている。美味しい緑茶をもらったことが嬉しくて、そのことをすっかり忘れてしまっていた。こんなふうに感情に流され、後から問題に気付くことは多い。 眠りに落ちようとしても、夜中に何度も目が覚めてしまう。しょうがないので、雑念の渦に飲まれながら、頭の中を巡る思考をひたすら追いか
着替える前に絵本が読みたいと泣き、児童館から帰ろうとすると「まだ遊びたい!」と泣く。子供の癇癪に付き合うのは、時に大変なエネルギーがいる。 どうやら、心の準備をさせることが大切らしい。絵本を2冊読んだら着替えようね、と約束したり、タイマーが鳴ったらバイバイの時間だから帰ろうね、と言い聞かせたりする。お家でくまさんが待ってるよ、なんて誘ってもみる。でも、うまくいかないことも多々ある。 そういえば、私自身も子供の頃は癇癪をよく起こしていたことを覚えている。特に印象に残ってい
腕を組み、一席空けて座る壮年の外国人男性三人組。半袖に半ズボン、筋肉質な体が一層の圧迫感を与える。彼らは周囲を鋭く見回しながら、スペイン語で何かを密談している。短髪の男は険しい顔で沈黙を守り、じっと考え込んだ。やがて、何かを悟ったかのように重々しく頷く。空気が張り詰め、ただならぬ非日常感が漂う。緊張が高まり、一瞬、身を引きそうになった。だが、ビーチサンダルや頭にかけたサングラスが光るのを見て、観光客に過ぎないことに気づく。目的地に着いたのか、静かに立ち上がり、何事もなかった
朝、娘にせがまれて、スマホで音楽を流す。「いないいないばあ」や「おかあさんといっしょ」など、王道にして定番の曲たち。寸劇も音楽も一級品で、名アーティストたちが作詞作曲編曲を手掛けていることも多く、聴き応えは抜群だ。 会社に向かう途中、私も少し音楽を聴こうとYouTubeを開いた。Bluetoothイヤホンを接続し忘れていることに気づかず、スマホのスピーカーから音楽が流れ出す。 意図せぬミュージックシェアだ。だが、流れているのは「いないいないばあ」や「おかあさんといっし
君は3DOを知っているか。 1990年代に登場した、少し古くてマイナーなゲーム機だ。当時、私はその存在を知らなかったが、実は一度だけ遊んだことがあった。 小学校高学年の頃、名古屋から引っ越してきた友人が持っていたのだ。彼は幼くした織田信長のような顔立ちで、のほほんとした雰囲気を纏っていたが、その眼光には鋭さがあった。私とは数年ゲーム三昧の日々だったが、後にボクシングジムに通っていたから、秘めたる闘志があったのだろう。 彼は私とは異なる文化圏で育ったので、知らないもの
片頭痛に苦しめられている。特に、気圧や天気が悪くなると発症することが多く、睡眠不足も発生確率を上げる。幸いにも、酷い頭痛や吐き気を伴う幾何学的な鈍い閃光、閃輝暗点はそれほど多くない。大抵の場合、痛み止めで凌ぐことができる。しかし、痛み止めを切らさないようにする必要があり、面倒が増える。 片頭痛を初めて明確に意識したのは小学六年生の頃だ。悪天候の中、家族で沖縄旅行に行ったときのことなので鮮明に覚えている。慣れない飛行機に乗り、風が強く、飛行機はひっきりなしに揺れていた。タ