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automatic は書けなくても、何者かになりたいんだ

日曜日。宇多田ヒカルのベストアルバムを聴きながら、あーこのひと、やっぱり天才だ、と思った。今まではなぜその若さでこの歌詞が書けるのかというところに気を取られていたけど(そしてそれはいつでも衝撃的だけれど)、別に大人になったところで私はこの歌を歌えないよなと思う。

世の中の人たちはいつ、自分は天才ではなかったのだと気づくのだろう。幼い頃に親に言われてか。学生時代にレベルが違う同級生がいたからか。もしくはまだ自分は天才なのだと信じ続けられている大人もいるだろうか。私は、小学生高学年くらいのときに、当時は明確に言語化できないままそういうことを思い知った気がする。そして、27になった今、天才ではないと知りつつも何者かになりたい自分がくすぶり続けているのも知っている。

小学生の時の私は、自己効力感にあふれていたように思う。いや、めちゃくちゃ友達を作るのは苦手だったし、登り棒はできなかったし、実は忘れものもしていた。でも、例えば絵ではコンクールで受賞したり、国語の授業で作った絵本が褒められたり、自分が好きだと思うフィールドでは大人に褒めてもらえるくらいによくできると思っていた。天才とまで言わなくても、私には才能があると思っていた。

けれども、私には歳の離れた2人の妹がいて、彼女たちから「秀でている」「自然とできる」というのがどういうことか教えられた。絵が大好きで、絵の教室にも通わせてもらっていたとき。私はデッサンや水彩画のように、実際にあるものを神経質に描き込むことが多かった。一方で妹は、私の苦手な油絵でも水彩でも、固定観念にとらわれず色を使った。そして筆に勢いがあった。

そのとき、ああ、これは私にはできないなと子供ながらに思ったのだ。それは子供心に厳しい気づきだった。自分も自信のあった部分で、なにやら努力では埋まらなそうな差に気づいてしまう。妹に負けるというのは、それまでの人生で、第一子の長女である私には許されないことだった。子供ながらに持っていたプライドがおられたのだと思う。

優等生っぽい、飛び抜けることのないつまらない出来栄え。明確に、自分の作るものや表現はつまらないと思った瞬間だった。残念ながら、私は平均点どまりなのだ。それはいつも、どこでも私にまとわりついた。学校で一番になれるのは勉強だけ。でもそれにある程度の自負もあるプライドの高い私だから、逆にこたえた。学外の人には勉強でも勝てず、そして芸術や運動というセンスの部分ではどこでも一番にはなれない。

だから、妙に冷めたのかもしれない。ほんとは悔しいことでも、あ、私わきまえてるので大丈夫ですよ〜悔しくないですよ〜みたいなフリをするのが、子供ながらにめっちゃ上手くなってしまった。だから大学に入ったときにも充分すぎるほど拗らせていて、このnoteも壮大なリハビリみたいなものでもある。

1回で突き抜けられないなら、続ければいい。そういう境地に至ったのは最近になってからだ。飛び抜けられないなら、信頼される平均点を取り続けることで選ばれていこう。本当は悔しいんだから、悔しがっている自分を出して必死こいてみようよ、と思えたのは少し大人になったからだろうか。なんとなくすかした態度をとっていた私が、上辺だけを取り繕わないで自分と向き合うトレーニングをしている最中なのだと思う。

続けること。地味だけど、激しく弾ける才能がなくても自分を認めてあげられる土台になる。もちろんそれは幼い頃に憧れたものではなく、泥臭い足掻きではある。そして、「何者かになりたい」という無意識の憧れが消えていないことも、青臭いなと思う。正直、恥ずかしい見せたくない部分だ。でも、ひた隠しにして自分を誤魔化して生きることはできないから、私は自分にできることを続けてみたいと思う。

宇多田ヒカルの歌詞は書けない。歌えない。でも誰かに何かを届けられるようになるまで、まだまだ私はここで書き続ける。



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