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人間社会のホメオスタシス

 今日も家の近くを、黄色と黒の特徴的なQマークの車が走り抜けていく。マツキヨココカラの配送車だ。少し小さめのその車が角を曲がるとき、軽快に揺れるのが見えた。

 オンラインで注文された商品を、店舗から住宅に運び入れているらしい。私は店頭で頭痛薬や生活雑貨を買うだけだが、この配送車はきっと、多くの人々にとって不可欠な品を運んでいるのだろう。もしかしたら、その中の一つが、どこかで誰かの痛みを和らげ、日々の暮らしを支えているのかもしれない。
 最近、近所のスーパーからお米が消えていた。いわゆる「令和の米騒動」の影響らしい。朝早くに行けばまだ棚に少し残っていることもあるが、夜には空っぽだ。そのため、最近はスーパーに足を運ぶたびに、まずお米売り場を確認し、在庫や値段を家族に報告するのが習慣となっている。
 この日常的な行動の中で、いつも思い出すのは、昔コンビニでゲームやサウンドトラックを買っていた頃のことだ。

 デジキューブというサービスがあって、ファイナルファンタジーなどスクウェアの最新作や攻略本が、普通のコンビニの棚に堂々と並んでいたのだ。誰もが利用するコンビニの明るい照明の下で、そういったアイテムを手に取るたびに、子どもながらに少し誇らしい気持ちがした。
 今、コンビニにはデジキューブは無く、オンラインでゲームを購入できるギフトカードが売られている。デジキューブはデジタルの過渡期の出来事で、もうその役目は終わってしまったのだろうか。
 何気ない日常の中で、商品は休むことなく補充され、次々と陳列されていく。これが当たり前に思えてしまうが、よく考えれば、これは驚くべき仕組みだ。他の生物と同じように、人間社会にも、何かが不足すればそれを補う力が働く。
 生物の身体には「ホメオスタシス」、つまり恒常性という機能が備わっていて、異常が生じても元の状態に戻ろうとするらしい。物流もまた、人間社会におけるホメオスタシスのようなものだろう。私たちが気づかぬうちに、必要なものが見えない手で補われ、社会の秩序が保たれている。
 今日もまた、そのホメオスタシスの一員として、私は社会に溶け込んでいく。誰かが誰かの運んだものに支えられ、命を続ける。


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