見出し画像

何もしない贅沢を私は享受できるか

ヘルシンキで乗り換え、北欧ひとり旅の一カ国目はノルウェー。五月になるというのに気温が一桁のこの地域では、先月訪れたポルトガルとは全く違う雰囲気を感じた。気候の厳しさ、生きることの深刻度合いが全く異なるのだろうという直感に、私の体は少しだけこわばる。真夏日のニュースが続く日本を飛び出し、バカンスは静かに始まった。

ヨーロッパに来てから、ずっと昔の祖父母の足取りを辿っているような気もする。ヨーロッパ旅行が大好きだった祖母と博識の祖父は、元気だったころは毎年のように旅行していた。訪れた土地の多くのことを、もう忘れちまったなあと祖父は頭を掻く。祖母は写真から笑いかけるだけになってしまって、私が見た旅の景色は、ほとんど祖母には共有できないままだった。

ノルウェーの夜は長い。八時になっても明るい屋外から、子どもたちの声が聞こえてくる。私は四時にはホテルに戻り、時差ぼけの体を労って昼寝をしていた。初日で無理をして十日間の旅行全部がダメになったらいやだからと、かなり自分を甘やかした旅程を立てている。こちらの五時は日本の真夜中だ。今日はもう出かけなくていいかな。北のフィヨルドを諦めた時点で、ノルウェーでやりたいと決めたこともそんなになかった。

翌日、起きてから少しだけ後悔。今日はずっと雨で、気温もずっと六度ほどだという。昨日晴れているうちにクルーズでもしておくべきだったか。ノルウェーといえばやっぱり自然の景色らしく、ほかにそれ以上に取り上げられる観光地はないようだ。二日しかないのに、無駄にしちゃったかな。ただ、昨日の重い体と頭痛のまま旅行はできなかったので、これでいいよと納得もしている。

なにもしないのは、結構難しいことだ。特に旅先などの限られた時間では、私はよく体力を信じて無茶をしてしまう(社会人になってからは、帰国後によく身体を壊す)。だから、こういう引き際が肝心。今日そうやって自分を説得するのは何度目だろうか。

こうやって海外にひとりでいること自体が、非日常でとても特別。日本から遠く離れた土地で、アジア人にほとんど会わない時間をたくましく生きているだけで結構えらい。この土地がどんな場所か自分の目で見てみたくて、空気を吸いたくてきたのだから、まあいいか。毎回、たった数日間の旅行ではその国のことはわからないからと思いながら、またいつか来たいと思える場所がたくさんあることを、自分の引き出しの豊かさだと思いたい。

その土地の空気を吸うこと、例えばどんな匂いがして、何が美味しくて、そこにいる人たちはどんなだったか。ノルウェーでは、海外特有の香水の匂いがして、でも空気が張り詰める雪の日にはあんまり匂いは感じない。物価が高くて食事を楽しむどころじゃなくて、知識では知ってたけど空腹で実感する感じ。土地の人は体格が大きくて怖そうに見えるけど、案外チャーミングそうな人が多い。バイトとかの若い男の人が、びっくりするくらい高身長で甘い顔でかっこいい。

電車の一日券は券売機じゃなくてキオスクで店員さんに話しかけると買える。王宮の周りでやっていたマラソン大会では張ってあるアシックスのテープなどお構いなしに縦横無尽にランナーが走り、散歩する人と入り乱れている。電車は改札はないけど、たまに抜き打ちの「コントロール」の人たちがチケットを見回りに来る。目の前の現地の少年たちが、なにやら追加料金を支払ったようだ。

こういう彼らの日常に不意に入り込むのも、その土地に実際に行くことの醍醐味だと思う。観光と日常の間。北欧では冬の厳しさや夜の長さといった環境要因でうつが多いと聞いたけれど、初日にしてなんとなく理解できる気がする。この寒さの中では自然と思考が深く、ときに暗くもなり、それはぼーっとしていたら死んでしまうのを身体が知っているからではないか。救いなのは、でっかい犬ばかり歩いていること。毛の多い大きな犬がわしゃわしゃと尻尾を振って散歩しているのをみて、雨の中でひとりでクルーズに並ぶ心細さを誤魔化している。

結局短いクルーズには出かけることにした。夜ご飯はコンビニのヌードルが確定しているので、昼の一時にしてノルウェーらしいことを諦めるのも違う気がした。雨の日にこのクルーズをしたらどんな景色なのか、レポする魂を呼び起こして六千円を支払った。何にもしない夜は許せても、何もしない昼間は難しかったみたい。強くなる雨を、暖かい船内からぼうっと眺めている。


この記事が参加している募集

休日のすごし方

旅の準備

ここまで読んでいただいた方、ありがとうございます。 スキやシェアやサポートが続ける励みになっています。もしサポートいただけたら、自分へのご褒美で甘いものか本を買います。