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『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を、ゆるく働きたい私が読んでみて

ひょんなことから哲学的に対話する大学での講座を受けることになり、仕事に関わるテーマについて「問い」を立ててみようという回でまっさきに思い浮かんだことがある。

ゆるく働いちゃだめなのか。

仕事にまつわる気になっていることを上げてみようということで、なんで上司の言うことを聞かなきゃいけないのとか、なんでスーツを着るのとか、やりがいってなにとか、そんな質問が並んでいる。

20代から60代と思わしき人まで、さまざまな会社から集まっている大人たちが、ひざを突き合わせて対話をしようじゃないかと真剣に唸る。その中で私の違和感は「ゆるく働く」ことにあった。



ゆるい。Z世代と言われる世代にぎりぎり食い込んでいる私は、年下の後輩をそう思うこともある一方、上司や先輩からはこいつゆるいなあと思われてるんだと思う。年下に感じる違和感と、年上に感じる違和感がどっちもあるのだ。

ああ、この後輩はZ世代だなあと感じるのは、例えば飲み会のとき。お酌をしない文化の恩恵は私も受けているけど、歓送迎会の一杯目など、みんなが注ぎあうときには空気を読む。でも、それが一切なくて、わはは〜というノリで(なんなら口に出して)、部長からビールを注がれているその子を見て、自分とは世代が違うぞと確信した。

その後も、えらい人の話はすっ飛ばして(私明日にはこの話忘れてます〜)、ひとりだけ酔っていく彼女を見て、私は冷や汗をかいてしまった。コンプラを統制する側の部門だから、それで干されたりすることは全然ないけれど、もう飲みに誘わなくていいなと思ってしまう。

「私、この会社の福利厚生がすきなので」と、新入社員挨拶で本部長に向かって言えちゃうところもすごい。さすがに直接的すぎて軋轢を生みそうなので、うらやましくはないが、それは本音だなあと共感できる部分もある。

私が上司からゆるいと思われているとしたら、めちゃくちゃ有給を使うこと、この日は残業しないと決めたら絶対帰ること、働きかたがリモート前提なこと、一度退勤したらメールも電話も一切出ないことがある。内勤だからやっていられる主張だけど、そもそも内勤じゃなければ辞めている。そういうところもこの子ゆるいと思われているだろう。



でも、仕事に全力になるモチベーションが、全くといっていいほどない。今の会社には感謝しているし、その会社を守るために貢献したいと思うけど、その貢献は給料分だけだ。終身雇用でも、年功序列でもない会社で、そもそも給料以上の働きをしろというのが無理だと思う。

だから、ゆるく働いちゃいけないの?なのだ。

仕事に全身全霊をかけたい人を否定はしないけど、それはプライベートとのバランスを保つ人の迫害を許しているわけじゃない。そもそも、趣味や家族の時間を充実させようと思ったら、仕事ばかり四六時中しているわけにはいかない。

私には思うところがひとつあって、大人になると本業の仕事を1番にしていないと、一生懸命に生きていない、怠惰なやつみたいに思われる気がするということ。なんだかだめなやつみたいな、そんなふうに思われる匂いを嗅ぎ取ってしまう。

でも、その人が趣味でどれだけ世界を広げているとか、副業が自己実現になっているとか、家族が生きがいだとか、そういうことって往々にしてある。今までは、それでも本業を続ければある程度まで安定するから、それを最大の世界として没頭していたかもしれない。でも、それ以外の世界の選択肢がたくさんある世の中になっている。



本書では、半身で働こうと呼びかけられている。全身全霊で「がんばりたくなってしまう社会」じゃなく、みんなが半身でもいい働き方にしていこうよというのだ。バーンアウト(燃え尽き症候群)にかすかな憧れを抱き、それで体や心を壊す社会は間違っているのではないかと結ばれている。

まさにこれじゃないかと思った。仕事に追われて疲弊し、気づけばダイパを求めて、何が得られるかわからない時間、例えば読書などに使う時間はほとんどなくなっていく。予定調和のスマホゲームで余暇を潰す。

そうではなく、半身での仕事を受け入れればどうだろうか。これからはゆるく働くというより、「半身で」をキーワードにしていきたいと思った。もう片方の半身は、ライティングや家族や友達に使える余裕を持っていたい。




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